隈川でございます。
お嬢様にももしかしたらご経験があるかもしれませんが、人間は心の芯が失われるとこれまで普通にできていたことができなくなってしまいます。
心の芯というのは人によってそれぞれで、夢であったり、物であったり、ペットや植物であったり、誰かとの関係であったり、長く信じてきたクレドであったり。心の根幹の部分でございます。
その芯が揺らぎ、なにかのきっかけで抜けてしまうとそこはうつろとなり、ふとしたとき、呼吸をするようにあらゆる感情を呑み込んでゆきます。
美しい景色から目を背けたくなる。
素晴らしい音楽が響かなくなる。
誰のどのような言葉もふさわしくない、名前のない澱のようなものだけが心に残ります。
これまであたりまえにできていたことが、わからなくなってしまうのです。
このうつろの埋め方に答えはなく、きっとすぐに埋まるものでもありません。
けれど、少しずつ、すこしずつ、傷口が治っていくように痕を残しながらうつろは塞がってゆくのかと存じます。
もしも、お嬢様がいつか心の芯を失い、ご自分のなかのうつろとの向き合い方がわからなくなったとき、これまで通りができなくなってもどうか焦らないでください。強くあろうとなさらないでください。
私も上手にはできておりませんけれど、弱くて不器用なままで、それでも丁寧にゆっくりと向き合うつもりです。
使用人という存在にできることを、もう一度はじめから考えてゆこうと思っております。
隈川