主はどちら

どうも眠気には勝てないな、眠気こそが大敵であるだなんて思っておりましたが、いやいや食欲にもとうてい勝ち目はないと認める最近でございます。

伊織でございます。

 

世の中にはナショナルクリームティーデイというものがあり、今年は6月27日がその日にあたります。

その名の通りクリームティーの日でございます。

 

クリームティーといえば、スコーンと紅茶で過ごすシンプルなお茶の時間なわけですが、けっしてスコーンティーとは呼ばれないのがミソであったりします。

イギリスではスコーンは「クロテッドクリームを食べるための器」なんていう言い回しがあるそうです。

クリームとジャムをたっぷりとのせたスコーンのおいしさを表すというよりも、むしろクロテッドクリームをおいしく食べる最適な方法がスコーンに載せ、ともに紅茶を興じるということのようです。

 

“クリーム”ティーという名前もそうしたところから来るのでしょうか。

 

 

似て非なるものとして「ポテトはケチャップを食べるための器」という言葉があり……

 

え、ご存じない?

 

まぁ、確かにこんな言い回しわたくし以外口にする者に出会ったことないのは事実でございます。

以前アメリカで過ごしたおり、わたくしが身をもって見いだした金言こそが「ポテトはケチャップを食べるための器」なのですが、どうも一般的ではないようですね。

 

 

クリームもケチャップも、体のためを思えばほどほどがよろしゅうございます。

おまけの話

幼いころ、母親の買い物について行ってはおまけ付きのお菓子をねだって買ってもらっていたことを思い出します。

伊織でございます。

 

 

気に入りだったのは、その形や種類がなんであれ、ちいさな組み立て式の人形がついてくる類いのものでした。

動物であったり車であったり、はたまたロボットであったり、お菓子の箱にさらにおまけが入っている箱が付随しているのです。

自分で作るというのがひとつの楽しみで、完成品のなにがしが付いているというより、組み立て式の方が喜んだものでございます。

 

なにぶん幼いころのことですから、自分で作ると申しましても立派な模型では手が出ません。飛行機や船など、よりにもよって難しいものに挑戦したこともございましたが、父の手を借りても上手にはいかなかったものです。

ですから、ほんの10手くらいで完成してくれるお菓子のおまけくらいが丁度よかったのでしょう。

 

できあがった動物やら車やらロボットやらは、少なくともその日の相棒です。

あちこりを走らせたり、宙を飛ばせてみたり、先日の相棒と戦わせてみたり、頭の中では様々な場面が映し出され、数え切れない効果音が鳴り響いておりました。

瞬間ごとに物語を作り、相棒たちにしゃべらせ、話しかけ、あして遊んでいた時間が今も執事歌劇団で筆を執らせていただいている原点であったのかな、なんて思うと興味深いものです。

 

昨今、雑誌のおまけが豪華になり、本とおまけのどちらが主役だかわからないなんて声を耳にしますが、わたくしからすればいつだって主役はおまけの方でした。

自身の過去を振り返ると、いやいや本が主役だろ、だなんて到底口には出せそうにありません。

辞書

秋が短くなったな、とここ数年思うわけですが、まけじと春も短くなっているようです。

急な気温の変化は勘弁願いたいものですね。

伊織でございます。

 

 

このところめっきり辞書を引くという行動から遠ざかっているように感じます。

今時、ちょっとした調べ物なら製本された辞書を引かずとも用が済んでしまうというのも確かでございます。

 

調べたい事柄に対してピンポイントに答えを得られると考えると、まさにデジタルな世の中でございます。

しかし製本された辞書を引くことで求めていた答えのほか前後様々な言葉が目に入り、ついつい調べ物が連鎖していく、というアナログな感覚は独特な魅力を感じるものです。

 

近しい見出しの言葉が並ぶ中、それまで意識しなかった言葉同士の関連性であったり、思わぬ活用であったり、発見はつきません。

国語辞典に当たっていたとしても、連続して記載されている言葉が日本語とも限らず、借用語であることもございます。

意識せず使っていた言葉が実は外国語由来であったり、なんて発見すると楽しくなってしまうのですが、わたくしだけでしょうか?

 

無限とも思える言葉が並ぶ辞書は、まさにアナログの意味する連続性を体現するもののひとつのように感じています。

ただひとつ今調べたい答えだけを知るのではなく、紐付いたり紐付いていなかったり、目に入る言葉にどんどん興味を引かれて知識が連続していく楽しさを今一度思い出そうと思います。

物事を覚えるにも、孤立したデジタルな情報として覚えようとするより、関連するほかの物事と紐付けたほうが覚えやすいというのはご存じの通りです。

忘れっぽい自身の性分を顧みるためにも、知識の連続性を大切に過ごしてまいります。

19周年

本日でティーサロンも19周年を迎えました。

ひとえにお嬢様のおかげでございます。

あらためてありがとうございます。

伊織でございます。

 

 

開館以来お嬢様に支え続けられてまいりましたこの19年、わたくしもそのおおよそを共に歩んでまいりました。

ティーサロンでの務めの1日目は、まず紅茶係としての見習いでございました。

その日紅茶係を務める使用人の横で、ひたすら紅茶を淹れ、ひたすら飲むという毎日です。今では実際の紅茶葉に触れる前に座学や立ち居振る舞いを学ぶならいとなっておりますが、わたくしにいたっては非常に希有なスタートでありました。

 

 

わたくしのティーサロンでの生活は常に紅茶とともにあり、今は取り扱う紅茶のご用意から製作、管理を任されるにいたります。

なんとも感慨深いとも申せますし、紅茶に触れ続けた日々を考えると自然な道であったのかもしれません。

 

 

日々お嬢様に召し上がっていただくための茶葉のご用意だけではなく、紅茶サロンを初めとした催し事やエクストラティーの実施、季節や催しにあわせた紅茶のブレンドや選定がわたくしの務めの中心でございます。

ご帰宅のたびに必ずといっていいほどお嬢様が口にされる紅茶を任されるこの務めを、

スワロウテイルがティーサロンを冠している限り、誇りをもってまっとうしたいと思います。

 

 

そこにあって当たり前の一杯こそが、特別な一杯でありますように。

ポップコーン

昨年からポップコーンの消費量が増大しております。

伊織でございます。

 

 

深夜の食欲は錯覚だ、なんて説も目にしたことがございますが、錯覚だろうがなんだろうが空腹を感じたなら空腹なのでしょう。

とはいえ、たいして空腹でもないのに食べたくなってしまう衝動……日本語には口寂しいという非常に独特で便利な言葉が表してくれる衝動があり、その厄介さを身近に感じさせております。

 

そんな夜中の厄介者の相手をしてくれるのがポップコーンでございます。

映画館で食べるものという印象を強く持っておりましたが、手軽に購入できるものを見つけたが最後、常備するに至ってしまいました。

選ぶ味は塩味かもしくは塩バターといったところで、食感も軽くおなかにたまりづらく(食べたいのにおなかにたまることを避けようとするのは、なんとも人間らしいですね)、脂っこくもなく、手も汚れづらいというのが良いポイントです。

難点をあげるなら、食べ始めると手が止まらなくなってやるべきことが進まなくなることと、その結果長く時間をかけてゆっくり食べようと思っていたのに瞬時になくなってしまうことでございます。

塩分まで気になってくると、もはや選ぶべき食品ではないのではという疑念まで浮かんでまいります。

 

深夜の口寂しさに対して、お嬢様はどのように戦っていらっしゃるでしょうか?

物を選んで口にするのではなく、口にしない強い心が肝要とは承知しているのですが……。

初釜

新年のご挨拶を申し上げます。

伊織でございます。

 

 

2025年は早々より初釜と称してお茶会を開催することとなりました。

2日間にわたって開催し、なるべくゆっくりと新年のご挨拶がお伝えできる時間をご用意したいと考えております。

普段の紅茶サロンとは違った顔ぶれでのお迎えと、あたたかいお茶でのおもてなしを準備いたしました。

 

お嬢様の1年が幸多きものとなりますよう願いつつ、使用人に許される限りお力になれるよう努めてまいります。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2024

早くも一年を振り返る時期になってしまいました。

私的には早く過ぎていった2024年でございましたが、お嬢様はどのようにお感じでしょうか。

伊織でございます。

 

振り返ろうと思案してみましたが、どうも2ヶ月前の自身のことも満足に思い出せないので、早々に諦めることにいたしました。

たった2ヶ月前のことが、1年も2年も前のことのように感じられます。

2ヶ月前でこれなのですから、2024年の年始のことなんてもっての外です。

物覚えも覚えたものの持続力も乏しい質なのですが、どうもここ最近はそうした特性が強まっているように思えてなりません。

使わなければ錆びるのは道具も頭も同じことのようです。

 

早くも来年の目標が生まれました。

「頭を使おう」でございます。

頭を使うことで1日の密度が高まるような気がいたします。感じること、考えることが多くなれば1日の情報量が多くなり、結果密度の高い毎日が送れるのではないでしょうか?

 

現時点での2025年の目標は「頭を使おう」ですが、新年を迎えるまでにもうひとつ「目標を忘れない」という、より身近でのっぴきならない目標を第一に掲げて過ごしてまいります。