日誌

お嬢様、ご機嫌麗しゅうございます。

中島でございます。

 

ひときわ冷え込むようになりました。日々ご多忙のことと存じますが、お風邪など召されていませんでしょうか。

冷え込むようになりますと色々と辛いこともございますがその反面楽しいこともございます。

中島がパッと思いついたものですと「お召し物」でしょうか。

夏服に比べますと秋や冬服は重ね着が出来ます。その方の個性やこだわりを表現しやすくなりますね。

ふとそのようなことを考えながら自室のクローゼットを開けますと似たようなコートやジャケットがたくさんございました。

きっと中島はこだわりが強いのでしょう。

きっと中島は今年も同じような物を買うのでしょう。

自身の話はほどほどにいたしまして今年もティーサロンにて素敵なお嬢様のお召し物を拝見出来ることを楽しみにしてございます。

ぜひ私とお話される際はその日のこだわりポイントを教えていただけますと嬉しゅうございます。

 

 

追記

今年も行って参りました。「ノリタケの森」

今回も素敵な景観やカップを拝見出来ましてとても楽しい時間でございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なお今年も森で迷子なりました。

日誌

ご機嫌麗しゅうございます。

野崎でございます。

先日、諏訪野よりご案内がありましたとおり、

このたびティーアドバイザーの資格を取得いたしました。

これまで以上に、お好みやその日のご気分に寄り添った一杯を

ご提案できますよう励んでまいります。

また12月には、山岡とともにスペシャルなカクテルをご用意させていただく予定でございます。

今回シェイカーを初めて握らせていただきますゆえ、

当日に向け、深夜のティーサロンにてこっそりと練習を重ねております。

そちらもご期待くださいますと嬉しゅうございます。

それでは、ティーサロンにてお目にかかれるのを楽しみにお待ち申し上げております。

白熱

ご機嫌麗しゅうございます。
環でございます。

先日使用人数名で釣りをしに海へと足を運びました。
初めての者もいながらのんびりと釣りのイロハを楽しんでいた最中、ポツリと金澤さんが呟きました。

「やりますか…。」

 

その声に皆が振り向き、互いの顔を見合わせているとさらに続けて、

 

「大会を。」

 

 

そう。

釣り場といえば恒例の大会。

制限時間を設けてより多く魚を釣った者が勝利。
釣果により順位を決めるという勝負です。

それまではなかなか釣れず、釣りの難しさを皆で語り合っていた中での開催なので、そもそも釣れるのかという心配をしながら各々のロッドを片手に持ち場に着きました。

 

始まって数分後。

「釣れました。」

まず一番手に声を上げたのが明石でございました。

 

流石は経験者。
プレッシャーをものともせずさらりと釣果をあげておりました。

やはり経験が物を言うなと皆で感心していた時、後ろから声が。

「釣れました。」

 

その声はまさかの室戸。

経験があまりないと言っていた彼が二番手に釣り上げておりました。

思わぬ伏兵に驚きつつ、皆の頭に共通の意識が芽生えました。

「勝ちたい…」

 

そこからは真剣勝負。

中盤ののんびりさは何処へやら。
各々があの手この手をつかって魚を釣り上げていきました。

制限時間いっぱいまでしのぎをけずり迎えたタイムアップ。

 

結果、一位は室戸が見事に勝ち取りました。
ダークホースの独壇場と化した釣り場でしたが、最後まで白熱した試合となりました。

後半にドラマティックな展開が待っていた釣り大会。
大変有意義な時間を過ごせました。

また詳しいお話はお屋敷にて。
お嬢様も是非一度釣りを体験してみてくださいませ。これまでとは違った価値観を得られるかもしれません。

それでは。

お屋敷の雑学・ハウススチュワード編

敬愛せしお嬢様へ

冬に向けて冷え込む日も続く近日、お屋敷にて読書に勤しまれる日も多いことと思います。
書庫に篭られまして頁を手繰っておられると、時折階下から若きフットマン見習いたちの声が聞こえてくることも多いことでございましょう。
書庫棟はフットマンを志す者たちの教室からも近うございますから、
もし彼らの声が読書の妨げになるようなら仰せくださいませ。

さりとてもし、彼ら若人たちの頑張っている声を微笑ましく思ってくださるのなら
激励などと過ぎた望みはございません。彼らの声に耳を傾けながら読書のお時間を過ごし
次なる世代のお屋敷に想いを馳せていただければ幸いでございます。

ところで

そんなフットマン志願者たちの教室では、教官を担う椎名や時任、伊織や香川たちが日々若者たちを鍛え上げておりますが
一生懸命学ぶ者たちが集えば、その師たるものには彼らからの怒涛のような質問にも答える義務がございます。

曰く姫睡蓮に入っているレモングラスの意図と効能は
曰くドアマンコートに刻まれている左右のスリットには何の意味があるのか
曰くお茶を注ぐ時に高い位置から注ぐという行為は過ちなのか否か

いつか全て取りまとめて活字化すれば本を出版できるのではないかとすら感じておりますが
今宵はそんな彼らからの質問の中でも初期の初期
初めてお屋敷に足を運んだ若者らからよく聞く質問を取り上げて
「今さら聞けないお屋敷の雑学」としてお届けしとうございます。

さて、時任がよく受ける初手の質問といたしまして
初めての授業においてご挨拶もすれば、もちろん自己紹介もするわけですが

「当家ハウススチュワードを務める時任と申します。」
「はうすすちゅわーどって何ですか?」

よく考えたら、それはそう。お外の世界で聞いたことない言葉ですからね。
専門家がよく意識せず専門用語を使い過ぎて余人の理解できない会話をしてしまうという失敗談が良くありますが、教官の立場にありながらその轍を踏んでしまうとは何という不明でございましょうか。

深い反省を込めまして、本日の「今さら聞けないお屋敷の雑学」は
『ハウススチュワードってなぁに?』をお送りさせていただきます。

さて「ハウススチュワードってなぁに?」とご質問いただいた場合
当家では「お屋敷の使用人たちを統括する者」となります。
しかしこう答えますと、授業を受ける若人から返ってくる言葉は大抵
「なるほど、ハウススチュワードって執事長のことなんですね。」でございます。

ブーーー!でございます。
つまり間違いです。

何が違うのかと申しますと、まず執事長という概念は存在致しません。
というのも、そもそも「執事」とは何かと申しますと
中世西洋などの使用人社会において、執事とは「男性使用人たちのトップ」のことを示しておりまして。
フットマンやページボーイや料理人、御者、庭師といった使用人たちを統括するのが「執事」だったわけでございます。

すなわち「執事」=「使用人長」
ここに先ほど発生した執事長という言葉を持ち出して連立方程式風に代入しますと
「執事長」→「使用人長長」という意味のわからないことになってしまいます。

要するに
・執事という言葉がすでに使用人たちの長という意味になっている
・そのため、一つのお屋敷に執事は普通一人しかおらず、必然的に「執事長」という存在もない。
ということになるわけです。

しかし当家スワロウテイルにおいては、お嬢様も大変多くいらっしゃいますゆえ
複数の執事が交代で勤めるという、稀有な状況が発生しており
その総合的な統括として、ハウススチュワード等が必要となったわけでございます。

‥あれ?やっぱり執事長で良いんじゃないかな‥
まぁ、違うと申した以上は違ういうことでお願い致します。

では、そんな「ハウススチュワード」とは何なのでしょうか。

中世使用人社会において、「ハウススチュワード」とは
王家や公爵クラスの大貴族のみに見られた、特殊なタイプの執事でございます。
王家や大貴族の方々ですと、広大な領地の数カ所に邸宅をお持ちだったり
領地が広過ぎてご自身だけでは管理できなかったり致しました。

そんな状況において、大旦那様のような方が
「もう、全部は見てられんから
この屋敷(城)は君に任せるんで全部管理してね!」と、全責を与えて任せてしまうこともございまして
このように、主人から全責を預かり、邸宅など丸々一つを預かり管理するものを「ハウススチュワード」と呼んだそうでございます。

因みに、邸宅やお城だけでなく、領地まで丸々預けて管理させた場合「ランドスチュワード」と呼ぶようでございまして
さらに余談でございますが、現在日本にも残る、国に代わって各都道府県を管理する知事制度などはこの名残でございます。

すなわち
ハウススチュワードとは、大旦那さまに代わってこのお屋敷・ティーサロンを預かる大任を担った者たちでございます。

流石に大任が過ぎて、お屋敷においては複数のハウススチュワードがそれぞれの職責を分担しておりますが、
胸にいただいたダイヤモンドの襟章に賭けまして、その全力をお屋敷に捧げておりますゆえ
何かお困りのことがあれば、何なりとお屋敷のスチュワードたちにお申し付けくださいませ。

 

 

 

 

と言うわけでございまして。
ここはテストに出ますから、しっかりアンダーラインを引いていただき復習なさるようにお願い致します。

それでは本日の授業はここまでです。

皆さま、寄り道夜更かし夜遊びせず、まっすぐ帰って暖かくしてお休みくださいませ。

回帰

ご機嫌麗しゅうございます。
小瀧でございます。

気がつけば暖かい季節が待ち遠しく感じるほど寒くなってまいりました。

先日は藤波と共にエクストラティー
「晴れ、ときどきネコ」
をご用意させていただきました。

ルミエルをベースに生クリームや当家のブレンドのシロップを合わせてカップの中に猫を感じていただけるようなイメージでしたがいかがでございましたか?

私としては藤波監修のもと生クリームを泡立てることに初挑戦致しまして、新鮮な機会でございました。

更なる美味しいをお届けできるよう初心を忘れず挑戦し続けたくございます。

どうしようかと奮闘していた日々も気がつけば過去。

時が過ぎるのは早いものでございますね。

時の流れに置いていかれないように

取りこぼさないように

忘れてしまわないように

1つ1つの物事を大切にして日々を過ごしていきたい
そう思う夜でございます。

また、お顔が見られる日を心待ちにしております。

秋といえば④

ご機嫌麗しゅうございます。
山岡でございます。

「秋といえば」をテーマに日誌をしたためております。
第四弾、恐らく最後でございます。単語はこちら。

食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋、芸術の秋
紅葉、金木犀、コスモス、
秋刀魚、栗、さつまいも、
お月見、運動会

最後はお月見と運動会です。
どう展開されていくのかは想像がついておりません。
では、参ります。(ふぁいしません)

10.お月見
歴史的には陰暦8月15日から16日の夜(十五夜)、
旧暦9月13日から14日の夜(十三夜)の月を鑑賞する事だそうでございます。
陰暦8月15日は現代では10月6日で中秋の名月。ちゃんと満月だそうです。
旧暦の9月13日は現代では11月2日。当日は満月ではありませんでしたね。
私は月を見るのは割と好きです。
日食などにはあまり関心がありません。
知識は付けていないのですが、身体の具合が悪い時に月を見ると大体その月は綺麗に見えない、何か奇妙さを感じてしまう事と、
先日使用人達と話していた時に、月の引力の関係で体調に影響を及ぼすという話を聞いた時に何かしら因果関係があるのだなというのは感じていまして、
そこからはただぼーっと眺めていた月への思いは変わってしまったような気がいたします。
自身の事をより深く知るためにも、
月をこれまで通りの感情で眺める為にも、
この辺りの知識はしっかり付けたいと思った次第でございました。

11.運動会
青春でございますね。
秋に運動会を行っていたのは小学校か中学校までで、
高校は春に行っていた記憶がございます。
徒競走、綱引き、玉入れ、リレー、ダンス、二人三脚、騎馬戦、障害物競争、応援団、仮装リレー、組体操、社交ダンスもありましたかね。
走る時に流れるクラシックのBGMが好きでした。
曲名は未だに存じておりません。
小中学校の運動会は特にダンスの練習が楽しかった記憶がございます。当時の流行の曲に合わせて振付を覚えたり、ソーラン節もやりましたでしょうか。
後は学生時代は運動の出来る子が人気者になれる文化も顕著でしたね。
私はそういう点では一切縁のないものでございました。

以上でございます。
四季は好きですし風物詩も勿論好きですが、
こう文章にするために色々を思いを馳せていると、
よりひとつひとつのことへの趣が増す感覚がございますね。
お嬢様方へお届けするものである為あまり自己満足にならないように意識はしておりますが、
私自身の秋への充実度が増した気がいたします。
私のしたためた文章が大事なのではなく、
お嬢様がひとつの単語に対して同じように思考を巡らせた結果、趣深くなられる事が山岡にとってのこの日誌の意義や目的や喜びなのかもしれませんね。

長らくお付き合い頂きありがとうございました。

あっという間に冬を感じる季節になりましたね。

この調子でしたらきっと冬といえばもやるのでしょう。
気が向いたらご覧下さいませ。
それでは。

十一月

心臓から頭の先を巡って足先に至るまでに、血液と共に鉛を運んでいるのではないのかと考えてしまうほど、体がグンと重くなり、息は絶え絶えで、もう、いっそのこと諦めてしまおうかと弱い心が見え隠れをします。

『合計で百キロ、今月中に走り切る」

十月中旬に思いつき、意気揚々と走りますと宣言した私は朝晩、お休みの日でもお給仕の日でも、目標を達するために無我夢中で足を前に運びました。
スタートを切った序盤、私は余裕なのではと錯覚しました。
思った以上に動く体と無尽蔵にも思える疲れを知らない体力。普段から沢山歩いてるおかげもあるのか、軽快な足取りでございました。

ただしかし、辛くなってくるのは中盤からでございました。

一周がおおよそ三キロの外周を三十と半分。二周目に入るも、景色が一向に変わらない。なのに疲労が顕著に見え始め、心が消耗し出す永遠に続くと感じてしまう地獄。
走りながらも私は、一度でも止まってしまうと、もう二度と走れない、走りたくない。そんな予感めいたものを感じていました。
よくゴールのないマラソンほどキツイものはないと聞きますが、ゴールが見えているからこそ、その道のりの長さに苦しむことはあるんだと、知る良い機会になりました。

残り数日、目標までは二十五キロ程。

以前、なぜこんな無謀なことを始めたのかと聞かれたことがございます。

「普段から社会勉強等、ご自身のことを一生懸命にこなしてるお嬢様、お坊ちゃまを見て、私も負けてはいられないと思いました」

この言葉に嘘はございません。
けれど、私も人間でございます。
綺麗事だけではない本音というものもございます。

それは昔からの憧れでございました。

私の姿を見て、誰かに、明日も頑張ろうって、そういう気持ちにさせることができる、自分になりたかったから。

私が成していることは所詮自己満足だと、このような考えは身の程知らずなことであると頭では理解してます。

それでも成し遂げたいと思ったのが私でした。

目標を達成することを決めた最終日。ちょうど休館日の真ん中の日に、私は覚悟を決めました。

 

時間にして三時間と少々、距離にして二五.八キロ。

 

普段走る二倍以上の距離を走り切り、見事自分で掲げた百キロに到達しました。

走り切った私は終わったことへの喜びと感動と、自然に溢れる涙と心の底から湧き上がる達成感を噛み締めながら『こんな私でも、いつか憧れた自分になれたらいいな』とこれからも頑張っていこうと、前向きになれる挑戦になって良かったと思いました。

また、私卯月は日本紅茶協会認定ティーアドバイザーの資格を取得いたしました。

あの日夢見た自分自身になれるよう、これからも精進してまいります。

お嬢様、お坊ちゃま、

温かな紅茶たちと共に

お早いご帰宅をお待ちしております。