季節を着る

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。隈川でございます。
処暑の候、と申し上げるにはまだまだ暑うございますね。
お嬢様。
今年の夏、素敵な思い出はできたでしょうか。
私は大変楽しゅうございました。
季節のお食事をお出ししたり、夏の催し、浴衣での写真撮影など。
…浴衣。
そういえば、もうかれこれ長いこと毎年違った柄を着ております。
本来いかなる季節もお仕着せだけに袖を通し、年中燕尾服でいることが使用人の美学。
しかしながら、思い返せば私はスワロウテイルにてお仕えするようになってからの方が多様な服を着る機会に恵まれてございます。
正直なところ昔は「使用人である我々がこんなに煌びやかなお衣装を着ても許されるのか。伝統から外れることになるのでは」と思うこともございました。浴衣もそのひとつです。
ですが、最近ではこうも思うのです。
お嬢様の笑顔の為に、どのような格好でも使用人として背筋を伸ばすこと。それがスワロウテイルの使用人たちの伝統なのではないか、と。
季節ごとにお嬢様が楽しい思い出を作れるよう全力で努め、その笑顔の為に尽力する。どのような格好であっても使用人としての本懐を忘れずに殉ずることこそが大切なのでしょう。
我々は燕尾服を着ているから使用人なのではなく、使用人としてお仕えすることを許された者が燕尾服を纏っているのですから。
浴衣であろうと、その他の衣装であろうと私がフットマンであることに変わりはございませんから。
さぁて!
そうなると、もっともっとお嬢様に笑顔になっていただく為には愉快で煌びやかな衣装が良うございますね!
来年は金地にスパンコール、サンバの飾り付けをした浴衣なんていかがでしょうか!
…あ、はい。
流石にそれはやりすぎでございますね。申し上げながら途中で気がついておりました。
これからも季節ごとに楽しいと思っていただけることを沢山ご用意できますように♪
隈川

行き止まり

よく人生は道に例えられることがございますが、確かにその通りなのかもしれません。

迷いながら進んだり、誰かと出会って一緒に歩いたり、少し休んだり。

もしも人生が道なのだとするならば目的地はいったいどこなのでしょうか。そこへ到達したらそれまでの全てが報われるのかというと、そんなこともないように思います。

それならば、今歩いているこの道そのものにこそ意味はあるのかもしれません。

早く行くのでも、遠くへ行くのでもなく、迷うことを楽しみながら行きたいものです。

私はこれまで「目的と手段」を明確に分けて考え、手段はなんだって構わないとしてきましたが、目的さえ見失わないのであればもう少し手段を楽しんでも良いのかもしれません。

行き止まりなことがわかっていても、その行き止まりを見たからこそ学べることもあるのでしょう。

隈川

風の形

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。隈川でございます。

この間、街の中で風を見ました。

木の葉や花が巻き上がって、風の形がはっきり見えたのです。

空に向かって渦のような形で昇っていきましたのは、気圧の低いところから高いところへ吹き込む風の到達地点だったのでしょうか。

普段見えないものに何かが混ざって、ようやく形がわかるというのは人の本音なんかもそうでしょうか。

そういえば、懐かしい名曲には風の絵の具を訊ねる歌なんかもございました。

ときには形の見えないものに目を向けるのもよろしいかもしれませんね。

隈川

日誌

ご機嫌麗しゅうございます、隈川でございます。

お嬢様!伺いました!
今後はティーサロンにご滞在できるお時間が100分間になるそうでございますね!ご夕食、ディナーのお時間ですと110分!これはこれは。

お嬢様とご一緒に過ごすことのできる時間が増えること、使用人の身としては嬉しいことこの上ございません!

しかしながら、実はそれと同時に重責を感じてもおります。

お嬢様がご多忙を極めていらっしゃることは重々承知しておりますから、そんな中で頂戴するお時間が延びるということ、真剣に受け止めて給仕をしなくてはならないと思っております。

お嬢様にとりましてのお寛ぎの場であるティーサロンにおいて、使用人はあくまで料理や紅茶の添え物であることは勿論弁えております。

その上で、ご一緒に過ごすひとときの中で、それぞれができることでほんの少しでもお嬢様の貴重な時間に花を添えられるよう努めてゆくつもりです。

環境が変われどお嬢様を一番に大切に思う気持ちに変わりはございません。

どうかこれからもご無理のない範囲でお顔を見せてくださいましたら嬉しゅうございます。

ティーサロンにてお待ちしております。

隈川

キッカケ

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。

新緑の季節、お庭の草木も美しいこの頃。

そろそろ新年度の変化も少しずつ落ち着いてきた頃でしょうか。何か新しいことを始めるにはぴったりの時期ですね。

とは申しましても、大人になってから全く触れたことのないものを始めるというのもなかなかに難儀です。

だからこそ、身の周りに散りばめられている「キッカケ」を見逃さないことが大切なのではないかと存じます。

例えば

美味しいものを食べたいという思いから、お料理をしてみたり。

テレビなどで中継されている世界的な大会を応援する内に触発されて、スポーツを始めてみましたり。

贔屓のアーティストに憧れて楽器を購入したり。

興味や縁が生まれた瞬間にそれは「キッカケ」のタネでもあるのです。

ご自身で無自覚のうちに作った壁を越えるためには、見つけたタネをとりあえず片っ端から育ててみるというのもよろしいかもしれませんよ、お嬢様。

どうか色々なことにご挑戦して、より一層楽しい毎日が過ごせますように。

隈川

お花見

おや、お嬢様。
ご機嫌麗しゅうございます。

お昼になってもお顔が見られないのでどちらにいらっしゃるのかと思えば、東屋でお寛ぎでしたか。

暖かくなってきたとはいえ、屋外でじっとしているにはまだ少し寒くございませんか?

え?お花見をしようと思ってきたのにもうほとんど桜が残っていない?
なるほど。

あー…
では「お花見」ではなくて「お葉っぱ見」にしませんか?

ちょうど紅茶とお菓子もお持ちしましたし、お花がなくても楽しゅうございますよ♫

…隈川はいつも頭の中がお花畑で羨ましい、ですか?

おお!それならば実質「お葉っぱ&お花畑見」でございますね!
お得ですね!

では紅茶をお注ぎし
あ、あれ?お嬢様?
お戻りになるのですか?

…行ってしまわれた。
ニルギリのご気分ではなかったのでしょうか。

隈川

サイコロ

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。隈川でございます。

突然ですが、お嬢様。
お嬢様はサイコロを振ったとき、どの目が出たら当たりだと思いますか。

あ、スタンダードな6面体のサイコロで結構です。

 

 

 

…はい、おっしゃる通りです。
ゲームに興じているわけでもなくただサイコロを振るのに当たりもハズレもございませんね。

ですが、今の質問に対して咄嗟にご想像された数字はあったのではないでしょうか。

6でしょうか?1でしょうか?
もしくはお好きな数字でしょうか。

個人の「価値観」とはそういうもののような気がいたします。

正解ではなく、なんとなくそれが良い。どの面を当たりだと思っても良いのです。

人と違うから間違いなんてことはないのです。

え?ちなみに私だったらどの面が当たりか、でございますか?

私はお嬢様が仰った面が当たりだと思います。

隈川