嗚呼、スコットランド

ご機嫌いかがでしょうか、お嬢様。
隈川でございます。

お嬢様、ご旅行はお好きでしょうか。
私はどこかへ出かけるよりも部屋でもくもくとなにかをしている方が性に合っていることを自覚しており、旅行は準備などから億劫になってしまうタイプです。そんな私にも人生上で一度足を運んでおきたい場所がいくつかございます。

そのうちのひとつがスコットランド。

お恥ずかしい話ですが、英国式のティーサロンに10年以上お仕えしておりながら、私グレートブリテン及び北アイルランド連合王国に行ったことがないのです。

特にスコットランドといえばスコーンやショートブレッドが生まれた土地。バターを使ったお菓子たちに目がない私ですから、本場のものをいただけたらどれだけすてきなことでしょう。

それから、あのネス湖も実はスコットランドにあるそうです。かの有名な写真が潜水艦のおもちゃを使ったフェイクだったことは重々承知しておりますが、それでもやはりネッシーへの憧れはいまだこの胸を熱く焦がします。ぜひとも一度自分の目でロマン溢れる湖を拝みとうございます。

美しい街並みの中流れるバグパイプの音色も魅力的ですね。生の演奏を実際に聴いてみたいものです。

うーん、いいですね。想像するだけでわくわくします。

ですから、お嬢様!
いつの日かグレートブリテン及び北アイルランド連合王国にご旅行でおいでの際はぜひ私をおともにお連れ…え?

通訳をかねて伊織を連れて行く…ですか。

 

…いえ。別に…ふてくされてなど、おりません。私は空想旅行で満足ですし、全然悔しくなんてございませんけれど…ええ、まったく。

自室で大人しくもくもくショートブレッドを齧りながら執務に臨むのが個人的に好きですから、別にいいのですけれど…いいのですけれどー…あの…

…大丈夫でございますか?
旅先で私のこと思い出して可哀想な気持ちになったりしませんか?そんなことになったら旅がもったいのうございませんか??

せめて、せめてお土産にたくさんお菓子を…

隈川

いざとなれば

ご機嫌麗しゅう、お嬢様。
隈川でございます。

「いざとなれば〜すればいい」と思っていることでも実際に、いざ!というときがきてみると想定していたものとまったく違う答えが出てくるものです。

自分は決して合理的な人間ではないのだな、という発見と同時に、そうではない方向にまだまだ成長できそうだなと思えた今日この頃でございます。

こういう小さな気づきがあったときこそ、初心に立ち返る良いチャンスでしょうか。

屋敷での生活も長くなってまいりましたが、新鮮な気持ちでそれぞれの季節を楽しんでゆきたく存じます。

そして、その楽しんだ気持ちをお嬢様にもお伝えして笑顔のきっかけを差しあげられるように努めます!

隈川

トロピカル

隈川でございます。
まだまだ夏の陽気がつづきます!

そういえば私、トロピカルという言葉をなんとなく好ましく思っております!
トロピカルを日本語に訳せと言われましたら正直分かりませんが、わからないままでもよいような気もいたしますね!

暑さによる体調不良には充分お気をつけていただきたいものの、やはりせっかくの夏でございますから存分にお楽しみくださいませ。

たまにはプールなんかもよいかもしれません。私、浮かんでおるだけですが。

隈川

うつろ

隈川でございます。

お嬢様にももしかしたらご経験があるかもしれませんが、人間は心の芯が失われるとこれまで普通にできていたことができなくなってしまいます。

心の芯というのは人によってそれぞれで、夢であったり、物であったり、ペットや植物であったり、誰かとの関係であったり、長く信じてきたクレドであったり。心の根幹の部分でございます。

その芯が揺らぎ、なにかのきっかけで抜けてしまうとそこはうつろとなり、ふとしたとき、呼吸をするようにあらゆる感情を呑み込んでゆきます。

美しい景色から目を背けたくなる。
素晴らしい音楽が響かなくなる。
誰のどのような言葉もふさわしくない、名前のない澱のようなものだけが心に残ります。

これまであたりまえにできていたことが、わからなくなってしまうのです。

このうつろの埋め方に答えはなく、きっとすぐに埋まるものでもありません。
けれど、少しずつ、すこしずつ、傷口が治っていくように痕を残しながらうつろは塞がってゆくのかと存じます。

もしも、お嬢様がいつか心の芯を失い、ご自分のなかのうつろとの向き合い方がわからなくなったとき、これまで通りができなくなってもどうか焦らないでください。強くあろうとなさらないでください。

私も上手にはできておりませんけれど、弱くて不器用なままで、それでも丁寧にゆっくりと向き合うつもりです。

使用人という存在にできることを、もう一度はじめから考えてゆこうと思っております。

隈川

便利

ご機嫌麗しゅう、隈川でございます。
世の中にはどんどん便利なものが増えて、かつて描いた未来というのは地続きでやってくるのだなぁ、と思うこの頃でございます。

伝統を重んじる当屋敷に身を置いておりますと、過度に科学的な物や近代的な物を主人の目に入れないことが暗黙の了解と申しますか、それが当たり前に感じるようになります。

とはいえ、近頃は本場英国の執事たちも最新機器を使いこなし、スケジュール管理や連絡の利便性が向上したことにより以前にも増して行き届いた執務を実現しているそうです。

ここからは私の持論ではございますが、新しい物や流行をハイカラすぎる、雰囲気にそぐわないと突き放すのではなくいかに伝統に組み込んでゆくかが大切なのではないかと最近は思います。

すべてを便利にする必要はございませんが、そこで生まれた余力をもっと有益に主人の為に注げるのであれば、それは素晴らしいことかと存じます。

なにより、重んじるべき伝統の正体を自分の頭で考えることを放棄すれば、そこには化石的な意地しか残りません。

あえて手のかかる手段を選択することにより生まれた想いが、本物のしきたりを作ってゆくのでしょう。

昔、伊織が申しておりました。
「便利すぎてもよくないんだよ」
という言葉は塩梅を自分で考える大切さも込められている気がします。

そういえば、私も屋敷に勤める以前はそれなりに世間一般の若者らしく流行であったり最新技術に興味がありました。

…え??
スマートフォンが普及し始めてから20年経ってる??すでに世間的には伝統的な技術…

さ、左様でございますか。
20年…

隈川

ふつうの木

ご機嫌麗しゅう、隈川でございます。

子どもの頃、桜の枝から花が散り新緑に移り変わることを「ふつうの木になった」と表現しておりました。

成長して、ふつうの木という名前の木も雑草という草もないことを知りました。花が咲いていないときにも桜は桜。

人間だって、そうです。
街ですれ違う人たちも、自分の身近にいる人も、そして自分自身も、同じように名前のない者はいないのです。

たとえうまくいかないときも私は私。
笑顔がお上手に作れない日でも貴方様は貴方様。

咲いているときだけが人生ではございませんね。葉っぱの時期も、枝しかない時期も慌てないで存分に楽しみましょう。

隈川

風船

ご機嫌麗しゅう。
隈川でございます。

幼いころ、飛んでゆく風船が恐ろしゅうございました。

まだ力を込めるのが下手くそな私のちいさな指から逃げるのはさぞ簡単だったのでしょう。ふわふわふわふわ。

別れのあいさつのように細い紐をぶらつかせながら、どこまでもどこまでも高く昇り、空に吸い込まれてちいさくなってゆく赤い風船。

もちろん空の高さも恐ろしかったのですが、もう二度とあの風船と会うことができないんだ、風船は僕のせいでいなくなってしまったんだ、という不可逆性がなによりも怖かったのでしょうね。

しばらくの間、空に向けてゆっくりと落っこちる夢をみてはうなされては目を覚ましておりました。

 

お嬢様はご幼少のころ、恐ろしかったものはございますか。

…え?
お嬢様が危ないことをなさったときに「本気で怒った爺や」が怖かった、ですか。
あぁ、私はそのころの藤堂執事を存じませんが想像すると、ふふ。

なんだか、良うございますね。

隈川