「番外編・同族狩りの弐/話は進むどころか遡る。/応接間において一執事が行った暇つぶしの代償/銀と紫の一族/月下の似姿/そして終点は前章とと同じ」

我が敬愛せしお嬢様。
思うままに筆を振るうのは楽しいものでございます。
ただ、往々にしてございますのは。
筆を振るっているつもりがいつしか、筆が物語に支配され。
まるで思いもしない物語の中へと筆を持つ私自身が連れ去られてしまうこと。

私はいつ、この物語の中から帰還出来ましょうか。
あるいはこのまま、どことも知れぬ地を彷徨うが定めなのでしょうか。

せめてこの拙き駄文が、最愛なる貴方の退屈という病を、ひとときでも癒す術となるなら。
このまま帰還叶わぬとも、本望でございます。

    
     ◆   ◆   ◆   ◆


大旦那様の仰せにより訪れた、異国の山中深い、古城のごとき洋館。
迎え入れてくれた陰気な老人が案内してくれたのは、古びてはいるものの良く手
入れの行き届いた広い応接間だった。
手入れは行き届いているものの…どこか陰気な違和感を感じながら、私はソファ
へと腰を下ろす。
こんな山中では電気の供給もままならないのか、応接室を照らすのはテーブルの
上で揺れる燭台の灯りと暖炉の炎のみ。
白と橙に踊る光りが照らされて、応接室の高い天井近くまで、壁にびっしりと飾
られた無数の絵画が照らし出される。

艶やかな微笑を浮かべる貴婦人。威厳を湛えた豊かな髭の紳士。いまにも踊りは
じめそうな可憐な踊り子。
大小とりどりに、部屋の四面に飾られた絵画は全て人物画で、その全ての視線は
新たな獲物を品定めるかのように此方ヘと向けられていた。
在りもしない視線に息苦しさを覚え、私はそれを間際らすためにソファから立ち
上がり、周囲の絵を良く観察することにした。

読書するときぐらいしか使わない、きちんと矯正の入った片眼鏡を取り出し念入
りに一つ一つの絵を眺めていく。
随分と旧い絵のようだ。
幾重にも厚く重ね塗られた油塗料は、時を経て一枚の石灰板のように変質し。大
事に大事に補塗されたと見られる跡もまた、緩やかに一枚の旧き絵に同化しつつ
ある。
画家のサインらしきものは絵中に無いようだが、その油彩の塗り重ね方や青灰色
に偏りがちな色彩の癖が、おそらく全て同一の描き手によるものだと推測させた

そして、描かれている人々は全て、この家の橙の家人なのだろうとも。

人形のような、無機質な白銀の髪。
そして真夜中に眺めるワインのような、闇深い暗紫色の瞳。
貴婦人も、紳士も、少女も全て例外なく、そんな特徴的な髪と瞳の色をしていた
からだ。

「…しかし、インドア派な一族ですね。」
紳士も淑女も、描かれているのは似たような室内の絵ばかり。
まぁ、肖像画を太陽溢れる屋外で描く者もそうは居るまいが、どの絵も室内なの
は勿論、窓が描かれているものすら見当たらない徹底ぶりだ。
「…ん?」
そこに思い当たった時点で、私は応接室の四方を眺め、この部屋に案内されたと
きの陰気な違和感の正体を理解した。

窓が無い。

この手の洋館には付き物の長窓どころか、天窓も、明かり取りの小窓すらも皆無
だ。
唯一の外界との接点は、分厚そうな黒樫の扉のみで、もし錠など下ろされたなら
体裁の良い牢獄になりそうだった。

「この土地の気候に合わせた建築的特徴…とかじゃ無いんだろうなぁ、やっぱり
。」
ため息を一つついて、絵の観察に戻ってみる。
嫌な予感はヒシヒとするが、大旦那様の御下命の最中であるし、「ヤバそうだか
ら帰りまーす☆(牧村ボイスで)」なんてわけにもいくまい。
ならば今はジタバタせず、成り行きを観察するしか無いだろう。
そう自分を説得しながら絵を眺めていると、一枚だけ、他の絵画と趣の異なるも
のが在ることに気がついた。
「…?」
銀の髪に紫の瞳。そこは他の絵画と相違無い。では何に目を惹かれたのかと考え
ると…一つはそれが屋外の絵画であること。
屋敷を囲む森の一角だろうか。大樹に囲まれた庭園のベンチに腰を降ろし、静か
に微笑む一人の少女を描いたものだ。

大樹の間から降り注ぐ光を心地良さそうに受け、瞳を細めているが、その影の具
合や、白銀の髪の光沢を更に増す輝きは太陽のものではあるまい。
蛍の光のように青白く、泉の水のように冷たく、優しい言葉のように静かに染み
通るこの輝きは、月の光なのだろう。

夜の庭園で微笑む、月下の少女。

その邪気の無い笑みに。瞳や口元や小首を傾げる癖に、見慣れた…だが大切な面
影を見つけだし、私は思わず片眼鏡を取り落として呆然と呟いた。

「…お嬢様?」

かなり幼き日の肖像であろうが、あまりに似過ぎていた。
だが。
何故こんな遠き異国の、それも異形の館の中にあの方の似姿が在るのか。
それ以前に、この髪の色と瞳の色はどうしたことなのか。

「…冗談にしても度が過ぎる。」
眉間に指を当てて、沸き上がる疑念と混乱を抑え込み。
一度ソファに戻って深く座り込み、状況を整理することにする。

…ここはルーマニア。とある片田舎の深い深い山中の館。
…此処を来訪したのは大旦那様の仰せによるもの。ご指示は…『来訪せよ、あと
は判断に任せる』のみ。

『判断に任せる。』

ーーつまりは、万一にも家名に傷を付けぬよう、いざとなれば私の責において手
を下せということだ。

そんな仰せをうけて伺った邸宅には、来館し半刻も経たぬというのに疑念が二つ


一つ、隠密裏に訪れた私を、迎えた老人は「主人がお待ちかねです。」と迎えた
こと。
…老人が認知能力に支障をきたしている可能性も考慮するべきかもしれないが、
短時間の会話を交わした限り、偏屈さは感じたが聡明さが陰る様子は見られなか
った。

二つ、こと異国の果てに飾られし、奇妙な一族の似姿の中に、我がお嬢様に良く
似た面影を持つ少女が描かれていたこと。
…単なる空似と捉えるには、あまりにも面影が濃すぎていた。笑顔も。小首を傾
げる癖も。朝日にも似た、心を灼かれるその瞳も。

ーーガチャリ。

推論と否定の円環を彷徨っていた私の思考は、錆びた音を立てて開かれた扉の音
に中断された。

重い音を引きずって扉が開き、車椅子に乗った威厳ある男性を中心に、数名の人
物が入室してきたのだ。

車椅子を押すのは先刻の老人。そして車椅子の傍らには一人の少年。背後に従う
のは無表情な二人の女給。
彼等の中心で、車椅子に乗っているのは、白髭豊かな男性だった。
壮年と呼ぶべきが老年と呼ぶべきが迷ったのは、その年齢が分かり辛い風貌によ
ることもあったが。男性の纏うその雰囲気、白髭の奥の銀の瞳が浮かべる静かな
光は、星霜の年月を重ねてきた隠者のものと見えたからだ。

「当家の主、ヴラド公でございます。」


老人の紹介に対し鷹揚に片手を挙げて応え、私をじっと見つめるその瞳。
そう。
私がその男性を見て、反射的にソファから立ち上がり憧目したのは、その瞳にこ
そ見覚えがあったからだ。

「…大旦那様…!」
白髭など細部に相違はあれど、目の前に座しているのは間違いなく、己の仕える
大旦那様その姿であられた。

「遥か東方の貴き家より遣われしお方、ようこそ我が屋敷へ。」

混乱し立ち尽くす私へと、車椅子の男性は静かな視線を注ぎ、深い声でそう語り
かけた。

「御身の到着を待ち侘びておったよ。さぁ、夜が明けるまで、語り尽くせぬこと限りあるまい…我が、同族よ。」
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