日誌

お嬢様、お坊ちゃまご機嫌麗しゅうございます。
近衛でございます。

大旦那様より、ティーサロンでのお給仕の役目を賜ってからそろそろ一ヶ月が近づいてまいりました。

緊張し通しの日々のお給仕ではございましたが、お嬢様、お坊ちゃまのティーサロンでの時間が、より良い一時となるようにとの思いで努めさせていただきました。

これからも日々のお給仕を怠らず、そのための勉強も励む次第でございます。

……なかなかこうして何か日誌を書くというものも、言葉にしようとすると難しゅうございますね。
なかなか慣れぬものでして今回はこの辺りで筆を置かせていただきます。

またティーサロンにてお嬢様のお話を拝聴できる日を心待ちにしております。

執事散歩 自然公園編

敬愛せしお嬢様へ
ようやく春らしい暖かさが日常となってまいりました。
まだ夜に肌寒い日もございますゆえ、薄手のお上着は持ち歩いていただきたく存じますが
厚手のコートはようやくクローゼットルームの奥にて安眠を得られそうでございますね。

さて、春らしさも溢れてまいりましたところで
時任もお暇をいただいた日にまたフラフラとお散歩を嗜んでまいりました。
いつもは町中をそぞろ歩くことが多うございますが
良き季節でございますゆえ、この日は大きな庭園を訪ねてお散歩させていただきました。

 

 

 

 

 

季節の花が咲き誇っておりまして、青空とのコンストラストが素敵でございました。
来訪のお方々は皆お写真を撮られるのに夢中の様子で、老ご夫妻にシャッターを頼まれることもしばしばでございます。
多くの民衆に楽しまれる庭園、もしかしたら当家もかくあるべきなのかもしれません。

 

 

 

 

 

湖の近くには、優雅に水鳥がお散歩しておりました。
周囲の多くの方がその姿を収めようとシャッターを切られる中、意に介さず優雅に歩みを進めるその姿に、大物モデルの如き風格を感じました。
地中海の猫は観光客に慣れすぎていて、カメラを向けるとポーズを取るなんて言われますが
この鳥たちもそれに近しいのかもしれません。

 

 

 

 

 

広大な芝生の英国式庭園もございまして、それは立派な広葉樹が多くの人々を陽光から守る屋根のように枝を広げておりました。
ジブリ映画のワンシーンのようでございますね。
もしくはミキプルー‥いえ、何でもございません。

子供達がはしゃぐ遊戯施設や、時が止まっているような森の奥のレトロな売店など
のんびりと、かなり長いお時間お散歩を楽しませていただきました。
しかしさらに奥には山地があるようでございまして
元気そうなご老体の方々が矍鑠たる足取りで野の斜面を上っていかれるのを拝見し、思わず感心してしまいました。
次回またお伺いさせていただくことあれば、登山装備で来ようと思います。

登山?

そう申しますれば、山というものに久しく触れておりません。
先達の執事方からよく山の自然の良さを聞かせていただいておりましたので
機があったら山の自然にも触れに行ってみるといたしましょう。

 

そのまま野生の執事に返ってしまわないようにだけ、気をつけます。

 

古谷でございます

すっかり季節も移り変わりました

あたらしい環境のもとで

芽吹いた若葉のように小さな可能性を

この一年でどれ程大きく咲かすことができるか

一歩ずつ一歩ずつ

また前を向いて進んでまいります

執事の日

4月22日。

わたくしにとって、大切で、どこか心があたたかくなる一日でございます。

久しぶりに執事としてのお仕事をさせていただき、
こうしてまたお嬢様のおそばに立てましたこと、
とても光栄で、何よりもうれしく思っております。

お変わりなく優しく迎えてくださったお嬢様のお姿に、
胸がいっぱいになってしまいました。

お嬢様。
いつもやさしく接してくださり、本当にありがとうございます。
その笑顔やことばに、わたくしはたくさんの力をいただいております。

これからも、一つひとつのことを大切にしながら、
お嬢様の毎日が少しでも気持ちよく、安心して過ごせますように、
心を込めてお仕えしてまいります。

今日という日に、また執事としてのお役目を果たせたこと、
心から感謝しております。

この幸せを胸に、やさしい気持ちのまま本日は就寝させていただきます。

日誌

いつもそばに

いちばんそばに

さて。
夜空でも見にお散歩行こうか

チャムハムくん

佐々木でございます

お屋敷警備犬見習いらしく

しっかり

見守るんだぞ

チャムハムくん

 

 

 

 

 

 

 

佐々木

便利

ご機嫌麗しゅう、隈川でございます。
世の中にはどんどん便利なものが増えて、かつて描いた未来というのは地続きでやってくるのだなぁ、と思うこの頃でございます。

伝統を重んじる当屋敷に身を置いておりますと、過度に科学的な物や近代的な物を主人の目に入れないことが暗黙の了解と申しますか、それが当たり前に感じるようになります。

とはいえ、近頃は本場英国の執事たちも最新機器を使いこなし、スケジュール管理や連絡の利便性が向上したことにより以前にも増して行き届いた執務を実現しているそうです。

ここからは私の持論ではございますが、新しい物や流行をハイカラすぎる、雰囲気にそぐわないと突き放すのではなくいかに伝統に組み込んでゆくかが大切なのではないかと最近は思います。

すべてを便利にする必要はございませんが、そこで生まれた余力をもっと有益に主人の為に注げるのであれば、それは素晴らしいことかと存じます。

なにより、重んじるべき伝統の正体を自分の頭で考えることを放棄すれば、そこには化石的な意地しか残りません。

あえて手のかかる手段を選択することにより生まれた想いが、本物のしきたりを作ってゆくのでしょう。

昔、伊織が申しておりました。
「便利すぎてもよくないんだよ」
という言葉は塩梅を自分で考える大切さも込められている気がします。

そういえば、私も屋敷に勤める以前はそれなりに世間一般の若者らしく流行であったり最新技術に興味がありました。

…え??
スマートフォンが普及し始めてから20年経ってる??すでに世間的には伝統的な技術…

さ、左様でございますか。
20年…

隈川

5月

お嬢様、お坊ちゃま、ご機嫌麗しゅうございます。

普段歩いている何気ない道でも角度を変えて見てみると少し変わった顔をしていることをご存じでしょうか。

先日、まだ日が登る前、月明かりと街灯だけを頼りに心赴くままに歩いておりました。

明るい時に見えているものが暗がりだと見えない。当たり前のことであるけれど、しかしながら、実際に見てみることで、理解できるものがございます。

ここには小さい花が咲いていたと、ここには少し古びた看板があるなと、ここには少し小洒落た絵が書いてあると、思い返しながら歩く道は普段の道よりも楽しいものがあります。

その少しの変化を知ることで改めて目に見える情報を確かめる楽しさを、今まで目についていなかった新発見を教えてくれることでしょう。

何気ない幸せはいつも近くに潜んでいると聞いたことがありますが、どうやら私は身近な幸せを見つけるのが上手なようでございます。

お嬢様、お坊ちゃまも、普段の道を少しだけ角度を変えて見てはいかがでしょうか?

もしかしたら小さな幸せがそこに潜んでるかもしれません。