箱を開かない限り猫が永遠に生きると言う視点ならばある意味同義

敬愛せしお嬢様へ

暦は秋に変われど、まだ汗ばむような日も多うございますね。
水分、塩分はもちろんのこと、甘いものやビタミンも多めにお取りいただき、
体力を損いませぬようどうかお心掛けいただければ幸いにございます。

さて、時任もありがたきことに十数年の時をお屋敷にて過ごしておりますが
ともすると懐かしき旧知からお手紙が届くこともございます。

もとより中世欧州の時代から、フットマンというものは若者が世に出る前の修行期間のような側面もございました。
此処で己を育み、そのままお屋敷に仕え続ける道を選ぶものもあれば、新たな道を見出して羽ばたいていく若者もあり、その繰り返しでお屋敷は紡がれております。

なればこそ、現在に至るお屋敷の一節を担ってくれた者たちが、それぞれに彼ららしく頑張っている知らせが届きますと、つい安堵して目を細めてしまうばかりでございます。

‥それ以上目が細くなるのかですと?
そんなことを仰せになる方にはツェノンの背理について小一時間講義して差し上げましょう。

そんな懐かしいお手紙を書斎の引き出しに仕舞い込み、ティーサロンへ様子を伺いにまいりますと、若々しきフットマンたちが今日もお嬢様方の御為に元気に立ち働いております。

近年特に著しく顔ぶれも変わり、ともすると久々に御帰宅のお嬢様には「知っている顔が1人も居ない」なんて仰せ頂くこともございます。
されど、なかなか有望な若人が多く、早くも一端のフットマンのように生き生きと振る舞い、お屋敷の一端をしっかり担う者もおり、お屋敷の未来も安泰のようでございます。

また一つの世代が形成されつつあるのを眺めながら、
時折、15年前から現在までの様々な世代が笑いさざめき、そして優雅にお仕えしていたティーサロンをその向こうに透かし見てしまうこともございます。

時任が段上からフットマンたちを眺め、目を細めて笑っておりましたら
お屋敷の歴史を透かし観ているのだと思ってくださいませ。

‥それ以上目が細くなるのかですと?

‥‥よろしい。
良いですかお嬢様零と壱の間には分数や小数点以下形式はなんでも結構ですが設定数値を細かく刻み続ける限り零と壱の間には無限個数の数値が存在することとなり永遠に零にならない二次曲線を描くことになり得ます私の目も細めたところで零では無い僅かな数値が存在するからには現状より無限範囲で細めることが可能なわけで五月蝿いとはなんですかそもそも目を閉じていない限り零ではないのですから壱と言うほど開いていなくてもそこに確かに瞳はあるわけで開いてみないとわからないと言うシュレッティンガーの猫の理論とは真逆に位置するのがツェノンの背理でございま起きてくださいお嬢様ここからが良いところなんですからほら目を開けてって閉じてないからセーフですとそんな屁理屈を仰るものじゃありませんまったく。