日誌

ご機嫌麗しゅうございます。

中島でございます。

 

10月に入り、朝夕はようやく過ごしやすくなってまいりました。お嬢様はお変わりなくお過ごしでしょうか。

涼しくなることは嬉しいことでございますが寒暖差が激しい時節柄、くれぐれもご自愛くださいませ。

そして先日は、荒木田と共にお作りしましたカクテルをお召し上がりいただき、誠にありがとうございました。

中島にとって初めてのカクテルデーで至らないところが沢山ございましたが、少しでもお嬢様に楽しんでいただけましたら幸いでございます。

 

カクテル作りにおきまして右も左も分からない中島に熱心に協力していただきました

相方、荒木田には感謝の気持ちしかございません。

普段はユーモア溢れる使用人の彼ですが

どうすればお嬢様に喜んでいただけるのか

真剣に催し事に向き合う姿勢には後輩の身としてとても勉強になる時間でございました。

 

改めまして限りある時間の中、我々の催しにお戻りいただきありがとうございました。

 

これからも精進して参りますので

今後ともよろしくお願いいたします。

 

では、来月もお嬢様のお戻りを心よりお待ちしております。

中島

ミルクティー

お嬢様、お坊っちゃま、ご機嫌いかがで御座いましょう、金澤でございます。

秋寒のこの頃、お使いに出た折り街の自動販売機を見るとだいぶ「あたたか~い」の部分も増えてまいりました。季節は駆け足で冬へと進んでおります。

自室にて久しぶりにロイヤルミルクティーを作りました。
ふだん紅茶はストレートで飲む事が多いのですが、執務の合間、脳が疲れた時などミルクティーを甘めにしていただきます。
やさしく体に沁みわたりとても癒されます。

思えば一昔前は本当によくミルクティーを作りました。ミルクティーの研究に没頭しておりました。試飲でミルクティーをあまりに飲みすぎて、しまいに嫌いになりかけたのはここだけの話‥

お屋敷には伝統的なロイヤルミルクティーのレシピがございます。
紅茶の技に秀でた使用人に受け継がれ守られております。
過去にはそのレシピをベースにアレンジしたエクストラティーもございます。

思い出に取っておいた私の関わったエクストラティーのカードを引き出しから取り出し見ております。

いくつかあります
ミルクティー系の物を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ペア使用人ヒント画像、特徴ありますね!直ぐおわかりでしょう
ロイヤルミルクッピーは名前で影山の代表作だと直ぐわかりますね、スイーツにもなった名作でございます!

お嬢様がふだんお召し上がりになられるお屋敷の紅茶の中にはミルクに合う紅茶が沢山ございます。色々お試しになられるのもまた楽しゅうございます。

何となくなのですが「ミルクティー」ってとても優しい響きだと思いませんか?

『 世界で一番愛しい貴女へ 』♪

秋といえば③

ご機嫌麗しゅうございます。
山岡でございます。

「秋といえば」をテーマに日誌をしたためております。
第三弾でございます。
調べて出て参りました単語はこちら。

食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、芸術の秋
紅葉、金木犀、コスモス、
秋刀魚、栗、さつまいも、
お月見、運動会

今回は食べ物3つに触れていきましょう。
ふぁいっ!(鐘のなる音)
(これが始めやすいです)

8.秋刀魚
サンマ。美味しゅうございますね。
海産物で嫌いなものはひとつもないので
秋刀魚も例に漏れず大変好みでございます。
開いて、骨を取り、余す事なく食すことの手早さと綺麗さにはかなりの自信があります。
内臓系のほろ苦い箇所も食します。ああいった味も好んでおります。
背開き腹開きには拘りはありません。どちらでも綺麗に開きます。
ただここまでしたためた上でなのですが、
私焼き魚は鯖以外は米のおかずにならないと思っておりまして、
秋刀魚を食した後に普通に他のおかずを求め、
そのおかずでお米を一食たべてしまうので、
コストパフォーマンスが非常に悪いのです。
なので親元を離れてからはもうほとんど食べなくなりましたね。。
旬の時期が来て、年に一回食べればいい方、
食べない年の方が増えてきた気がいたします。
今度シェフに美味しく調理したものを使用人寮の食卓に並べてもらえるようにお願いしてみます。

9.栗
美味しゅうございますね。
今年の重陽の節句に因んだマロンパフェは、
和栗と西洋マロンがどちらも使われたものだったそうですが、あまり産地の違いによる味わいの違いは意識した事がございませんでした。
お召し上がり下さいましたお嬢様はいかがでしたでしょうか。
モンブランの甘みは、一年に一回欲しくなるかどうかぐらい私にとっては濃厚な甘みなので、予測すると今年の秋は食べない気がいたします。

10.さつまいも
嫌いではないですが、実際手に取る機会はいかがでございましょう。
時代の進歩により、庶民に紛れ込んで量販店に行けばいつでも焼き芋が食べられる時代になりまし、ん?お待ち下さい。昔は昔で「いーしや〜きいも〜」がございましたね。割と常に身近な存在だったのかもしれません。
高貴なご身分のお嬢様にとっては今も昔もそういうものに対しお手を伸ばされるような事はよっぽど身分を隠してお屋敷を抜け出さない限りは叶わなかったかとは存じますけれども、もしあられるならば大旦那様には内緒にしておきますね。
そもそもそんな事が必要ないくらいティーサロンでのお食事もパティシエが季節の素材を用いてお作りしております。

やはり食べ物や食材の話になりますと
ティーサロンでの話に直結いたしますね。
早くお嬢様方にお仕えしたくなりました。
次で秋といえばシリーズも最後になるかと存じます。
お暇つぶしによければお楽しみ下さいませ。

実りか否か

お嬢様、お坊ちゃま、

ご機嫌麗しゅうございます。
佐倉でございます。

朝昼夕、山なりの気温の変化にお身体の調子を崩されてはございませんか?
もし一日お出かけになる際は、お上着など、気温の変化も考慮したお召し物で、お過ごしいただきたく存じます。
社会勉強中のお嬢様、お坊ちゃまにおかれましては、お付きの者の用意ができず、お手荷物が増えてしまう事、大変心苦しい思いではございますが、お風邪を召されることのないようにお気をつけくださいませ。

秋でございます。
当家裏山にも秋の味覚、キノコが様々生えてまいりました。
その肉付きや色味、一見大変美味しそうに感じるものも多いものにございます。
しかし、調べてみたところキノコというのは日本だけでも4000種類以上、その中でも食用とされているものは100数種との事……。
お嬢様、お坊ちゃま、キノコ狩りの際には必ず専門の案内人をお雇い下さいませ。
食用キノコにそっくりな毒キノコ、というものもあるそうにございます。

それはさておきといたしまして、現在市場で見られるキノコは殆ど人工栽培が確立しており、一年を通して見られる物が多くございます。
私はキノコが大変好みにございますので、いつでも食べることが出来る、というのは大変嬉しい心地なのではございますが、やはり旬の秋の天然キノコはどこか味も深く感じるものにございます。
秋の味覚として代表的なキノコ、「松茸」などは、その生育条件から、人工栽培が確立していないとのこと。
お嬢様、お坊ちゃまにおきましては、是非旬のお味もお確かめ頂ければと存じます。

さて、それではそろそろ当家裏山のキノコ狩りに行って参ります。
さて、この黄金のキノコなどは……あぁ、食べられませんか。
ではこちらのよく見る形の茶色の、ダメですね。
では、こちらは……。
…やはり専門家というのはとても大切でございますね。

またお屋敷で元気な姿をお見せいただける事を心よりお待ちしております。

日誌

ご機嫌麗しゅうございます。

お嬢様、本格的に秋らしい季節になってまいりましたね。

私事ですがここ数日給仕を終え、ふと気づきますと「小さな秋」を感じることが多くございます。

例えば鈴虫たちがそこかしこで小さなコンサートを行っておりましたり、

 

風に揺られて木々から枯葉が舞いちっておりましたり、

 

そういった些細なことがなんだか嬉しくも感じられ、尚且つ、どこか物悲しさをも覚えてしまいます。

 

幼い頃「小さい秋みぃつけた」と口ずさんで母の手を取り歩いていた頃、今 思い出すととても微笑ましいひと時だったなと、

 

少し感傷に浸ってしまいました。

 

ぜひお嬢様の見つけた「小さな秋」もお伺いしとうございます。

 

火野

日誌

子供はいつから大人になるのか。

よく聞く問いではございますが、答えは人の数だけあるように思われます。成人年齢という制度がございますから年齢で区切る人もいれば、社会的な責任を持つことだという人もいる。恋に落ちた瞬間に大人になる、という少し詩的な説も耳にいたします。まァ、それを言うなら、「自身の愛の定義を持った時」の方が私好みではございますが——それもまた、一つの例にすぎません。

そもそも「大人」とは何をもってそう呼ばれるのでしょうか。定義のない言葉に価値はありません。知識の多さか、感情の抑制か、あるいは現実との折り合いをつける力か。人間というものは日々成長しながら、どこかで子供の部分を引きずり続けております。或いは、完全な「大人」など存在せず、誰もが境界を行き来しているのかもしれません。

一般社会において、子供はその人格形成の過程で「してはならないこと」を学びます。

人を傷つけること、嘘をつくこと。社会の中で生きる上で、無秩序は許されません。秩序とは、禁止と制限——法律という名のルールや常識という名のモラルの中にあります。

さて。

私にとってオートバイとは「不良の乗り物」という認識でございました。髪を黄金に染め上げ、学校にも行かず、タバコを吹き散らかすならず者の象徴。勤勉で真面目で堅物な荒木田には、まったく縁のないマシンであると思っておりました。

この「縁のない」というところがミソでございまして。知らず知らずのうちに私は、自らの人格形成の中で自然と、オートバイに乗るという行為を秩序の外側に置いてしまっていたのです。

きっかけは、大したことではございませんでした。友人の運転するバイクの背に乗っただけ。

しかしその衝撃は、決して小さなものではなく。私を閉じ込めていた不可視の檻がばらばらと砕け散っていくような感覚でございました。その檻の名前は「常識」だったか「普通」だったか。

一般的な「大人」の定義の一つに、こんなものがあると思います。

『ルールやモラルを理解して、正しく行動できる人間』

これができる人間は、きっと大人でしょう。その証拠に、ランドセルを背負っている小学生が上記の通りに行動したなら、きっと多くの人は「大人っぽいね」と声をかけますから。

では果たして、そのルールやモラルは本当に正しいものなのでしょうか?

(「法律は間違っている!!」などと言いたいわけではございませんからね、念のため。)

『やってはいけないこと』や『やることができないこと』は意外と——やっても問題なかったり、手の届くところにあったりするものです。

そして「なんだ、こんなもんか」と思うのです。最初の、鉛よりも重たい一歩を乗り越えれば、二の足の、なんと軽いことか。

ルールやモラルを理解して、正しく行動できる大人が尊ばれるのは当然として——大人であることが、枷ではなく、視野を広げるステップになれば、それが大変よろしゅうございますね。

私にとって、オートバイに乗るという行為が、そのままブレイクスルーでございました。

相棒に跨るたびに、思うのです。

「ああ、大人になったな!」と。

島根県は西之島にて。Please have a great jouney! な一枚を。

 

 

 

 

 

明日10月27日、中島と共にオリジナルカクテル『Les Deux
Fatals』をご用意いたします。自身が大人であると理解している人間には、自然と色気が出てくるというもの。

大人の余裕に溢れた私と中島の織りなす一杯を、どうぞご賞味くださいまs——あれ、中島くん、なんで逃げるんですか? あれ、なんでみんな笑ってるんですか?

古谷でございます

世の中としてもお屋敷におかれましても

催し事が様々盛りだくさんでございます

季節の変わり目はお身体の調子を崩しやすうございますので

パーティーを存分に楽しんでいただく為にも

どうかご体調は万全に。

お嬢様もご一緒に2025年を最後まで駆け抜けましょう