12月

【Fianco a Fianco】

お屋敷でお給仕を始めた間もない頃から、時任執事に、私もいつかカクテルを作ってみたいと、将来の夢を語る幼子のように真っ直ぐな目をして伝えておりました。

来る日も来る日も、幾度となく伝え続け、ようやく許しを得ましたカクテルデー。

名前がFianco a Fianco(フィアンコ ア フィアンコ)、イタリア語で支える、寄り添うという意味がある優しい言葉でございます。

私は使用人としてお嬢様、お坊ちゃまを支える身でございます。
しかしながら、支えるだけであらず、喜びにも悲しみにも寄り添いあえるそんな人でありたいと、そんな私の思いを汲み取っていただき、出来上がったものが“爽やかなレモンとヨーグルトクリーム“に“桃と苺とマスカットに甘いクリーム”という優しさも悲しみも包み込む様なカクテルでございます。

作るものが決まりましたら、当日までただひたすらに練習を繰り返しました。

お給仕終わりには時任執事に付き添ってみていただき、自室に帰っても感覚を忘れぬ様にと何度もシェイクの練習をしました。

うまくいかなくとも心が折れず、毎日がむしゃらに続けられたのは、きっと前向きな言葉をずっと投げ続けてくれた時任執事のおかげでございます。

助けられてばかりの初めてのカクテルデーでございましたが、私はこの一回で終わるつもりはございません。

叶うのならば、また来年時任執事とカクテルデーができる様に『一緒にカクテルしましょう!』と何度も伝えてみようと思います。

十一月

心臓から頭の先を巡って足先に至るまでに、血液と共に鉛を運んでいるのではないのかと考えてしまうほど、体がグンと重くなり、息は絶え絶えで、もう、いっそのこと諦めてしまおうかと弱い心が見え隠れをします。

『合計で百キロ、今月中に走り切る」

十月中旬に思いつき、意気揚々と走りますと宣言した私は朝晩、お休みの日でもお給仕の日でも、目標を達するために無我夢中で足を前に運びました。
スタートを切った序盤、私は余裕なのではと錯覚しました。
思った以上に動く体と無尽蔵にも思える疲れを知らない体力。普段から沢山歩いてるおかげもあるのか、軽快な足取りでございました。

ただしかし、辛くなってくるのは中盤からでございました。

一周がおおよそ三キロの外周を三十と半分。二周目に入るも、景色が一向に変わらない。なのに疲労が顕著に見え始め、心が消耗し出す永遠に続くと感じてしまう地獄。
走りながらも私は、一度でも止まってしまうと、もう二度と走れない、走りたくない。そんな予感めいたものを感じていました。
よくゴールのないマラソンほどキツイものはないと聞きますが、ゴールが見えているからこそ、その道のりの長さに苦しむことはあるんだと、知る良い機会になりました。

残り数日、目標までは二十五キロ程。

以前、なぜこんな無謀なことを始めたのかと聞かれたことがございます。

「普段から社会勉強等、ご自身のことを一生懸命にこなしてるお嬢様、お坊ちゃまを見て、私も負けてはいられないと思いました」

この言葉に嘘はございません。
けれど、私も人間でございます。
綺麗事だけではない本音というものもございます。

それは昔からの憧れでございました。

私の姿を見て、誰かに、明日も頑張ろうって、そういう気持ちにさせることができる、自分になりたかったから。

私が成していることは所詮自己満足だと、このような考えは身の程知らずなことであると頭では理解してます。

それでも成し遂げたいと思ったのが私でした。

目標を達成することを決めた最終日。ちょうど休館日の真ん中の日に、私は覚悟を決めました。

 

時間にして三時間と少々、距離にして二五.八キロ。

 

普段走る二倍以上の距離を走り切り、見事自分で掲げた百キロに到達しました。

走り切った私は終わったことへの喜びと感動と、自然に溢れる涙と心の底から湧き上がる達成感を噛み締めながら『こんな私でも、いつか憧れた自分になれたらいいな』とこれからも頑張っていこうと、前向きになれる挑戦になって良かったと思いました。

また、私卯月は日本紅茶協会認定ティーアドバイザーの資格を取得いたしました。

あの日夢見た自分自身になれるよう、これからも精進してまいります。

お嬢様、お坊ちゃま、

温かな紅茶たちと共に

お早いご帰宅をお待ちしております。

十月

茹るような暑さと肌にまとわりつく熱気、立っているだけで額に汗をかく季節が終わろうとしている今日この頃。

あと数ヶ月もすれば今年も終わる事実に驚きを隠せませんが、残りの数ヶ月で何を果たせるか、何が出来るかを考えるのも楽しいかもしれません。

私はと申しますと、残りの数日を使い毎日のランニングを頑張ろうと思っております。

しかしながら、ただ走るだけというのは味気がないと思い、目標を立てることにいたしました。

合計で100キロ。

途方もない数字に見えますが、朝晩空いている時間で走り切ろうと思います。

嬉しいことに小早川も室戸も、私がちゃんとやり切れるか時折見守ってくださることに。

こんな素敵な同期に出会えたことに感謝と期待を裏切らないように決意が固まりました。

お嬢様、お坊ちゃまも、もし残りの月日で成し遂げたい目標がございましたら、達成できますよう、息を切らしながら祈っております。

九月

これは私の夢のお話でございます。

 

時は五年後か十年後か、はたまたもっとその先なのか。

いつも通り燕尾服に身を包み、今日も帰宅なさるお嬢様、お坊ちゃまの優雅なティータイムのお手伝いを。

髪は伸びてるのか、背は伸びてるのか、前髪は短いのか、それは分かりませんが、今の私よりお給仕の姿勢に成長があると良いなと思います。

変わることのない場所で、シャンデリアはいつもより輝き、翳り一つない楽しそうな笑顔と賑やかな声が詰まった私の居場所。

そこで疲れを知らずピンチに動ずることがない。
紅茶のことを聞かれても、アルコールのことを聞かれても、食事のことを聞かれても、全てに余裕もって答えられる。
どんな些細なことから期待を込めたことまで全て応えられる。

そんな一人前の使用人としてお嬢様、お坊ちゃまに仕えること。

 

これが私の夢のお話でございます。

 

私がティーサロンに降り、お嬢様、お坊ちゃまに仕える始め、あっという間に半年経ちました。

まだ成長途中の私でございますが、これからも優雅なティータイムを過ごしていただけるように努力してまいります。

お嬢様、お坊ちゃま、扉が開くその時を楽しみにしていたくださいませ。

八月

シンプルな薄い桃色に少しだけあしらわれた刺繍模様が素敵なレターセット。
私には似合わないものだと思いながらも、フルーツがたくさん実ったシールと一緒に購入いたしました。目的は桃といちごです。

なぜ、私に似合わぬこんな可愛らしいものを集めたのかと申しますと、実は最近読んだ作品の影響でございます。

『想いを伝えることは簡単なことでございますが、想いを伝えることはとても難しいことである』

まるで矛盾している言葉ではございます。

しかしながら、この言葉は本質を得ております。

例えばでございます。
感謝を伝えるはありがとうと口にします。
謝罪をするときはごめんなさいと言います。
応援する時は頑張れと声を張ります。

どれも簡単に伝えられる言葉でございますが、シュチュエーションが変わったり、伝えるべき相手が変わると、その簡単が簡単でなく難しくなる時がございます。

私が最初に思い浮かべたのは、地元で実家を守っている両親です。

長年、無償の愛を私に注いでくれて、わがままを聞いてくれて、私を育ててくれた二人には、上手く感謝を伝えられない時があります。

面と向かってありがとうと伝えようとするとどうしても恥ずかしさが出てしまいます。

けれど、感謝を伝えることは大事なことである。さらに言うと伝えられる時に伝えなければその意味がないとも、作中で語られて、私は意を決しました。

私の伝えたい想いは上手く言葉にできただろうか。

そんな一抹の不安を抱えながら、返事を待つのも少しだけ楽しいと思う今日この頃でございます。

七月

お嬢様、お坊ちゃま、ご機嫌麗しゅうございます。

お日様が昇るとひまわりが顔を上げ、お月様が目を覚ますと星たちが踊り出す、先月よりも高く澄み渡る青空が一層美しい季節がやってきました。

外を歩けば額に汗が滲み、針を刺すようにチクチクと肌を焦がす熱はいまだに慣れないものがございます。

しかし、それもこれも氷菓を美味しく食べるためのスパイスなのではないかと思い始めました。

スイカに塩をかけて食べるように、酢豚にパイナップルが入るように、ほんの少しの特別がこの夏という季節を楽しませてくれる。
そう思うとただ暑いだけ、なんて言ってる場合ではございません。

四ヶ月にも満たない短い期間をどう楽しむかはご自身で決めるもの、良いものにするのも悪いものにするのも、全てご自身がもたらすものでございます。

そんなことを言っている私はと申しますと、実は新しく始めた趣味でありますバイオリンを密かに楽しんでおります。

まだまだお嬢様方の前で演奏するには実力が足りませんが、いつか楽器をものにできた時に披露させてくださいませ。

そして叶うことならお嬢様、お坊ちゃまの夏の思い出を私にもお教えくださいませ。私はいつでもティーサロンにてお待ちしております。

六月

休日、お昼頃。

「なんだかハンバーグが食べたい」

それは食品、日用品のお買い物に出ていた私の脳内に突然現れた。
一度気づいてしまうと、なかなか頭から離れない欲望(ハンバーグ)。
その欲は一秒、また一秒、時間が経つことに風船が膨らむように大きくなっていきました。
お昼ご飯を何にするかは特に考えていなかったからそれでもいいかな、と私の思考はハンバーグの方へ引き寄せられていく。
都合のいいことに、パン粉や卵、ひき肉は部屋の冷蔵庫の中に入っており、付け合わせやソースなどを揃えれば難なくハンバーグが食べられる。
点と点が繋がって一本の線になるみたいに、朧気に見えていた道筋が明確になったことで、私のその日のお昼ご飯が決まりました。

決まるや否や、おもちゃを目の前にした子供のように目を輝かせながらブロッコリーにじゃがいも、玉ねぎ等の必要そうなものをカゴに入れていきました。

あらかた買うものも集まりきった頃、ありきたりなアニメーションなどではお決まりでございますが、順調に進んでいるところに難所が現れるものです。

「おろしポン酢にするかデミグラスにするか」

調子良く素材を集める私の目の前に現れたのは本日最大の敵、もといハンバーグにかけるソースでございます。

普段であればおろしポン酢一択ですが、今日は少し濃い味が食べたい。

一つでも選択肢を間違えたらそこで試合が終了してしまうような、謎の緊張感がよぎり額に汗が浮かぶ。
優柔不断というわけではないけど、最高に美味しいハンバーグを作ろうとすると、簡単には決めきれない問題だ!

 

などと、ここまで書いていながら、私は結局卵と鶏のそぼろを白米と一緒にいただきました。

卯月くんは部屋に戻り食材や日用品の片付け整理をしていたら調理がめんどくさくなってしまったようです。

色々考えて、たくさん用意しても、上手くいかないことなんて生きていればざらにございます。

だからこそ、失敗しても次(回以降の自分が)頑張ればいい、その学びの日だったと思うことにいたしました。

もしも今、お嬢様やお坊ちゃまで悩んでいる方がいるならば、あまり頭を抱えず、少し力を抜いてみるのもいいのではないでしょうか。

お嬢様、お坊ちゃまであれば何であれきっと上手くいくのだろうと卯月は思います。

けれど、もしも今日のお昼ご飯で悩んでしまうのなら、使用人一同、美味しい食事と温かい紅茶と一緒にお待ちしておりますので、ご帰宅くださいませ。