ご機嫌麗しゅうございます。
八幡でございます。
最近はお寒い日々が続いておりますね。
私はつい先日当家の使用人の葉山、冴島、久保、白川とで会食をいたしました。
フレッシュな使用人と美味しい食事を頂く機会は中々ございませんので個人的にはとても嬉しゅうございました。
後輩の話を聞くのも普段とは違い非常に楽しくございますね。
主に冴島が喋っていただけですが…
お嬢様も普段ご多忙かと存じますが息抜きに美味しい食事をゆっくりと召し上がりくださいませ。
SWALLOWTAIL
ご機嫌麗しゅうございます。
八幡でございます。
最近はお寒い日々が続いておりますね。
私はつい先日当家の使用人の葉山、冴島、久保、白川とで会食をいたしました。
フレッシュな使用人と美味しい食事を頂く機会は中々ございませんので個人的にはとても嬉しゅうございました。
後輩の話を聞くのも普段とは違い非常に楽しくございますね。
主に冴島が喋っていただけですが…
お嬢様も普段ご多忙かと存じますが息抜きに美味しい食事をゆっくりと召し上がりくださいませ。
ご機嫌麗しゅうございます。
お嬢様 お変わりございませんか?
私はどうにも寒い日が苦手なようで、最近の寒さに負けぬように抗っております。
寒さはなんだか人の心を細くさせてしまうようで、、
自室を出て給仕を行う、、
1人だとどうしても辛くなってしまいそうですが、
お嬢様の笑顔を拝見して、
隣で共に給仕をする先輩後輩の使用人達、
ほっと一息着きながら紅茶を楽しむ小瀧のはにかむ笑顔と、
その反対側でとても楽しそうにワインを楽しむ睦月、、、
それを見ていると不思議と私自身も笑顔になってしまいます。
今日も一日 心を暖かくして頂けるように
そして明日の活力の為 笑顔になっていただけるように
皆で勤めて参りますので
お嬢様もお疲れになりましたらいつでもお戻りくださいませ。
ティーサロンにてお帰りを心よりお待ちしております。
火野
もっとも寒さの厳しくなるこの時期、お嬢様はいかがお過ごしでしょうか。
伊織でございます。
4年ごとに巡ってくる閏年、ご恩時の通り2月の末日に1日、2月29日が加わります。
わたくしを含め、世界中のほんの一握りの人間にとってこの2月29日はちょっと特別な気持ちで迎える日なのでございます。
2月29日、そう、この日こそがジョーカーの日なのです。ジョーカーの日おめでとう!
わたくしがもっとも影響を受けた小説「カードミステリー」に端を発するジョーカーの日、ささやかながらわたくしもお祝いしつつ過ごそうと思います。
絶版になって久しい作品ではありますが、図書館でしたら出会える機会もございましょう。もし気が向かれたら手に取ってみてくださいませ。
ジョーカーの日おめでとう!
スイートとビターのバランスが
チョコレートだけに限らず
何事も大事なようです
それぞれの味わいを良しと思えて堪能できる
そんな大人に私もなりたいものですね
今月27日に行われます能見とのエクストラティ「ヒロイン」
今回は主に能見がレシピを考案してくださいました。
かなり、素敵な仕上がりでございますので、是非召し上がっていただけましたら嬉しゅうございます。
二種類ご用意がございまして、ホットとコールド全く違った表情の作品でございます。
そして今回、出来る限り最後のお時間までご提供をしたいという、我々の思い故にかなり多めに材料をご用意いたしました。
私も遅いお時間までお給仕させていただきますので、足を運んでいただけましたら幸いでございます。
ではまた、ティーサロンで。
お嬢様。いかがお過ごしでございますか。
桐島でございます。
2月と言えばバレンタイン。
言わずと知れたチョコレートをお渡しするイベントがございますね。
友情の確認、愛のきっかけ、社会勉強先でのコミニケーション、様々な目的の為にチョコレートをプレゼントするかと存じます。
お屋敷でももう恒例となりましたがチョコレートをご用意しております。
今回は6個入りのチョコレートその中の一つを私が考案させて頂きました。
「シーシェルチョコ」私が親戚のお土産でよく頂いていた3種のチョコをマーブリングした物でそちらをお屋敷風に再現した物でございます。
見た目も貝殻形で色んな種類があり、子供ながらウキウキしながら食べていた思い出の味でございます。
もしよろしければお嬢様もお召し上がり頂ければ幸いでございます。
ぜひその際にお嬢様の甘くほろ苦いチョコの思い出もお聞かせくださいませ。
ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。
スポーツ、芸術、娯楽、仕事。
どのような分野であれ興味のあることにのめり込むと上達したいという欲が生まれ、そこから経験や学びへと繋がってゆきます。
そしてそこから継続して努め、ある程度の基礎を修めたときに、ふとその分野について「価値観の解像度」があがっていることに気がつきます。
なんとなく感じていたことについて知識に基づいた説明ができるようになり、良し悪しの基準が鮮明に見えるようになるのです。これは大変素晴らしいことでございますね。
ただ、ここで気をつけなくてはならないのは、この上がった「価値観の解像度」を他人に押し付けてはいけないということ。解像度の高さ=その分野への愛情ではないということを忘れてはいけません。
例えば【小さな子どもが親の誕生日に初めて焼いたケーキ】と【一流のパティシエが長年の月日をかけて完成させた至高のケーキ】どちらに価値があるかと言われてもそれは立場によって変わるのです。
子どもの成長を感じる親の立場からすればこんなに美味しいケーキは他にないでしょうし、一流パティシエのケーキを楽しみに毎日を頑張ってきたお客さんからすればその日のケーキは世界一美味しいと思えるはずです。
そこに洋菓子を毎日食べ学び舌の肥えた他人がやってきて「その子どもの焼いたケーキは生焼けで良くないよ」とか「確かに一流の腕前だけど本場のパティスリーでもっと良いケーキを食べたことがあるよ」なんてことを言ったらどうでしょう。私はあまり良くないと思います。
どうしてこのようなことを言ってしまう人がいるのかというと、決して悪い人だからというわけではなく『自分はこんなにケーキを愛しているのに、なにもわかってない人がいる』ということが許せなくなってしまっているのです。
その人も確かにケーキを愛し【価値観の解像度】が高いのかもしれませんが、本当に大切なことは逆にぼやけて見えなくなっているように思います。
自分自身でもときどきこうなりかけてしまうことも自覚しております。気をつけなくてはいけませんね。
何かに夢中になったとき、傾倒した年月や突き詰めたクオリティは自分がその分野をもっと愛するための物差しとして使うことができますが、決して他人と他人、そして他人と自分を比べるためのものではないということを忘れてはいけないのです。
…ケーキの例えを出していたら食べたくなってきましたね!お嬢様、本日は何味になさいますか♪
隈川