日誌

ご機嫌麗しゅうございます。
米澤でございます。

すっかりの春の陽気でございますが、
お嬢様、お坊ちゃまは新年度に入り新しい環境、新天地にて活躍されているところでございましょうか。

新年度に入ってからというものの、いつの間にやら後輩も数人できておりまして(数ヶ月の差ではございますが)、偉大な先輩方及び後輩から学ぶことが多々ございます。

月並みではございますが、
常に「初心忘るべからず」の精神で今年度も使用人として精進いたします。

普段よくお話しをする東條が山岡と共にオリジナルカクテルを作っておりましたので、
私もお嬢様、お坊ちゃまにお喜びいただける「何か」を出したいと画策しております。
その「何か」をお出しする際にはまた改めてご報告させていただければと存じます。

新年度に入って、目まぐるしく変わる環境の中でもお寛ぎいただけるように私はお屋敷にてお戻りをお待ちしておりますね。

米澤

 

春麗らかに

お嬢様、お坊ちゃま、
ご機嫌麗しゅうございます。
佐倉でございます。

4月、春でございますね。
暖かな陽気と、過ごしやすさを持つ春。
寒さの苦手な私は、段々と暖かくなる春を四季の中で一等に好んでございます。
しかし、近年は夏が長く、秋が短くと四季のバランスも少々崩れてございまして、気温の変動も激しゅうございます。
今年の春はいかがでございましょうか。
お嬢様、お坊ちゃまにおきましては、お身体に充分お気をつけて、ご自愛いただきたく存じます。

さて、瀧廉太郎氏の童謡、「花」にも「春のうららの」とございますように、春は花の季節にございます。
桜にツツジにチューリップなど、色とりどりの花々が咲き誇る光景は、心踊るものがございます。
聞いたところによりますと、富山には様々なチューリップが咲き乱れる、チューリップ公園なる場所があるとか。
是非一度拝見したくございます。
お嬢様やお坊ちゃまはどんな花がお好きですございますか?
機会がございますれば、お教え下さいませ。

当家裏山でも、春の様々な花が見頃を迎えてくることかと存じます。
山道はしっかりと整えてございますが、お登りになられる際は、しっかりと使用人にお申し付けくださいませ。
私も尋ねられましたらお答え出来ますよう、野草の勉強などもせねばなりませんね。
さて、春の花についての書籍は……。
おや、「食べられる野草」……興味深い。

お戻りになられる時を心からお待ちしてございます。

ふつうの木

ご機嫌麗しゅう、隈川でございます。

子どもの頃、桜の枝から花が散り新緑に移り変わることを「ふつうの木になった」と表現しておりました。

成長して、ふつうの木という名前の木も雑草という草もないことを知りました。花が咲いていないときにも桜は桜。

人間だって、そうです。
街ですれ違う人たちも、自分の身近にいる人も、そして自分自身も、同じように名前のない者はいないのです。

たとえうまくいかないときも私は私。
笑顔がお上手に作れない日でも貴方様は貴方様。

咲いているときだけが人生ではございませんね。葉っぱの時期も、枝しかない時期も慌てないで存分に楽しみましょう。

隈川

ご挨拶

お嬢様、お坊っちゃま、ご機嫌麗しゅうございます。

この度、大旦那様から命を賜り、ティーサロンにてお給仕をさせていただくことになりました。

小早川(こばやかわ)と申します。

未熟であるが故に至らぬ点も多々あるかと存じます。
しかし、日々忙しく過ごしていらっしゃるお嬢様、お坊っちゃまのティーサロンでの貴重なひと時を、安らぎや日々の活力とできますよう誠心誠意お仕えしてまいります。

近頃は気温の変化が激しい日々が続いております。どうかお身体にお気をつけてお過ごしくださいませ。

お嬢様、お坊っちゃまにお会いできる日を楽しみにしております。

使用人と燕尾服

影山でございます。
4月24日〜27日に
池袋のあうるすぽっとにて
執事歌劇団第16回公演『ゼロイチ』が行わます。

わたくしは基本的に
日誌に執事歌劇団のことについては触れておりません。

ですが今回は理由がございましてあえてふれさせていただきます。

少し長くなりますがご了承くださいませ。

 

わたくしがティーサロンにてお嬢様にお給仕を許されたのが約10年程前の2月下旬でございます。

右も左もわからぬまま、日々が過ぎていきました。

3年の月日が流れた頃、
使用人の在り方について悩んでいた時に当時一番仲の良かった使用人と遠くにおでかけに行きました。
色々意見を交わしましたら心の整理が少しつきまして、
元々好きで執事歌劇団の公演のお手伝いや観劇しにいっていたわたくしは、執事歌劇団メンバーとして活動していくこととなりました。

これが大きな転機となりました。

今まで見ていた景色と全く違ったものが見えてきて、
わたくしが今まで培ってきたものがほとんど通用しませんでした。

実際執事歌劇団に入団した頃は不安でしかたありませんでした。

そんな中、

『話がある』

と環に呼ばれ、
階段で会話した言葉が今でもわたくしの心に深く残っております。

『歌劇団に入団したなら、
メンバーは家族みたいなものだ。
一緒に頑張っていこう』

と。

細かい言葉づかいは違っているかもしれませんが、

『家族』という言葉がとても嬉しくて、

これから先に色々大変な思いをしていくのですが、
この言葉があったから頑張れた部分が強くございました。

 

時は流れ、2025年。

ティーサロンは19周年。
執事歌劇団は15周年を迎えます。

執事歌劇団の15周年という節目の年に

今回わたくしは本人役、
燕尾服を着ているポジションをいただきました。

誇り高き燕尾服に身を包み
ティーサロンで過ごした日々を
執事歌劇団として活動してきた日々を
無駄にせぬよう、

精一杯努めたいと存じます。

劇場でお嬢様にお会いできるのを楽しみにしております。

春のきょうえん〜The Last Dance〜

お嬢様、お坊ちゃまご機嫌麗しゅうございます。
冴島でございます。

お屋敷の周りでは桜も散り初夏を感じさせる陽気が続いておりますがいかがお過ごしでございましょうか。

私は先日大旦那様の命により当家フットマン久保と共にお作りしたカクテルが無事に終わり安堵しております。

お越し頂いたお嬢様、お坊ちゃまには改めてこの場を借りてお礼申し上げます。

今回は久保の故郷ブラジルからさとうきびより作られた蒸留酒カシャーサをベースにしたカクテル”春のきょうえん”をご提供させていただきました。

カシャーサを使いお互いの好きな素材を使いそれぞれのカクテルを作ろうというアイデアで私はココナッツミルクにいちごとパイナップル、桜を使った”ひらひらサンバ”というカクテルをご提案させていただきました。
ひらひらサンバという名は久保の命名でございます。

今回はさらに久保のアイデアで仕上げにキラキラしたグリッターパチパチキャンディをふりかけたり、久保自ら大旦那様にティーサロンのBGMを変えることを提案させていただきBGMも普段とは違うものに変更しての開催と相成りました。

ご快諾頂いた大旦那様にもこの場を借りてお礼申し上げます。

副題〜The Last Dance〜の名の通りお互い一緒にやるのはこれが最後という程の気概で今出せる全てを出して挑んだ全力のカクテルでございます。

カクテルに慣れぬ2人ゆえ至らぬ点も多々あったかと存じます。
次回があるのなら改善して参りますのでご容赦くださいませ。

そして今回のレシピは時任執事監修でもございます。
レシピ、配分のアドバイスなど本当にお世話になりました。
改めて当家のカクテルマスター時任の頼もしさを感じると共に感謝の気持ちでいっぱいでございます。
重ねてお礼申し上げます。

さらに今回はコースターも手書きのものを用意させていただきました。
お互い少し笑える夏休みの絵日記のような仕上がりになってございますがこちらもお楽しみいただけておりましたら幸いでございます。

今回のカクテルはお互い、自分のレシピをご用命頂いた方にお届けするというコンセプトのもとお作りしたゆえまだしっかりと直接お礼を伝えられていないお嬢様、お坊ちゃまもいらっしゃいますので再び後日ご帰宅なさった際には改めてお礼を伝えさせて頂けましたら幸いでございます。

そして来月には再び大旦那様の命により当家のフットマン古谷とのケーキサロン”アントワネット”もございます。
歌劇団にも所属する偉大な先輩古谷とのアントワネット。ぜひお暇ございましたらご帰宅くださいませ。

それでは今月もティーサロンにてお嬢様、お坊ちゃまのご帰宅をお待ちしております。

 

冴島

辞書

秋が短くなったな、とここ数年思うわけですが、まけじと春も短くなっているようです。

急な気温の変化は勘弁願いたいものですね。

伊織でございます。

 

 

このところめっきり辞書を引くという行動から遠ざかっているように感じます。

今時、ちょっとした調べ物なら製本された辞書を引かずとも用が済んでしまうというのも確かでございます。

 

調べたい事柄に対してピンポイントに答えを得られると考えると、まさにデジタルな世の中でございます。

しかし製本された辞書を引くことで求めていた答えのほか前後様々な言葉が目に入り、ついつい調べ物が連鎖していく、というアナログな感覚は独特な魅力を感じるものです。

 

近しい見出しの言葉が並ぶ中、それまで意識しなかった言葉同士の関連性であったり、思わぬ活用であったり、発見はつきません。

国語辞典に当たっていたとしても、連続して記載されている言葉が日本語とも限らず、借用語であることもございます。

意識せず使っていた言葉が実は外国語由来であったり、なんて発見すると楽しくなってしまうのですが、わたくしだけでしょうか?

 

無限とも思える言葉が並ぶ辞書は、まさにアナログの意味する連続性を体現するもののひとつのように感じています。

ただひとつ今調べたい答えだけを知るのではなく、紐付いたり紐付いていなかったり、目に入る言葉にどんどん興味を引かれて知識が連続していく楽しさを今一度思い出そうと思います。

物事を覚えるにも、孤立したデジタルな情報として覚えようとするより、関連するほかの物事と紐付けたほうが覚えやすいというのはご存じの通りです。

忘れっぽい自身の性分を顧みるためにも、知識の連続性を大切に過ごしてまいります。