宝塚歌劇『凱旋門』『Gato Bonito!!』

シャンソンの曲が淋しいというか暗いというか郷愁をそそるひびきで静かに幕が開く。2000年に雪組で初演され主演の轟悠が文化庁芸術祭賞を受賞し、18年ぶりの再演です。轟悠は1985年が初舞台ですから長期に亘って第一線で活躍されています。18年振りですからきっと神経を使っての再演だと思います。少し頬が窪んでいるように思い努力のあとを感じます。

物語は1938年第二次世界大戦前夜ののヨーロッパ、戦火を逃れる者や各国からの亡命者たちがパリの街に集まり始めていた。ドイツから亡命してきた外科医ラヴィック(轟悠)もその一人である。亡命者たちの唯一の救いの場所である「オテル アンテル ナショナル」に身を置き、もぐりの医者として生きていた。ある雨の日の夜更け、セーヌ川に架かるアルマ橋の上で今にも身を投げそうな女と出会う。ジョアン・マヅー(真彩希帆)連れ合いの男がホテルで死んでしまい錯乱している。ドアマンをしている友人ボリス・モロゾフ(望海風斗)に彼女の世話を頼む。未来のない亡命者だという現実が彼女を愛する事に不安を感じさせる。3週間後再会するとジョアンは生きる希望を与えてくれたラヴィックに愛を感じ、二人は激しく愛し合うようになる。しかし別離が近付いている事も現実でした「パリ最後の日」のような状況を「凱旋門」がしっとりとみつめている。ラヴィックがパリと共に消えて行く。青年医師の人生と人間である事を大きく訴えて舞台は終わります。「雨の凱旋門」「たそがれのパリ」「金色の雨」等の曲が胸にしみ哀愁をかき立てる素敵なミュージカルでした。

雪組大劇場公演二作目は「Gato Bonito!!」藤井大輔(作・演出)です。トップスター望海風斗を中心にした美しい猫をイメージしたショーです。猫の世界で雪組船員が暑さを吹っ飛ばして活躍するのを楽しみました。

宝塚ファンのお嬢様、関心がおありのお嬢様「凱旋門」は是非ご覧下さいませ。きっと満足して頂けると思います。暑い日が続いていますがお元気でお過ごし下さいませ。

藤堂でした。

Filed under: 藤堂 — 11:00

十六夜の月

虫の音にも深まる秋を感じる頃になりました。

お嬢様、いかがお過ごしでしょうか。
汐見でございます。


9月といえば、お月見でございますね。

今年の十五夜は9月24日、本日でございます。



ちなみに、お嬢様は「十六夜 (いざよい)」という言葉はご存知でしょうか。

十六夜は、新月から数えて16日目の夜のことをいい、お月見をする「中秋の名月」で有名な十五夜の次の日でございます。


では、なぜ十六夜を「いざよい」と読むかと申し上げますと……

いざよいとは「ためらう」という意味の「いざよう」という言葉から来ております。

月の出は1日ずつ約50分ほど遅くなる為、十五夜よりも月が遅く出る様子を「月がためらっている」と昔の人は見立てたことから、十六夜をいざよいと読むようになったといわれております。

なんだか趣深い表現でございますね。


昔の人の感性に思いを巡らせお月見するのも、ロマンチックでたまには良いかもしれませんね。
Filed under: 汐見 — 22:45

佐々木でございます。

お嬢様 おぼっちゃま ご機嫌麗しゅうございます。
佐々木でございます。

さて。今回のお話は…

ペンギンでございます。

才木が考案致しましたペンギンクッキーをギフトショップでご用意してございます…。

ならば…と。

ペンギンの勉強の時間でございます。

メインイベント

ペンギンダイブのショータイム

……

…………

見逃してしまいました。


さぁ。才木考案ペンギンクッキー!

味の想像がつきません…。

一度最上級土下座で味見させていただきたい

と、思います。

お嬢様 おぼっちゃま 機会がございましたら、是非一度お召しあがりくださいませ。


佐々木

Filed under: 佐々木 — 12:40

長月

少しだけでございますが秋の気配を感じる今日この頃、穏やかな季節になる事を願う乾でございます。

今年の夏は連日の猛暑でございましたが、お嬢様いかがお過ごしでしょう。

さて、暑さ寒さも彼岸までと申しますね。

お彼岸のお供えと言えば「ぼた餅」と「おはぎ」ですが、春彼岸のお供えを「ぼた餅」秋彼岸のお供えを「おはぎ」と呼びます。

その理由は漢字で書くと一目瞭然。

ぼた餅は「牡丹餅」、おはぎは「お萩」と書きます。

春に咲くボタンと秋に咲く萩の花にちなんでいる訳でございます。

古より自然と共に暮らしてきた日本人ゆえの発想でなのでございましょう。

地方によっては牡丹餅は「こし餡」お萩は「つぶ餡」でつくる所もあるようです。

ただ、私はつぶ餡が好きです・・・失礼いたしました。

ティーサロンでお萩はご用意出来ませんが、美味しいスイーツやアイス、ケーキをご用意してお帰りをお待ちしております。


Filed under: — 11:11

日誌

9月。秋の始まりですね。

「9月は実質的には夏みたいなものだ」などとうそぶいておりましたが

いやはや実際に迎えてみますと空気がまったく違いますね。
長く生きていてもなかなかわからないものでございます。


さて、
職務柄真っ先に思いをはせるのはボジョレーヌーボーでございましょうか。


豪徳寺のように現地に知人がいるわけでもないですし、ましてや足を運ぶことなども到底かなわないのですが、様々な情報をみるたびに心躍らせております。



昨年日誌にも認めたのですがワインが他のアルコールと決定的に違うところは素材であるブドウの味を強く反映しているところでしょう。
同じ醸造酒である日本酒やビールなどと比べてもその幅の広さがうかがえます。

「天」つまりその年の微細な気候の移り変わり
「地」つまりその土地特有の土壌や地形、風通し等の地理的な特徴
「人」つまり人の手

それらが一体となってはじめてワインが生まれます。
大きな要因であるヴィンテージをはかる一つの機会がボジョレーヌーボーということでしょう。

「ボジョレーヌーボーはおいしいか?」

という話題はよく上りますがそこは大した問題ではありません。
今年も新しいワインが生まれたという感謝(ワイン業界、生産者に対する一番の恩返しは消費でしょう)、
そしてなによりも躊躇なくお酒を飲める口実が目の前にあるのに逃す手はないというところでございましょう。


楽しみに待ちましょう。
Filed under: 大河内 — 20:50

秋を感じて

お嬢様ご機嫌麗しゅうございます。
綾瀬にございます。

意外にも暑さが鳴りを潜め、秋らしい気候になって参りました。
涼しくなりますと紅茶など温かい飲み物が美味しゅうございます。
特にひんやりとした夜風を感じながらいただく紅茶は、いつもより深く心を休めてくれる様な気が致します。
思うに苛烈な夏を乗り超えた事による、ある種の緩みがこの静謐な雰囲気を創り出しているのでしょう。
やはり私はこの季節が一番好きですね。
願わくば出来るだけ長く続いて欲しい物でございます。

さてしかしながら私如きが考え付く事を、大旦那様をはじめ高貴なる方々が考え付かぬ訳もなく。
お嬢様宛に夜会の招待状が幾らか届いております。
社交シーズンには少し早うございますが、この季節をただの通過点とするのはいささか勿体のうございます。
招待状は寝室にお持ち致しますので、是非一度お目通し下さいませ。

そして勿論お屋敷でも様々な催し事を開催致します。
既に準備が始まっておりまして、それはそれは盛大な物になるでしょう。
お嬢様にもご参加いただけば嬉しゅうございます。

では本日はこれにて失礼致します。
ご帰宅をお待ちしております。


綾瀬
Filed under: 綾瀬 — 15:00

風祭秋の風物詩

お嬢様、お坊っちゃま、ご機嫌麗しゅうございます。風祭でございます。


ようやく涼しい日が増えて参りました。秋の訪れでございますね。
風祭は不思議と夏が好きそうと言われますが、実は秋の方が好きでございます。


お嬢様は秋と言えば何を思い浮かべますか?
風祭は紅葉狩りにお月見、そしてそしてオクトーバーフェストに冷やおろしでございます。


オクトーバーフェストはドイツ、ミュンヘンにて催されるビールの祭典でございます。その名の通り秋に開催される大変大きなお祭りでございます。


ドイツのお祭りではございますが、最近は国内でも注目されているようでございまして、夏から秋まで様々な場所でビアガーデンやビアテラスが見られるようでございます。


そして冷やおろしでございますが、こちらは日本酒のジャンルのひとつでございます。
冬に作られた日本酒を秋まで貯蔵し、涼しくなりましたら卸す日本酒、冷やおろし。
長い熟成による穏やかで落ち着いた味わいが特徴でございます。


この時期は天候が不安定で惑わされがちでございますが、暑い日にはドイツビール、涼しい日には冷やおろしなどと考えながら過ごせば、風祭は日々の天候も楽しめそうでございます。


それではまた、ティーサロンにてお会い致しましょう。




風祭
Filed under: 風祭 — 17:30

嗚呼、愛しのペンダコよ

むかしむかしの話でございます。

小説を読むことが好きだった私は自然と文章を書くことを覚えました。初めは遊びのようなものでした。空想や妄想の類いを延々と書き連ねては破茶滅茶な展開を書き殴っておりました。キャラクターや世界観、ストーリーの設定を書き連ねるノートは何十冊にも及び、数年前に荷物を整理していましたら不意に発掘されて私を大いに苦し辱めました。いい思い出でございます。すぐに焼却致しました。

物語を綴ることが好きだった私は、原稿用紙に手書きで小説を書いておりました。20文字×20行を埋めると大体300文字から350文字になりますので、長編小説を書き上げると200枚から400枚ぐらいになりますでしょうか。幼少の頃は大旦那様から頂いたお小遣いのほとんどを原稿用紙を買うお金にあてておりました。

ジャンルはその時々で異なり、好きなことを好きなだけ書いておりました。特にその当時好きだった小説家の影響を受けることが多く、やたらと三点リーダーを使う時期もあれば、文章の接続に「~だけれど」と多用していたり、全く関係のないことをクドクドと書いていたり、と。未だに影響を残しているものもございます。

その原稿用紙が山となり、崩れる頃には大きなペンダコがぽっこりと中指に出来ておりました。指が歪になることはあまり喜ぶことではないかと存じますが、私は努力した証としてなんだか誇らしく思っていたのです。

お風呂に入りながら、その日一日酷使したペンダコを撫でて、よく頑張ったね、私はなにも君が憎くて酷使しているわけではないのだよ、言うなれば愛情、愛故にスパルタとなるのだよ、と言い聞かせてあげたものです。

一日中文章を書いていた時の熱も少し冷め、それでもペンダコはずっと私のもとにおりました。筆を握っている限り、ペンダコが私のもとからいなくなるなど考えられませんでした。強く握り締めれば、翌日いつも以上に膨らみますし、そのポッコリは手の中で特別に硬くなって存在を主張しておりますから。

私はもう、ペンダコなしでは生きられない身体になってしまったのです。



ある日、そのペンダコが家出しました。


置き手紙が残されていて、それは私に向けて書かれたものでした。その字には確かに見覚えがあり、それは私のペンダコが書いた文字でございます。


『さようなら』


その短い一文を残し、ペンダコは姿を消しました。

その日からお風呂に入っても話しかける相手はいなくなってしまいました。かつてペンダコがいた中指を撫でて、ため息を吐くのが日課になりました。そこには真っ直ぐに伸びた中指しかなかったからです。

「なんで僕を置いていなくなってしまったんだ」

哀しみを紛らわす為にたくさんの物語を綴りました。ミステリーを、SFを、恋愛物を、ハードボイルドを、コメディを、ホラーを。

それらを読み返すと、何処かにペンダコの姿を探しているように思えました。

真犯人はかつて共に過ごした幼馴染で、宇宙的規模で増殖を続ける愛しい指のポッコリ、ふと気づくと一番大切なのは傍に居てくれた君で、バーカウンターでバーボンを傾ける君は、全力で駆け出す上に裸というアホウな姿、恐ろしい気配に振り返るとそこにいて。

支離滅裂ですが、確かにそれはペンダコでした。

そうして私はペンダコが大切な存在だったことに気づきました。

「愚かなのは僕だったよ。どうか、どうか戻ってきてはくれまいか」

涙を拭った手には、やはりペンダコはおりませんでした。


「私はここにいるよ」


声が聞こえました。
逆の手からです。

「ペンダコ! そんなところにいたのかい」

「残念だけど、私はペンダコではあるけれど、かつて君と一緒にいたペンダコとはまったく別のペンダコだ」

「そんな……」

「君が探している左の手にはペンダコが膨らむことはないよ。だって君は右利きじゃないか」

「嘘だ。僕は利き腕を変えた覚えはない」

「じゃあなんで私は右手にいるんだい?」

「それは……」

「箸を持つ手は?」

「右手」

「ボールを投げるのは?」

「……右手」

「ペンを持つ手は?」

「や、やめてくれ! そんな……いつから僕は右利きになったんだ?」

すると右手の中指にいるペンダコは不気味な笑い声でこう言いました。

「君は元々右利きなんだよ。左手の中指にペンダコが存在するはずがないんだ。君はずっと幻想を見ていたのだよ」

「嘘だ! 僕は信じない!」

楽しい思い出を一緒に過ごしたペンダコ。辛い時も哀しい時も寂しい時も。一緒にペンを握ったペンダコ。妄想を文章として一緒に綴ったペンダコ。美味しい料理も一緒に箸を握ったね。寝る前も起きた後も、君が歯を磨いてくれた。

そのペンダコが、存在しなかった。

私は何が本当であるのか判別がつかず、不敵な笑みを浮かべる右手のペンダコのことを遠ざけようと腕を伸ばすことしかできません。

「そんなことをしたって無駄だよ。君は私がいないと箸を握ることもできない。ボールを投げることも、字を書くことも、ハサミで物を切ることも、歯を磨くことも。何も出来ずに苦しむんだ」

「それでも……確かに、あのペンダコはいたんだ……。僕はペンダコと共に……」

「その全てが幻想だったのだよ!!」


私は、右利きだったのでございます。






という夢を見て以来、少しずつ左手を使うようになった浅葱でございます。

左利きの使用人が意外に多く、いつもふとした瞬間に左手を器用に使う彼らを見て憧れてしまうのです。私もいつかは左利きになりとうございます。

お嬢様、左利きの使用人が何人いるか知っておりますか?

ティーサロンで是非教えてくださいませ。
ちなみに衣笠は左利きです。
彼は彼で右手を使う練習をしておりました。




追記
夢の中では憎たらしい性格の右手中指にいるペンダコですが、本当はとってもいいやつでございます。いつも日誌を書いてくれてありがとうございます、ペンダコさん。


浅葱
Filed under: 浅葱 — 15:00

止まり木

敬愛せしお嬢様へ。

嵐がひとつ過ぎる度に、秋へと一歩づつ近づいているようでございます。
肌寒い日もございましょうから、ご面倒でもお上着はお持ちくださるようお願い申し上げます。

さて、お嬢様には馴染みの場所というのはございますか?
街中のカフェの決まった席。河辺の眺め良きベンチ。あるいは庭園の木陰。
まるでもうひとつの家のように、そこに居れば一息つけるといった場所が人にはございます。
私にとってそれは長らくの間、とある地下のバーでございました。
数年前に疲れはてた身を引きずり歩いていたある夜に、漏れ聞こえてきた楽器の音に惹かれて足を踏み入れたそのバーに、いつの間にか日常の一部のように足を運ぶようになり、多くの夜をこの場所に身を浸して越えて参りました。

多くはただ良き音に揺られながら静かに。時には賑やかに、希に混沌とした、数えきれぬ夜を過ごしたこの馴染みの場所でしたが、看板を下ろし眠りにつくこととなりました。


私的にはもちろん残念でございますが、時間は大河のように流れ、人は常に歩みを進め、それと共に全ては移ろうものでございます。
ただただ多くの感謝をこのカウンターとバーテンダーに贈り、記憶の中に仕舞うと致しましょう。

多くの寛ぎと音と時間に感謝を。
バーとはその名の通り、止まり木のように一休みできる場所。
私も、多くのノイズに惑わされてその本質を失うことがないように、思い上がらず、表層に惑わず、されど妥協せず。

ただ歩んで行こうと思います。

Filed under: 時任 — 21:00

夜のお客様

お嬢様、お坊っちゃま、お帰りなさいませ。
豪徳寺でございます。



(more...)
Filed under: 豪徳寺 — 00:00