お嬢様への手紙~横浜紀行・壱

我が敬愛せしお嬢様、ご機嫌うるわしゅうございますか?時任でございます。

春も梅雨も何処へやら、世は早くも真夏の装いでございます。
お昼のお使いも命懸けになってまいりました。日陰から日陰へと、陽光に焼かれ
た身体から白煙を上げつつ駆け抜ける日々でございます。
…大旦那様、なぜわざわざ私をお昼のお使いに出すのですか…。

とかく、この季節は体力勝負でございます。
暑さに食欲のわかぬ日もありましょうが、お嬢様がたは太陽ごときに屈服せず、
誇り高くしっかりご飯をお召し上がりくださいませ。

夏の陽射しの下、向日葵のような笑顔を湛えて御戻りになるお嬢様の姿を、お待
ち申し上げております。
その笑顔だけが、私が唯一愛することのできる太陽でございますゆえに。


それでは、この先は例によりて戯言を綴らせていただきます。
どうかお嬢様、この先はお休み前のベットか、退屈な馬車の旅の途中にでもご覧
くださいませ。



横浜に行ってまいりました。
文明開化の地。港と赤レンガと浪漫の街。横浜でございます。

実は時任め、若き日々の一端を横浜の街にて過ごした事がございまして。
この街の、鉄錆と潮の混じったが如き薫りには、とても郷愁を誘われるのです。

長らくこの地を離れ過ごしておりましたが、此度久しぶりに此の地を訪れることとなりました。
この機を得ましたのは、敬愛せし先達・芥川執事に有り難くもお誘いを頂き、横浜の港沿いに佇む数々の名家名邸を訪れる機会を賜った故でございます。


最大の難関は、お昼であること。
いつものごとく、影から影へと駆け抜けるような奇行を晒し、お供を許して頂いている芥川執事に恥をかかせるわけには参りません。

幸いにして、薄きヴェールのような雲が空を覆う天候でございました。
地下を突き進む列車に揺られることしばし…私は数年ぶりに、横浜の地に足を踏み入れたのでございます。


……ああ、この薫り。

芥川執事がご到着するまでの間、勝手ながら少々、思い出の赴くままに懐かしい街を散策しておりました。

黒ベストを纏い、当時は見慣れぬ飲料であった洋酒のボトルをどうにか操り、港を行き交う海兵や御婦人たちを歓待していた夜は、いつもこんな薫りがしていたものです……。
何処までも黒く黒く解けていくような夜の海。赤い煉瓦を幻のように映し出すガス灯。まるで異世界のようにその威容を海に映す、煌びやかなる中華街……いくつもの思い出が心をよぎってまいります。

……あ。カメラ買っておかなきゃ。

さて。

芥川執事を駅のプラットホームにてお迎えし、ご挨拶の後に、小高い丘の庭園を歩みながら、本日お伺いするご邸宅のお話など
伺わせて頂きました。
かって明治の折に、外交官の方々が使われた邸宅。文明開化の折に日本という地に挑んだ冒険心溢れる異国商人達が住まいし館。ああ、懐かし…あ、いやいや、興味深いことでございます。


写真1n

まずは数々のご邸宅をお伺いする前に、丘を抜けました先にある小奇麗なカフェにて、軽くティータイムを取らせて頂きました。
白亜の美しい建物の中には、当時を偲ばせるアンティークな机椅子が並び、よく訓練された女給さんが丁寧に紅茶や珈琲を淹れておられました。

その手際の良さも目麗しく、私どもの誇るティーマイスターたちの手際も是非お嬢様方にご覧頂きたい想いに駆られましたが、使用人が小煩く立ち働いているところなどお嬢様にお見せするものではないと、芥川執事に笑って窘められてしまいました。
…うう、当家の先達達の前では、私とてただの若造のようでございます。

さて、曇り空とはいえ、夏の暑気の中でもございましたので、好奇心に駆られ『ミントティー』なるものを要望してみました。
なんと、新鮮なるミントの葉を紅茶に浮かべるという大胆な物でして…恐る恐る数葉のミントを浮かべてカップを傾けてみたところ…
…実に鮮烈なるミントの風味が、紅茶の涼やかな渋みと共に喉を潤してくれました。


写真2n

むう、これは斬新。是非ティーマイスターにおねだりしてみましょう。

…などと思ったのも最初のうち。
飲むにつれて少なくなっていくカップの中身に対して、新鮮なミントの抽出度は容赦なく持続し、最後には当家ハーブティーすら
凌駕するメントール香を発揮する飲料になっておりました。


……あああ、胃が爽やかに洗われるっっ。


もがもがしている私を、髭を揺らして笑いつつ芥川執事は仰いました。
「そりゃそうでしょう。」
…分かっていたなら止めてくださいよ。
「止める間もなくオーダーしてしまうものですから。」
はっはっはっと、ご自分のカップを傾けながら応用に笑う芥川執事を前に、私はメントール香に包まれながら若干クラクラしておりました。


さて。

そんな瀟洒なカフェを離れ、再び庭園を横切りながら…ついにお目当ての邸宅に辿り着くのですが。
あまり長々と紡ぎますと、お嬢様の目蓋が辛うございましょうし、諏訪野にもまた怒られます。
よって、今宵は此処までとさせて頂き、また数日の後に続きを語らせてくださいませ…。

次回は、華やかなる時代の英国商人の館、そして、一時は少年達が青春を過ごす学び舎にもなったという洋館を紹介させて頂きます。

それではお嬢様。

…ミントティーをお召し上がりになるときは、ためらわず手早くお飲み干しくださいませ。

それが本日の時任の教訓でございました。
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