第二環

「ところで、例の件どうだった?」

私は屋敷の廊下を歩いている途中、横からふいに声をかけられ、
ぴたりと足を止めた。

隣に姿を現したのは、私より長身の『町田』という男である。
彼は私と同じ部署に配属となり、同じ苦しみや喜びをともに分かち、
この屋敷の中では一番親しい仲である。

そんな彼がなんとも元気のよい声で話しかけてきたのだが、
なんとなく先の展開が読めてしまった私は、それでも逃げられない
この状況を恨みながら声を返した。

「ああ、町田か・・・。」
「まったく、魂が抜けたみたいな顔してるな。」
「ほっといてくれ。」
「それより、例の件どうだった?」
「何のことだ?」
「しらばっくれるなよ。ほら、例の昇進試験のことだよ。」
「ああ、そのことか。」
「んで、結果はどうだった?」
「ああ、私のほうはだめだったよ。」
「え?」
「だから、だめだったよ。君は受かったんだろう?」
「・・・。」

こうなることがわかっていたから話したくなかったんだよなぁ。
そんな同情するような目で見つめないでくれ。余計悲しくなる・・・。

緋色した我が屋敷の廊下の壁は、あくまで主張せず、それでいて気品
漂う雰囲気を出すために、あえて控えめな配色が施してある。

その静粛さが輪をかけ、妙に重々しい雰囲気を醸し出すこの場を
早く立ち去ろうと話を短めに切り上げようとすると、

「ちょっと待てよ。」

と、普段は温厚な彼が、声を荒げながら私に食って掛かってきた。
普段は温厚な彼の怒声に少し驚いた私は振り向いた。

「君が落ちただって?」
「さっき言った通りだ。」
「私よりもはるかに優秀だった君がか?」
「ケアレスミスが多くてね。」
「そんなのは詭弁だ!君は些細なミスで落とされるような輩じゃない。
 それは私だけでなくみんな知ってるはずだ。」
「優劣を決めるのは君じゃない。執事仕官の方々だ。」
「いや、納得できるものか!私からも話を聞いてみる。
 何かの間違いじゃないのかって。」
「止してくれ、余計に惨めだ。」

「一体何があったんだ?」
「君には関係ない。」
「そんな言い草はないだろう。」
「いや、君には関係ない。」
「わけがわからない。詳しく話してくれ。」
「もういいだろう。試験に受かった君には関係ない。」

止めの一撃を彼に浴びせたつもりだった。

しかし私の顔は不意に熱を帯び始め、次第に痛みがこみ上げてきた。
気がつくと私は彼に頬を打たれていた。

この屋敷では執事としての根本。紳士的であることを日ごろから
義務付けられている。
それをよく知ってる彼が罰を省みず手を上げたことに驚き、
そして、呆然としている私に彼はこう告げた。

「殴ったことは謝る。しかし、以前の君が持っていて、今の君に
 決定的に欠如しているものをもう一度考え直してもらいたい。
 そして、私の執事としての無様な行為を払拭してくれるほどの
 話を、期待して待ってる。」

そう言い放ち、彼は反対側へと歩き始めた。

彼に返す言葉も出ず、やり場のない怒りと、危険を顧みずに友を
救い出そうとする、彼なりの不器用でありながらも真摯な姿勢に
心を動かされていた。

それでもじっと、無くなりかけた頬の痛みを奥のほうで噛み締めて、
なお自制しようとする弱き障壁に、さもしい心の在り方に、
私はただただ後ろめたさを感じていた。