雨の夜に怪談を

敬愛せしお嬢様へ

まさに季節は夏。叶うものならお出かけをお止めして、涼しいお屋敷でずっとお過ごしいただきたいような、そんな日々が続いております。

とは言えど、時と場合によってはどんなに尊き御方でも、暑さに耐えて過ごさねばならぬ時はあるものでございまして

暑さに抗うためにと、古来から現代に至るまで涙ぐましいほどの努力と文化が生まれてまいりました。

古来のものを見てみますと、行水や川床といった合点のいくものから
キュウリやスイカといった体温を下げる瓜系の品をいただく文化が遥か江戸の世に完成していたり、朝顔を育てて格子に絡ませ、その保湿力を活用したりと
よくその時代にその手法に辿り着いたものだと驚くものも多うございます。

その一方で、合点がいくようでゆかぬのが「怪談」でございましょうか。

これも間違いなく真夏の風物詩ではございます。
怖い話をしてゾーッとして暑さを忘れるという論理ではございますが
それを風情と称するべきか、心理的錯覚にまで手を伸ばしたその万策尽くす姿勢に感動するべきなのか悩むところでございます。

と思いましたら、調べてみたところ
恐怖を感じると、鼓動の活発化に対する血管の収縮などにより
事実、体感的に涼しくなるとのことでございました。
まるで科学的根拠のない謎の習慣のような言い方をしてしまい、見識の狭さを恥じるばかりでございます。

‥いや逆に。
科学的実証もできないその時代に、おそらく経験則だけで恐怖を納涼の手段と認識しているの凄うございませんか?

やはり文化とは経験則の積み重ねでございますね。
最初に怪談を始めた方や、最初にナマコを食べてみた方にぜひ会ってみたいものでございます。
友達にはなりたくないですが。

話が逸れました。無茶苦茶逸れました。
荒木田くんがジョークを披露した時の、皆の視線ぐらいそr。

…話を戻しましょう。

というわけで、何と此処からが本題でございます。
怪談がそのように納涼に役立つならば
私もひとつ、ちょっとした怪談を披露しようかと思い立ちました。

ゆえに此処からはいわゆる「怖い話」でございます。
そういったお話が苦手な方、お嫌いな方はこれ以上ご覧になってはいけません。

——————————

 

これは随分と昔。時任がまだ名もなきバーテンダーであった頃に聞き齧ったお話でございます。

 

舞台はとある街のバー。
機関車のオブジェが置いてある広場に面した、駅からすぐそばの雑居ビルの2階。
大きな窓があり、機関車のオブジェも広場を行き交う人々も見渡せるバーでございます。

店主は職業柄を超えてもなお酒好きが過ぎる方で
カウンターの後ろ、壁一面を埋めるボトル棚には多彩な洋酒がぎっしりと並び
特にボトル棚の最上段には、私財を投じて買い集めた稀少なお酒、珍しいお酒がずらりと並んでおり、店主の自慢話のタネでございました。

そんなバーに集う方々もおのずとお酒好きな方ばかりで
老若男女、社長から学生まで、ただ筋金入りの酒好きという点だけ共通した様々なお客様が、緩くカーブを描く、8席ほどの椅子が並んだ赤茶色のカウンターに毎夜集っておられました。

そんなバーによく通われていたお客様の一人に、シゲさんという方がおられました。
いつもカウンターの一番入り口側、端っこの席が指定席。
シゲさんとだけ呼ばれていて、本名は存じ上げません。
当時おそらく30代後半ほど。小柄で、ちょっと長い髪を後ろでちょんと結んでおられて、お近くで製造業をなさっておられるせいか、作業着のようなお召し物でそのままご来店なさることが多かったような印象です。

自身で製造業を営んでおられる、言わば若社長という立場の方でしたが
周りの方曰く「お人好しすぎるから」あまり羽振りが良いとは言えない方で、いつもウィスキーをロックでゆっくりと、惜しむように舐めるようにお呑みになっていらっしゃいました。

酒量をわきまえず泥酔する、あまり良くない飲み方をする方ではありましたが
このバーの方々は(店主含めて)大体その気配がございましたので特に追い出されることもなく。
むしろ大酒を飲んで泥酔しつつも、常にご自身の懐加減だけはきちんと把握しておられて、当時よくあった「気が付けば手持ちの金額を超えていたのでツケで」なんて事を一度もしたことがない方でした。

まぁ。
手持ちが寂しくて、それでいて大酒飲みで、かといって自身の懐具合は分かっているとなると、なかなか思うように飲めないものでして。
店主が新入荷のお酒や稀少なお酒の自慢話を始めたり、他の常連客が美味そうな酒を満足げに傾けていたりすると、それは羨ましそうな顔でそれを見ていたものでございます。

そうなると酒飲みの妙といったもので。
店主も酒好きが過ぎて採算度外視なところがございましたから「ちょっと味見してみる?」なんて高い洋酒を出してあげたり
他の常連の方も「一杯奢るよ」と同じお酒をシゲさんに注文してあげたりする事が良くございました。

そうすると、それはもう嬉しそうに呑むものですから、
店主や他の常連客も気持ちよく奢ってあげてたものです。
それともうひとつ、気持ちよく奢れる理由がありまして、シゲさんの口癖は「酒で返すよ。」でございました。

シゲさんは羽振りは良くありませんでしたが、ツケで飲んだりましてや他の客からお金を借りたりすることは一切なく、先ほどのようにお酒をご馳走してもらった時も

「必ず返す!今日は手持ちがないけどいつか酒で返すよ。」

そう言って。
そして本当に忘れることなく、後日少しだけお財布に余裕がある日などに
店長に「この前のお礼に飲みなよ」と呑ませてくれたり(そして店長が泥酔して寝たり)、常連の方に再会したときに必ずお礼にと奢り返したり。義理堅く必ず「酒で返す」お人でした。

そんな、どうしようも無い酒好きだけど、良い人が集っていたバーのある夜。

謙虚で義理堅く、酔い潰れる以外は問題を起こしたこともなかったシゲさんが
ただ一度だけ、店長と言い争った事がありました。

ことの発端は、いつものように店長が私財を投じて買った、とても稀少なお酒。
人の人生丸々一回分ぐらいを熟成期間に充てた、とても有名なウィスキーの逸品でした。

小学生や中学生の年齢ぐらいの熟成年数であっても、とても薫り高くコク深く、溶けそうな美味さをもつこのウィスキーが、
人間一人の人生分熟成したらどんな味だと思う?と、店長はいつものように鼻高々に自慢話を酒の肴にしておりました。

しかしまぁ、自慢はするものの
今回はよく酒に私財をはたく店長でも、一生の買い物クラスの段違いの品。
当然値段もあまりにも段違いでして、いつもは店長の自慢話に乗って、大枚叩いて一杯いただく常連たちも、一番羽振りの良い社長衆すら手も出そうにありません。

そして流石に店長も、全血液がアルコールに変わるぐらい酔ったとしても、いつものように「味見してみる?」なんて大振る舞いをできる品でもありませんでした。

誰もが手の届かないダイヤモンドのような酒瓶を見上げながら、身の丈に合ったお酒を舐めていたとき、何故だかシゲさんだけは異常にそのお酒に固執してきたのです。

いつものように店長が「味見してみる?」とグラスを出してくるのを期待していたのか、シゲさんは、じっと安酒のグラスをちびちび舐めながら店長を見つめていました。
だけど
いつものような羨望の視線ではなく、
飢えたような 取り憑かれたような そんな剣呑な視線で。
気まずくなったのか、店長が自慢話を止めて、黙って目の前のグラスを磨き始めたとき
いつもの優しい声とは違う。唸るような、哀願するような、低い声で

「店長。頼むよ。そいつを味見させてくれないか。」
シゲさんがそう言葉を発しました。

途端に不自然なほど、お店の中はしん‥と静まり返りました。
店長が驚き言葉を飲んでしまったせいもあるでしょう。
いつも安酒だけ飲んで、たまに良いお酒を店長や他の常連客に奢ってもらうことの多いシゲさんでしたが
今まで一回たりとも、自分からこのようにねだって来たことはなかったから

そういう驚きもありましたが

バーとしては照明は明るい方のこの店内。それなのにシゲさんの顔は濃く影が掛かり
じっと懇願するように据えられた、その目だけはいやにハッキリと見えて
落ち窪んだ頬、目の下に穿たれた隈、濁って瞳孔の輝きが見えない瞳。
「正直、生きている人間に見えなかった。」とのちに何度も言っていたぐらい酷い表情のシゲさんを

店長も他の常連客たちも異様なものとして感じ取っていたようでした。

「いや、シゲさん勘弁してよ。流石にこいつはグラスにちょっとでも、俺の給料一月分ぐらいしちゃうんだよ?」
そんな視線から逃れるように、冗談めかして
店長はおどけた口調で断って見せたのですが

「何でだよ!頼むよ。いつもちょっとだけ呑ませてくれたじゃ無いか。」
何故だかその夜は、シゲさんは異様に食い下がりました。
「頼むよ。いつものようにちゃんと返すからさ。酒で返すよ。返さなかったことなんか無いだろう?」

「いやシゲさん、困るよ。そんなこと言ったって、シゲさんのお酒じゃ1000杯貰ったって釣り合わない金額になっちゃうよ。」
その様子に戸惑いながら、店主は気まずそうに断りの言葉を重ねますが

「なぁ、誰か頼むよ。コレを一杯奢ってくれないか。なぁ、必ず返すよ。酒は酒で返すから。」

シゲさんはついには、他の常連客一人一人に詰め寄るように、呑ませてくれとせがみ始めたのです。

酒の金額ももちろんですが、そのシゲさんの異様さに
いつもは笑って奢ってくれていた常連客たちも、返事も出来ず目を逸らすことしかできません。

「なぁシゲさん。」
流石に見かねて、店長はカウンターの外側へ周り、
「今日はきっと飲み過ぎか、疲れすぎだよ。
悪いけど、他の客に迷惑かけるなら今日は帰ってくれ。」
おそらく酔い過ぎているであろうシゲさんの体を支えながら、外へと連れ出そうとしますが

「なぁ、頼むよ!
一杯だけ、一口だけで良いから!
いつも呑ませてくれたじゃ無いか、何でだよ!」
シゲさんはついには怒鳴り散らし始め、ついに堪忍袋の尾が切れた店長に外へと追い出されてしまい、
そして渋々に店を立ち去ってしまったのです。

お店の窓から見える、駅前広場をよろめくように歩み去っていくシゲさんの姿が
とても寂しげで悲しげで、
仕方ないとはいえ、店長も常連客たちもその日は気まずい気分のままで、店仕舞いまで話が弾むこともありませんでした。
そして。
それから一週間のあとのこと。

 

それは真夏の雨の日でした。

 

駅前の広場を見渡せる大きな窓には、無数の罅割れのように雨粒が流れ続け
そんな雨粒のカーテンの向こうには、広場を慌てて行き交う人々の姿がまばらに見える程度でした。

カウンターには常連のお方がただ一人。
夏だというのにどこか肌寒く、空調を切っても冷たい風が、どこからともなく背を冷やすような夜。

店主もどうも酒を呑む気にも、騒ぐ気にもなれず。
同じように気怠そうにグラスをあおる常連と向き合って、ただグラスを磨き続けていたそうです。

「シゲさんはあれから来てないのかい?」
何と話に問いかけた常連客の言葉に
「見ないねぇ。気にせず来てくれたら良いんだけど。」
あの日の気まずい思いを甦らせて、少し沈んだ気持ちで店長は応えながら、雨粒の流れる窓を見つめていました。

雨に濡れる窓越しでは外の景色は見え辛く、まるでステンドグラス越しのように
滲んだ景色しか見る事ができませんでした。

「あれ?」
店長に釣られてか、雨の流れる窓を眺めていた常連客が、何を見つけたのか
手を伸ばし、窓の曇りを手で拭って、外を覗きこみました。

「店長、あれシゲさんじゃないかい?」
手招きしながらそう言う常連客の言葉に、店長もカウンターの外へと周り
雨と気温差で曇った窓を少し拭って、外を覗きこんでみました。
「ほら、機関車の端っこのあたり。ちょうど影になっちゃってるとこ。」
雨が降りしきる中、傘を手にせわしく人々が行き交う駅前の広場。
その広場の端の、ちょうど街灯の狭間になる辺りに
なるほど、シゲさんと思しき、小柄な作業着姿の人影が見えました。

この雨の中だというのに傘もささず。
雨宿りをしているようでもなく、ただ雨に打たれながら
ちょうど街灯の影に紛れてよくは見えませんが、こちらを見上げているようにも見えます。

「シゲさんっぽいねぇ。あんなところで何してるんだろう?」
「この前のことが気まずくて、来るか迷ってるんじゃないのかい?」

だとしても
こんな雨の中に傘もささずに何をしているのだろう。

そう訝しむ店長の視界の中で、通りかかった路線バスの灯りが広場前を照らし
街灯の狭間でよく見えなかったシゲさんの姿が照らし出されました。

「シゲさん‥?」

力なく立ち尽くす細い体。痩せこけて窪んだ頬、どす黒い隈を引きずった、そこだけ異様にはっきりと見える見開かれた瞳。

あの夜、店長たちを怯えさせた異様な姿が更に酷くなって、シゲさんはそこに立っていたそうです。

その異様な目が、すぐ近くの広場とはいえじっと自分の方を凝視しているのが怖くて。
店長は窓のそばから離れ、カウンターの内側に戻り、気分を落ち着けようとタバコを一本咥えて火を付けようとしましたが、不思議とライターの火が全く付かなかったそうです。

「間違いなくシゲさんだなぁ。何やってるんだろうね。」
何かいやな空気を振り払うように、店長は常連客へと無理に明るく作った声で話しかけますが。
常連客はというと
凍りついたように手元に取り出した携帯電話を眺めていました。
その表情は引き攣り、汗が額いっぱいに滲み出ていて、明らかに異様な様子でしたが
どうしたのか店長が問う間もなく。常連客は携帯電話を持ち直し、どこかへ電話をかけ、そして怒鳴るように話し始めました。

「ちょっと、俺だけど。何だよさっきのメール!冗談にしてもあり得ないだろ!」
「え?何だって?何を言っているんだ?
もう先週の話?え、じゃあ、あの後に‥?」

携帯電話に向かって怒鳴り散らしていたかと思うと、見る見る表情を青褪めさせて
黙ってしまった常連客に、店長が何事かと視線を向けると

「店長。」
電話を切った常連客は、震える声でこう言ったのです。
「シゲさんが亡くなった。
先週。きっと、あの時のすぐ後だ。
経営が行き詰まって為すすべなく、その責任をとって、って、話らしい。」

「何の」
冗談だよと
言おうとして言えず。笑おうとして笑えず。ただ頬を歪めただけの表情で、
だって今そこに居たじゃないか。なんて酷い冗談を言うんだよ。
そう責め立てようとする言葉も口から出ることなく、
店長は雨に曇った窓越しに、もう一度シゲさんの姿を探そうとしました。

「居ない‥。さっきまで確かにあそこに立っていたのに。」
青い顔で窓を覗き込む常連客も、小さな声でそう呟きました。
「本当なのかい‥?」
「信じたくないけどな。小さいけどニュースにもなってたよ。」

「あの酒、最後に呑みたかったのかな。」
ぽつりと言葉を漏らした常連客に、店長が言葉を返そうとした時

カラン。

と、店の入り口に設えているベルが控えめに鳴りました。

凍りついたように
この言葉がこれほど適切なこともそうは無いでしょう。
真夏の夜だと言うのに耐え難いような寒さを感じながら、店長も常連客も、恐怖のあまり視線一つ動かすこともできず、その場で動かず立ち尽くしていました。

びちゃり、びちゃりと
湿ったような小さな足音がして
カウンターの一番端に、誰かが座った気配がします。

誰か
雨の中たまたま来ただけの、他の誰かであるかもしれないと
そんな変な希望を抱いて、店長は視線をカウンターへと向けましたが

落ち窪んだ頬、隈に包まれたギラギラした目。
濡れ鼠の作業着姿のシゲさんが、カウンターに座ってじっとこちらを見ていました。

「シゲさん。」
震える声で店長がそう呼ぶと
「店長。」
シゲさんはゆらりと、件の店長自慢のウィスキーを指差して
「頼むよ。あの酒を呑ませてくれないか。」
小さな小さな声で、そう哀願してきたのです。
「必ず返すからさ。ちゃんと、酒で返すからさ。」
凍ったように体が動かず、恐怖に縛られて口が動かず
どれだけ、同じように身動きもしないシゲさんと見つめ合っていたことでしょうか。

「あああああ!!呑ませてやってくれ!もう嫌だ店長!俺が全部払うから呑ませてやってくれ!」

不意に、限界に達したのか、店の端で固まって震えていた常連客が、泣きながら絶叫してしまい。
その声に弾かれたように、店長の体は動くようになったそうです。

ああ
呑ませてあげりゃよかったな。
そんな辛かったなら酒なんかいくらでも呑ませてやりゃよかった。
あの時飲ませてやってりゃ、シゲさんも亡くなった後まで、こんな思いしなくて済んだだろうに。

不思議と怖さは無くなっていました。
ただ、何年もこのカウンターで一緒に酔っ払ったシゲさんのことを色々と思い出しながら、グラスを拭き上げ、氷を丁寧に転がして馴染ませて。
人生1回分ぐらい熟成した貴重なウィスキーの栓を何の迷いもなく抜き
ほんの30mlで給料1ヶ月分になってしまう貴重な液体を、迷いなく丁寧に、たっぷりと注ぎ入れ

「どうぞ。」

今まできっと、何十回も何百回もそうしてきたように
シゲさんの前に、グラスをそっと差し出しました。

「‥美味いな。」
シゲさんはそれはそれは美味しそうに、何度もグラスを傾けて。
店長は何度もグラスにお酒を継ぎ足してあげていたそうです。

「本当に美味いよ。ありがとう。」

何度も何度もそう呟くシゲさんの声を聞きながら、どれだけの間そうしていたのかも分かりません。
ただ、ふと店長が我に帰った時、
いつのまにか雨に止んだ外からは、駅前広場からの人々のざわめきが聞こえてきて、
カウンターに座っているのは、震えて蹲っている常連客ただ一人。

カウンターの一番端の席。綺麗に空っぽになったグラスだけが、残っていました。

 

「流石にそれっきり、シゲさんの姿は見てないね。
そう何度も何度も化けて出られちゃあ、こっちも商売あがったりだけどさ。」

そう言って、店長はこの話を締め括りました。

お話の中と同じ雨の夜。
本当か作り話かは分かりませんが、夏の暑気払いにと店長が話してくれた物語は
最後に店長ご自慢のウィスキーをいただいて終幕のようです。

「これがお話にあったウィスキーですか。
でも、給料1ヶ月が吹っ飛ぶ値段じゃなかったですか?」
「話を聞いてくれた人には特別割引するよ。
と言いても安くは無いけど、後悔させないぐらい美味いから安心してくれよ。」

店長自慢の秘蔵のウィスキーは、とても香りが深くてまろやかで
おっしゃる通り味わう価値のある良いお酒でした。

「こんな良いお酒を、こんな気前よく振る舞ってもらって大丈夫なんですか?」
「ああ、随分と保ちが良くてね。不思議とぜんぜん減らないんだよ。
まぁ、そんなに頻繁にこの話をしているわけでも無いしね。」

年季の入ったボトルを大切そうに棚の一番上に戻して、店長さんはそう答えてくれました。
棚に戻されたボトルは、ちょうど半分ほどの液体を湛えて、とぷん。と水面を揺らしているのが見えました。

「本当ですね。まだ随分と残ってる。」
「なんか半分から減らない気がしてるよ。何だったらたまに増えてる気がするんだよね。」

そう言ってグラスを片付けている店長さんの笑い声に混じって。

カウンターの一番端あたりからでしょうか
こんな声が聞こえた気がしました。

 

「ちゃんと酒で返すって言っただろ。」

夏の避暑を考察する

敬愛せしお嬢様へ

真夏を先取りしたような夏日が続き、庭師もなかなかに庭園の維持に奔走しているようでございます。
お嬢様におかれましてはご健勝であられましょうか。

暑い暑いと茹ってしまう日々ではありますが、嘆いたところでこれも季節の定め
あと数ヶ月は逃れることのできぬ運命でございます。
こと、使用人たちにつきましては勤めの命ともいうべき燕尾服やモーニングコートを着用しておりますゆえ、暑さへの対策もそれなりに要するところ。

それぞれの小さな工夫がお嬢様のお役に立つこともあるやもしれませぬゆえ
此度は「夏の暑さに抗するちょっとした工夫」の数々と、その有効性について綴らせていただこうかと存じます。

近年の使用人たちが真夏によく利用しておりますのが、「メントール」でございましょうか。ハッカなどの成分が含まれていて、スーッとした涼感を感じることができるものでございまして
スプレーやウエットティッシュ形式など、さまざまなスタイルがあるようでございます。

燕尾服の内側やシャツに振りかけておくこともでき、デオドラント効果も期待できるため
愛用する者もよく見かけますが、欠点を挙げるなら「効力は人による」というところでございましょうか。

ハッカ成分の蒸発時に若干の放熱効果は望めるものの、この手段がもたらす涼感はメントールの刺激が冷涼感に「似ている」というものであり、実際に温度が下がっているわけではございません。
そしてこのメントールの刺激は、個人によっては涼感というより痛みや、ことによっては灼熱感と感じてしまう方もいるため、逆効果になってしまうこともございます。
メントール系の品を暑さ対策に用いる場合は、事前のパッチテストが必須というところでございますね。

時任的には、ミントの清涼感はカクテルにおいては重宝いたしますが、肌につけるのは遠慮したい派でございます。

上記メントールに似た即時効果が望めるものとして「アルコール」がございます。
飲むわけではございません。
暑さが辛く体が火照る時など、アルコールを少量、腕や首筋などに噴霧あるいは塗布することにより、即座に気化するアルコールによる放熱効果を得る方法です。
衛生面でも効果が見込めますが、メントールと比べると即座に気化してしまうため持続性が無いことと、やはりメントール同様体質により可否が分かれるところが欠点でございます。

また、髪やお召し物に付かぬよう注意も必要でございますね。

一方、
やはり塗布する系統は頼れぬと、一部派閥が愛用するのは耐暑用のインナーでございます。
肌に触れた時の感触が非常に涼しげなもの、あるいは汗に触れたときなどに蒸発しやすく放熱効果を補助するものなどが世の中に開発されております。

シャツの内に着れば良いだけですので、扱いも非常に簡易でございますが、この方策の反対派意見としましては「そもそも一枚多く着ているので暑い」という本末転倒な問題点でございます。
‥まぁ、ごもっともでございますね。

大技として、このインナーシャツを冷蔵庫などで冷やしておいてから着るという技もございます。
が、衛生的観点から、個人所有の冷蔵庫でしかできませんので難しいところでございますし、これもまた持続性という点では全くもって駄目でございます。

お召し物を用いたテクニックとしては、涼感とはまた異なりますが
日本古来の技として「胸部を強めに圧迫するように服を着る」と、発汗や暑気を抑えられるという口伝がございます。特に、和服を着られる方などはお聞き及びではないでしょうか。

日本古来の口伝という繋がりで申しますなら「呼吸法」というものもございます。
暑気や発汗を抑えるには、呼吸を浅く広く、、、有り体に申せばすごく静かにゆっくりと呼吸をすると、暑さを感じづらいなんて言もございますね。

この胸部圧縮と呼吸法は、時任が我が身で試してみましたところ
プラシーボ効果を加味してもなお変化が見られる程度には、効果があるようでございました。
‥ただし、非常に息苦しいので、暑いか苦しいかを選ぶというかなり自虐的な選択肢になってしまうのは否めないところでございます。

などなど、諸方考察してみましたが、やはり物理的な空調や扇風機に勝るものはなさそうでございます。
大分以前に、ベルトの背中側に装着できる小型扇風機というものを発見し、フットマンたちに支給できないかと検討したこともございました。
背中から首筋にかけて風を抜けさせてくれるため、大変心地よく涼しい優れものでございましたが、お屋敷サロンでテストしましたところ常に「ゔぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃん」という機械音が響き渡り、メカフットマンにでも改造されたのかという有様になっておりましたため、残念ながら頓挫しております。

メカフットマン、、、、少年心をくすぐる響きでございます、、、。

使用人たちもこのように、万策尽くして見苦しくなきようお嬢様方をお迎えさせていただいておりますが、
何よりお外の世界へお出かけなさっているお嬢様方が暑さに苦しんでおられないかが我々の最大の心配でございます。
どうか策を尽くして涼しく心地よく、何より健康にお過ごしくださいませ。

もちろん、そのためにもティーサロンにていつでも
涼しいお席と爽やかなお茶をご用意して、お戻りをお待ちしております。

 

 

 

、、、、、、メカフットマン、、、、、良いなぁ。

 

 

執事散歩 自然公園編

敬愛せしお嬢様へ
ようやく春らしい暖かさが日常となってまいりました。
まだ夜に肌寒い日もございますゆえ、薄手のお上着は持ち歩いていただきたく存じますが
厚手のコートはようやくクローゼットルームの奥にて安眠を得られそうでございますね。

さて、春らしさも溢れてまいりましたところで
時任もお暇をいただいた日にまたフラフラとお散歩を嗜んでまいりました。
いつもは町中をそぞろ歩くことが多うございますが
良き季節でございますゆえ、この日は大きな庭園を訪ねてお散歩させていただきました。

 

 

 

 

 

季節の花が咲き誇っておりまして、青空とのコンストラストが素敵でございました。
来訪のお方々は皆お写真を撮られるのに夢中の様子で、老ご夫妻にシャッターを頼まれることもしばしばでございます。
多くの民衆に楽しまれる庭園、もしかしたら当家もかくあるべきなのかもしれません。

 

 

 

 

 

湖の近くには、優雅に水鳥がお散歩しておりました。
周囲の多くの方がその姿を収めようとシャッターを切られる中、意に介さず優雅に歩みを進めるその姿に、大物モデルの如き風格を感じました。
地中海の猫は観光客に慣れすぎていて、カメラを向けるとポーズを取るなんて言われますが
この鳥たちもそれに近しいのかもしれません。

 

 

 

 

 

広大な芝生の英国式庭園もございまして、それは立派な広葉樹が多くの人々を陽光から守る屋根のように枝を広げておりました。
ジブリ映画のワンシーンのようでございますね。
もしくはミキプルー‥いえ、何でもございません。

子供達がはしゃぐ遊戯施設や、時が止まっているような森の奥のレトロな売店など
のんびりと、かなり長いお時間お散歩を楽しませていただきました。
しかしさらに奥には山地があるようでございまして
元気そうなご老体の方々が矍鑠たる足取りで野の斜面を上っていかれるのを拝見し、思わず感心してしまいました。
次回またお伺いさせていただくことあれば、登山装備で来ようと思います。

登山?

そう申しますれば、山というものに久しく触れておりません。
先達の執事方からよく山の自然の良さを聞かせていただいておりましたので
機があったら山の自然にも触れに行ってみるといたしましょう。

 

そのまま野生の執事に返ってしまわないようにだけ、気をつけます。

 

お散歩日誌 いつもの道のり

敬愛せしお嬢様へ
春を待ち焦がれながらも、なかなかに厚手のコートが手放せぬ日々でございますね
お嬢様におかれましては恙無くお過ごしであられましょうか

どうも寒くなりますと出不精になり、ともすれば運動不足ともなってしまいますゆえ
お暇をいただいた日、お天気が良ければふらりとお散歩に出るよう心がけております。

お散歩のコースはその都度に風の吹くまま気の向くままというところでございますが
この季節におすすめでございますのは、湯島から歩み初めて上野に至るコースでございましょうか。
ちょうど先日もそぞろ歩いてまいりましたゆえ、今宵はそんなお話などいたしましょうか。

湯島の周りにはこだわりを感じさせる個人店の喫茶店が多うございまして、
時勢の名残かテイクアウトに対応してくれるところも多うございます。
お気に掛かった紅茶や珈琲のテイクアウトカップを片手に、湯島天神の庭園に足をお運びいただき見頃の梅の花を眺めながら一息ついていただくのがお勧めでございます。

陽光の中、梅の花を見上げておりますと
肌寒い中にも一欠片の春は感じられるように思います。

湯島を抜けまして歩みを進めるは上野方面でございます。
この辺りの古い街並みは、雑多さとレトロ感が入り混じり、個人的に好みの界隈でございます。
映画「スワロウテイル」を思わせるアジアンパンク感というのでございましょうか。
この地に生きる人々の息吹をリアルに感じながらもどこかディストピアさを感じる
日常をかけ離れて夢遊しているような錯覚に陥れる界隈でございますね。

さて、人様の住まう界隈で勝手にいつまでも夢遊してるのも良くありません。
気分に浸りながらもさっさと移動いたしまして、踏み入れるは上野恩賜公園。
陽光に輝く不忍池を抜けて、美術館方面に足を進めますと
広場周辺ではよく、さまざまなパフォーマーが妙技を披露なさっている場に出くわします。
音楽や絵画、ダンスにマジックと日によって多彩で飽きることがございません。
この日はまるで某ネズミ王国のように、乾いたアスファルトの地面に撒いた水で絵を描くというアーティストの方が、広場そのものをキャンパスとして腕を振るっていらっしゃいました。
芸術というものの地平は実に遠大でございます。

上野公園を抜けます頃には日も傾き始め、この頃に雑然とした上野の商店街へと足を進めます。
上野駅前には20年も前には、聚楽台と申します当時としてもレトロなレストランがございまして
古き良き洋食はもちろん、なぜか拉麺や寿司やカレーまでなんでもありの謎の名店であり
若き頃、上野に参りますたびにお世話になっていた記憶がございます。

今では「じゅらく」と名を変えて小綺麗なレストランになっておりまして、昔ほどではないものの、今でもレトロでカオスなメニューはお楽しみいただけるようでございます。
お近くに寄られましたらお試しくださいませ。

しかし今宵はそちらではなく、より雑然としたアメリカ横丁へ。
1日の終わりを迎えようとしている物売りたちの元気な声を横に、得体の知れないジャンルの衣服なども冷やかしながら(そして時々、何に使うかわからない雑貨をつい買ってしまいながら)さらに上野の深層へと潜ってまいります。

最後に腰を落ち着けるのは、上野ノミヤ街と呼ばれます界隈。
路上にまで溢れ出たテーブルと椅子。どこまでが店舗でどこからが屋台かもよく分からぬような混沌の中で、酒盃を掲げ笑いさざめく老若男女が集う場でございます。

お店の当たり外れが実に激しゅうございますので、どこに腰を落ち着けるかは長年の直感と運次第。
ちょっとしたコツだけそっと申し上げるなら
「お店が古くて綺麗であること」
「お品書きが外にも掲示されていて新しいこと」は当たりのお店であることが多うございます。

こういった地元のお店の良いところは、気さくに周りの方とお話ができること
実に人種職種豊かに集う場でございますので
それはもう学生から芸術家や役者、公務員に政治家、貿易商にレーサーまで
毎回全く知らない世界のお話など聞けて見識を広めさせていただいております。

愉快なお話と美味しい酒肴を楽しんで、盃三つひとときほどにて失礼させていただき帰路につき
明日どのように今日の旅路をお嬢様にお話ししようかなどと考えながら夜道を歩む
そんなお散歩道でございました。

 

 

 

 

別邸に到着すると
お酒くさいと嫌がられて鼻先を猫に引っかかれるまでが
お散歩日和のワンセットでございます。

画聖の愛したお酒

敬愛せしお嬢様へ
まだまだ続く寒さの中でございますが、梅の花が色づいていたりと
ほんの僅かながら春の兆しも感じる昨今でございます。

さて今宵は突然でございますが
フランス生まれのリキュール「スーズ」というお酒のお話をさせていただきたく存じます。
実は以前も他の場所で、このお酒についてお話ししたことがございますが、
この2月。時任がサロンにてのミニバー「tinyBLUEMOON」を務めるにあたりまして
この「スーズ」を用いました『シャルルジョルダン』なるカクテルをお品の一つとしてご用意しておりますゆえ、今一度このお酒について小噺をお届けしたく存じます。

「スーズ」は中世ヨーロッパにおいて非常に流行しておりました香草系のリキュールでございます。
リンドウの根を原料の一つとしておりまして、ほろ苦くも爽やかで香り高い風味が魅力でございます。
‥と申しましても要は根っこでございますので、分かりやすさだけを最優先してお味を表現いたしますと

ゴボウの味がいたします。
ゴボウです。
あの黒くて細長いやつ。

なお時任はゴボウを薄切りにしてさっと揚げたゴボウチップスは至高のおつまみかと存じます。

黄金色に輝く液体は、冷やせば冷やすほど色が映えると言われておりまして
その奥深い風味と美しい色彩は、中世から多くのものに愛されておりました。
こと、何故だかシャガールやパブロ•ピカソなど前衛的な芸術家たちに特に愛飲されており
特にパブロ•ピカソについては、スーズの色彩に魅了されて絵画の色使いが変化したと言われているほどでございます。

味はゴボウです。
ええ、ゴボウ。
皮を剥かなくて良いあたり、ちょっと主婦に優しいあのゴボウです。

なお時任はゴボウの細切りを、豚汁だけではなくお雑煮やお味噌汁に入れるのも大賛成派でございます。
歯応えも風味も素晴らしゅうございます。

 

画聖パブロ•ピカソは若き日に、このスーズの酒瓶を題材に絵画を残しております。
「グラスとスーズの瓶」と題されたこの作品。
それまで青灰色の寒々しい絵画ばかり描いていたピカソが、明るく大胆な色使いに目覚めた契機とも言われる品でございますね。

そんな芸術家すら魅了する美しい色。
そんなスーズを使ったシャルルジョルダンもまた、スーズの黄色にキュラソーの青を合わせた、美しい緑色のカクテルでございます。
キャンパスに色を広げるように、グラスの中に美しい色彩を映し取ってお届けいたしますゆえぜひお一つお召し上がりくださいませ。

ベースのお味はゴボウですが。
ええ、あの包丁での切り方が独特なゴボウ。
ほろ苦く香り高い爽やかなお味です。
煮物にも最高です。思えばあの時酢豚にゴボウ入れれば良かったなぁ。

カクテル「シャルルジョルダン」は
スーズに甘いライチや瑞々しいグレープフルーツを合わせて、バランスよくフルーティに仕上げております
幾重に重なるフルーツの帳の奥から、そっと顔を出すゴボウ。
いや、ゴボウ言いすぎて忘れておりました。実際はリンドウでございます。

このリンドウのほろ苦さも、シャルルジョルダンの織りなす繊細に組まれたパズルのような味わいも、私は個人的に大好きでございます。

いつもはお嬢様の味覚に合わせて、ちょっと柔らかい風味にアレンジし直したり、甘く変えてみたりが多うございますが、
此度は時任自身の「大好き」を貫かせていただきました。

画聖たちの愛したリキュール、魂を与えた色彩
お手元にお届けできれば幸いでございます。

 

 

 

 

あと、ゴボウはスティック状にしてあげるのがマイフェバリットでございます。

日誌

お嬢様、お坊ちゃま
謹んで新年の寿ぎを申し上げます。

新しき年が、ご健勝で幸運に満ちた年でありますように。
私どももまた、微力を尽くしお仕えさせていただきます。

さて、お正月のひととき
使用人にもおやすみを賜っておりますため、お茶を淹れるにもお手をわずわらせてしまい申し訳ないことでございますが

初詣やご挨拶など、何かと寒い中のお出かけも多い中
お戻りになられた時に、暖かなお茶でお体を暖めていただくのは大切でございます。

もちろん通常のお茶もとても美味で素敵でございますが、そればかりというのも飽きましょう。
当家バーテンダーといたしまして、邪道なれどお体を暖める秘密の一品を
そっとお嬢様、お坊ちゃまにお伝えいたしましょう。

【緑茶ホットサングリア】(2杯分)
•白ワイン200mlを手鍋などで湯気が出る程度に暖め、カルダモン、シナモンスティック、クローブをお好みで少々入れて煮る。
•みかん1個、蜂蜜2tspほどを入れてゆっくり温め混ぜる。
•温かい緑茶を淹れ、上記と1:1ほどで混ぜて出来上がり。

芳醇な白サングリアと緑茶の香りや風味が合わさり、
優雅に楽しんでいただけるお品に仕上がるかと存じます。

みかんの他、リンゴやライチ、柚子などに換えても香りも味も良うございますので
ぜひお試しくださいませ。

それではお嬢様、お坊ちゃま
本年もティーサロンにて楽しくお寛ぎいただけるよう、いつでもお待ちしております。

桃太郎ゼロ

敬愛せしお嬢様へ

いよいよ12月に入り、寒さも一段と本格化してまいりました。
冬のコートやマフラーの準備は万端でございましょうか?

このような寒い日々は、暖炉のそばで読書などして過ごすのが一番でございますね。読書と申しませば、先日の朗読サロンに足をお運びくださったお嬢様、お坊っちゃま、ありがとうございました。
私は「ビロードのウサギ」と、もうひと作品「桃太郎」に参加させていただきましたが
実に興味深い良い経験でございました。

原作への考察や、声の出し方演出の一つへのこだわりなど学びになることがとても多い催しでございました。

さて、そんな次第で私自身も原作について学び直し、より良き朗読をお届けしようと試みたわけでございますが
「桃太郎」を改めて調べ直してみますと、これまた歴史観点においても文化観点においても興味深い限りでございました。桃太郎のストーリーは皆様ご存知の通りゆえ、説明は割愛いたしますが、これを最初にいつ誰が書いた物語なのかすら、厳密には謎のままでございます。
諸説あるものの、どうやら室町の頃に初めて物語として口伝されたようでございまして
ご存知の通り岡山を舞台にしたお話であるというのが定説なれど
これにも名古屋説、信州説、果ては沖縄説などもあるそうでございます。その口伝や編纂された時代、編纂者によって桃太郎の誕生から、その生い立ち、そしてメインストーリーたる鬼ヶ島の鬼退治に至るまでも桃太郎が桃から生まれず、流れてきた桃を食べたら若者へと若返ったお爺さんお婆さんの実の子供だったり。

桃太郎が、よく描かれるような家族孝行の凛々しい若武者ではなく、甘やかされて育った果ての、怪力ばかり凄まじい巨漢肥満児の暴れん坊だったり、香川県の一部では桃太郎が女の子だったなんて説もございます。諸説、様々なシチュエーションがあり面白い限りでございます。そんな実はバリエーション豊かな桃太郎のお話
その口伝される契機となったもの、つまり桃太郎のモデルについても諸説ありまして
海外から漂着した海賊を退治した源氏の若武者ですとか、山賊退治した怪力の庶民の話が元だとか、いやいや実は中国の虎退治の逸話が元だとか、
これもまた数多の学者さんたちが激しく持論を戦わせているそうでございます。そんな中でもっとも主流とされておりますのは、古代日本を舞台とし、当事の皇子が一人「吉備津彦命」が、西日本一帯を荒らしていた鬼神の如く強力な豪族「温羅」を破ったお話が元とされる説でございます。まだ日本の四方に、皇家に従わぬ野の豪族たちがあり、皇家が王子たちを将軍として使わせて各地を平定していた時代であり、その中でももっとも頑強に抵抗を続けていたのが、西日本のちょうど岡山辺りを本拠としていた「温羅」の一族でありましてその強力な温羅の軍を破るために、皇子は腹心の武将•犬飼健命と、温羅支配下の地元豪族であり案内役を務めた楽々森彦命、狩人集であり偵察に長けた留玉臣命の三名を供として少数精鋭で本陣に乗り込み、温羅の首印を取ったと言われております。この三人の部下が、口伝で物語と化す中で犬•猿•雉に変わったわけでございますね。

こう書きますと、桃太郎の元となった物語も壮大な映画化が出来そうでございます。数億の制作費と豪華キャストでお贈りする「桃太郎ゼロtheMOVIE」来春公開予定かもしれませんので、楽しみにお待ちくださいませ。