年の功より?

新年度が始まり、そろそろ落ち着き出した頃合いでしょうか。それとも新たな環境や学びに四苦八苦の最中でしょうか。

この四月がお嬢様にとって良いものであることを祈るばかりです。

 

伊織でございます。

 

亀の甲より年の功という言葉がございますが、年の功に対して引き合いに出されている亀の甲もなかなか優れたものであることは事実でございますね。

古くは亀卜(きぼく)に始まる甲骨文字に漢方薬、工芸品としてはべっ甲にも利用されております。

先日亀の甲は肋骨が変化したものだと知って驚きました。背中に背負っているように見えるものの、その実肋骨が裏返るようにして身を守っているとは想像だにいたしませんでした。

何をどうしたらそんな方向に骨を曲げる進化を遂げたものやら、もっと効率のよい方法はなかったものかと考えたくなるのが進化のおもしろい所なのかもしれませんね。

 

亀と同じように引き合いに出される似た生き物にスッポンがおります。

月とすっぽんという言葉がありますが、こちらはどうも亀の甲ほど良いものとして並べられているのではないようです。

 

体毛すら失い、自身で身を守るためのすべを失った人間としては、亀なりスッポンなりの甲羅やヤマアラシなどがもつトゲなど、何かしらを生み出して進化しなかったものなのかなと考えてしまいます。

身を守るために道具を利用するというのが人間の選択した道なのでしょうけれども、どうも物に頼りすぎなきらいもございます。亀の甲を道具の象徴とするならば、今や年の功より亀の甲という世の中と言えるかもしれません。

利便性を求めて必要なものが多くなるほど、どんどん不便に感じる物事が多くなるのが人間という生き物でしょうか。

やっぱり進化というのは、効率がよいようで、以外とそうでもないのかもしれませんね。

いろいろ

春の訪れを待ちつつ、今年もまた花粉という見えたり見えなかったりする悪魔の存在におびえる毎日を過ごしております。

 

伊織でございます。

 

毎日を面白おかしく過ごしたいものですね。

春の訪れを花粉の悲惨量ならぬ飛散量ではかるばかりでなく、もっと気分のよい春を満喫したいものです。

山菜なんてようございますね。

春の山菜、野菜のもつ苦みがまたグッと味覚を引き締めてくれる感覚が好きだったりします。

特にフキノトウが好みなのです。そしてどうやらフキノトウに含まれるフキノール酸が花粉症に効くとかなんとかお話を伺いました。

これは願ったり叶ったり、一石二鳥でございます。

 

お嬢様もお嫌いで無ければ、食で季節を感じつつ花粉症対策を試みてはいかがでしょうか。

53rd

もっとも寒さの厳しくなるこの時期、お嬢様はいかがお過ごしでしょうか。

伊織でございます。

 

 

4年ごとに巡ってくる閏年、ご恩時の通り2月の末日に1日、2月29日が加わります。

わたくしを含め、世界中のほんの一握りの人間にとってこの2月29日はちょっと特別な気持ちで迎える日なのでございます。

 

2月29日、そう、この日こそがジョーカーの日なのです。ジョーカーの日おめでとう!

 

わたくしがもっとも影響を受けた小説「カードミステリー」に端を発するジョーカーの日、ささやかながらわたくしもお祝いしつつ過ごそうと思います。

絶版になって久しい作品ではありますが、図書館でしたら出会える機会もございましょう。もし気が向かれたら手に取ってみてくださいませ。

 

ジョーカーの日おめでとう!

明るく実りある一年を

明けましておめでとうございます。

伊織でございます。

 

お嬢様が迷いなくご帰宅いただけるよう示し続けるとともに、いつも、いつでも帰ろうと思っていただけるお屋敷であれますよう努めてまいります。

 

いつでもお嬢様が笑顔でいてくださるように、今年も我々も笑顔でお迎えいたします。

直接新年のごあいさつができることを楽しみにご帰宅をお待ちしております。

12月の過ごし方

襲い来る年末という締め切りを前に忙しくお過ごしのことと存じますが、適度にご自身を甘やかしつつ休める瞬間をお作りくださいませ。

伊織でございます。

 

 

クリスマスか年末か、12月と聞いてどちらの方が先にイメージされるでしょうか。それとも他の言葉が思い浮かばれるでしょうか。

気がつくとまた年末のご挨拶をしております。なんとも1年が早く、年ごとに「今年は早かった」と感じさせる要素が存在しておりました。

私的には暑い時期が長く続いたことで四季のバランスが崩れ、まるで季節が3つしか存在していなかったかのように感じさせたことが大きな要因のひとつかなと振り返っております。

しかしあの頃切望した寒いと感じるほどの季節も、いざやってくるとやはり適度に暖かいことは大切だと当たり前のことを噛みしめることになり、変わらず成長のない自身を反省するに至ります。

 

お嬢様は1年を振り返り、どのようなことをお感じでしょうか。

来年どんな世界が待っているかなど分かりかねますが、今年以上にお嬢様にとって実りあるものとなることをお祈りいたします。

よいお年をお迎えくださいませ。

行方不明者捜索願

お嬢様、いかがお過ごしでしょうか。

伊織でございます。

 

 

メガネを無くして早3,4ヶ月くらい、すでにいつから行方不明なのかも分からないまま時間だけが過ぎてゆきます。

せっかく気に入って購入したメガネだというのに、入浴かなにかのタイミングで外して以降、その姿を見ることはありません。

 

 

毎度なくし物をしますと自身では見つけるのがヘタクソ過ぎて見つからず、椎名執事によって発見されるという恒例行事を繰り返しているのですが、いかんせんメガネは私室にて行方不明になってしまったがゆえ、椎名執事の力を借りるというのも気兼ねいたします。

 

 

どうしたらこんなにも物を無くすことができ、また見つけることができないのか、あの日母親に問われた言葉は今も変わらず自分自身に向けて問い続けられています。

香りというより、匂い

お嬢様は愛読書と呼べる作品はお持ちですか?

ご自身に大きな影響を与えるほどの作品に出会えるという体験は非常に希少で、貴重なものでございます。

いかがお過ごしでしょうか?

伊織でございます。

 

 

書店には独特の香りがございますが、香りというよりも匂いと表現したくなるのはわたくしだけでしょうか。

この匂いは図書館でより強くなり、古書店においてはさらに強くなるように感じております。

本、とくに古い本が放つ匂いには非常に独特のものがございませんか?

時間を経た紙やインク、ホコリの放つ成分だけでなく、きっとそこには本に触れてきた数多の人間の手が作用するものもきっとあるのではないでしょうか。

知らない他人の手と考えるとあまりいい気持ちはしないかしれませんが、博物館や骨董品の類いとはちがい、都度きれいに磨かれ、手入れが行き届いたものとは違う歴史の積み重ねがそこに現れているようで、わたくしは嫌いではありません。

何十年も前に絶版となった本が放つのと同じ匂いを、わたくしが所蔵する愛読書は同じだけの年月を経た後に放つことができるでしょうか。

わたくしひとりが幾度となく手に取って読もうとも、古書店に積まれた本と同じ仕上がりになるとは思いません。

想像の及ばぬ様々な人々の手と時間、手入れの行き届き具合と行き届かぬ具合の積み重ねが作り上げる匂いなのだと思うのです。

 

それを不衛生ととるかロマンととるか、こればかりは他人に強要できるものではございませんね。