ページボーイ

敬愛せしお嬢様へ

先日ひょんなことで「ページボーイ」なるブランド名の品をお見かけし
何故にその名を銘されたのか興味を惹かれて調べたところ
全く理由が腑に落ちず、視線が中空を彷徨ってしまった時任でございます。

きっとあの瞬間の私は、アルギメデスが難解の答えを得て全裸で「エウレーカ!」と叫んでいるのを見掛けた近所の猫みたいな表情をしていたことでございましょうね。

それはそれといたしまして。

あ。

先日とある欧州の寸劇で「Apples and Oranges」という台詞がございまして
前後の文脈と果物になんの関係もなかったので、どういうスラングなのかと思っておりましたら
「全く関係ないけど~」「それはそれとして~」のような意味だったようでございます。
人生で一回ぐらい使ってみたい言い回しでございます。

失礼致しました。話が逸れる一方でございました。
まぁ、元よりお嬢様のご無聊を僅かなり埋めさせていただくための散文でございますから、
ある意味最初から最後まで脱線しておりますけれども。

さて、冒頭に出てまいりました「ページボーイ」

近年は当館の教育過程の変化もあり、あまりティーサロンでは見掛けなくなりましたが
ページボーイとは使用人見習いでございまして、
当館ではレストルームへのご案内などを務めながら、使用人候補が修行を積ませていただく場でございました。

旧き欧州などでは同様に使用人見習いのことであり
その中でも特に歳若い者たちをページボーイとして扱っていたようでございます。

そんな歳若き頃から使用人として職務に就かせる感覚は、現代日本からは理解し難いものではありますが、当時は子供を保護するという概念は現在より低く、中下層階級では子供は家庭の所有物としてなにがしの労働を強いられていたことも多うございました。
そのような悲しい側面もある一方で、貴族の邸宅に幼い使用人がおります背景は、思いのほか福祉・教育に近いものもあったようです。

一つは救済策でございまして
貧困に苦しむ下級貴族や一般家庭から、幼きうちに子息を預かりページボーイとして育成することにより、子息には健康な生育と教育の機会を、預かり元の家庭には収入と養育費の節約を与えるという施策であり、「慈善」を義務と見做されていた裕福な上位貴族たちの選択肢の一つでもあったようです。

とはいえ高位の貴族邸に拾われるには、相当の縁故や口利き、ないし偶然に見初めてもらうだけの幸運と魅力が必要であったのは否めないことでしょう。

もう一つは主に貴族の子弟のお話になりますが
貴族の家庭がより高位の貴族へと、使用人として子を預け、貴族社会について学ばせることもよくございました。
これは額面通りの社会学習の面もあれば、貴族社会における家同士の関係の強化という側面もございました。
我が子を預けることにより、親族当然だという関係性の強さをアピールし、ひいては貴族間の派閥の強化をも図る帝王学でございますね。

また、預けられた子弟本人にとっても。高位の貴族にこれ以上ない(文字通り育ての親として)縁故を得ることができました。これは将来大人になって、貴族に加わってとなってからも大変重宝する後ろ盾となったようでございます。

一方で、これは推測の域になりますが。
大きな邸宅であればこのように下位の貴族子弟がページボーイ・フットマンとして複数人雇われていた事も多く、幼少期から同僚として兄弟当然に育っていったならば。
これもまた、貴族として世に出た時に横の繋がりとして大いにその絆は役に立ったのだろうと思われます。

元より、中世英国などにおいては「使用人」という職は、それを生涯のものと定めた者を除き、社会勉強と経験を積み、次なるステップへ羽ばたくための場と考えられていた節もございます。
元の家に帰って貴族として家を継ぐ者、どこかで目標を見つけて議員や医師、教師などの市井の職を目指す者など様々あった事でしょうが
そう考えると、今の日本でいう学校のような部分もあったのかもしれませんね。

ここで経験を積み、それぞれの道へと羽ばたくとき
今のこの時間を彼らはどのように思い出すのだろうかと。

お給仕後のサロンでグラスやお皿を磨きながら
わちゃわちゃととりとめのない会話に盛り上がっているフットマンたちを眺めながら、
ふと、そんな考えにつながる考察でございました。

 

 

 

5分後に
ちょっとにぎやかすぎて、真剣に頭を抱えましたが。