氷、恋しや

司馬でございます。
皆様、お健やかでいらっしゃいますか?

記録的な(ー毎年同じことを記しているような気がいたしますー)猛暑の到来でございます。
お出かけ先でお嬢様の身になにかあってはと、毎日気がかりでなりません。
本当に、お体を大事になさってくださいませ。

 

さて、夏の盛りに恋しくなるものといえば、かき氷。
かき氷と一言で言っても、種類は様々でございます。
目にもあざやかなイチゴやメロンなどの原色のシロップをかけまわしたシンプルなもの。
盛りだくさんのフルーツやアイスと共に供されるプレミア感たっぷりのもの。
昨今では、ふわふわに削ったくちどけの良いかき氷が主流になっているようでございますね。

ちなみに、司馬は宇治抹茶が好みでございます。
お嬢様方のお好みはどういったものでしょうか?

ところで、かき氷によく似た食感ではございますが、似て非なるものにグラニテというスイーツがございます。
用いられるのはただの氷ではなく、甘いシロップを凍らせた後、かき氷状に削って盛りつけたお品でございます。
ソルベのようになめらかな食感のスイーツは食後のデザートに出されますが、こちらはコース料理の途中で口直しに用いられるお品でございますね。

その他にも、フランス語で「氷で冷やしたもの」という意味でフラッペという言葉もございます。
カクテルでは、クラッシュドアイスをグラスに詰め、リキュールなどのアルコール類を注いだものを、フラッペスタイルと呼ぶそうで。
ずいぶんと広い範囲のお品が、この言葉には含まれるようでございます。

一口に氷を使ったお品といっても実に多種多様。
今年は猛暑を免罪符にして、色々な氷をお試しになるのはいかがでしょう?
もちろん、当サロンのスイーツやお飲み物もご存分にお楽しみくださいませ。

 

ただし、過ぎたるはなんとやら。
氷にはコリゴリとなりませぬよう、くれぐれも食べすぎにはご注意を。

 

時計の針

藤堂執事が今月をもって勇退いたします。
とてもとても長い期間執務を共にいたしましたので、感慨深いものがございます。

藤堂執事のお顔を拝見出来るのもあと数日となりますと寂しいものでございますね。

ですが、彼もわれわれの寂しそうな表情は望んでいないと思いますので、笑顔を最後まで送りたいと思います。

どうかお嬢様も藤堂執事を笑顔で見送っていただけましたら嬉しゅうございます。

一緒にお勉強をした記憶、イタリアンを食べた記憶、縁のある居酒屋様に連れて行っていただいた記憶、どれも大切な時間でございました。

時は戻せません。

ですが、藤堂執事にお顔を見せてくださる事をきっかけにしばらく遠出をされていたお嬢様。

久しぶりにあの時の時計の針をもう一度動かしてみませんか。

今を十二分に味わってまいりましょう。

宝塚歌劇雪組「ライラックの夢路、ジュエル・ド・パリ!!」

『ライラックの夢路』は、イギリス産業革命の影響を受けて目まぐるしく変化する19世紀初頭のドイツを舞台に、
プロイセン王国のユンカー(貴族)であるドロイゼン家の長兄ハイドリヒが、
鉄道産業の設立こそがドイツ諸邦の発展と統一につながると信じて奮闘する物語です。

小林一三先生が鉄道に夢を持たれ、一般市民の暮らしを豊かにすることを目指しいろんな発想を持ち、
新しい時代を強い情熱をもち時代を動かしていったことが宝塚だと認識される舞台でした。

雪組の新コンビ、彩風咲奈、夢白あやのトップ披露でもあります。

『ジュエル・ド・パリ!!』ぜひ見ていただきたい宝塚伝統のパリレビューです。
パリの独特の妖しくも美しい舞台をこれでもかと思いえるほど楽しい舞台です。

彩風咲奈の上品な美しさと、品の良さと中身の熱さがひしひしと伝わってきます。
是非是非楽しんでくださいませ。

藤堂でした。

古谷でございます

夏休み

日常の雑踏やしがらみから切り離されたおかげで感性が刺激されたからでしょうか

色々なものを目で見たり耳で聞いたり感じたり

あの日々が永遠に続くかのようにさえ思えたのは

それがきっと有意義で

意味のある時間だったからでしょう

頑張る事と同時に「休む」こともまた大切なのかもしれません

葉月

厳しい暑さが続いておりますが、お嬢様いかがお過ごしでしょうか。

乾でございます。

 

先月ギフトショップにてご用意いたしました「白桃のタルト」がとてもご好評いただきまして有難うございました。

そして今月はお屋敷にて私がご提案するフットマンケーキのご案内でございます。

食欲のなくなる夏でもひんやりとのど越しの良く召し上がって頂ける冷たいクリーム白玉ぜんざい「真夏のお吟」をご用意いたしました。

お召し上がりくだされば幸いでございます。

 

今月は金魚を折ってみました。

幼い頃、金魚すくいは得意でございました。

懐かしい思い出でございます

 

では、お屋敷にてお嬢様のお帰りをお待ちしております。

天使は何処へ

いかがお過ごしでございますか、桐島でございます。

もう既にご存知のかたもおるかと存じますが改めての紹介でございます。

私の自室に新たな同居人が増えました。

永井と申します。

白くてふわふわな天使の様な見た目ですが割とやんちゃ者でもございます。

今後お嬢様のお役に立てる様しっかりと指導してまいりますのでどうぞこれからもよろしくお願いいたします。

日誌

ご機嫌麗しゅうございます。荒木田でございます。

いかにもな夏が到来し、日を追うごとにますます蒸し暑くなっておりますが、お嬢様は毎日どのようにお過ごしでしょうか。お身体を大切になさりながら、心地よい場所でお過ごしいただけることを願っております。

目には青葉 山ほととぎす 初鰹

さて。
毎年、夏になるとこの句が頭によぎります。

江戸時代前期に山口素堂によって詠まれたこの句は、目に映る青々と茂る山の葉と、耳に入る時鳥のさえずり、そして舌で味わう初鰹、という三者三様の風物詩で夏(とは言っても旧暦の夏でございますが)の素晴らしさを語る、そんな句でございますが、いかがでしょう。
なんとも素敵な句だとは思いませんか?

夏の素晴らしさをただ列挙しているだけ。
言ってしまえばそれだけの文字列でございます。しかし、口ずさんでみると、中々どうして腑に落ちる。それは何故でございましょう。
この文字列をただの箇条書きではなく、俳句という芸術に昇華させているのは上の句にある、余計なはずの「は」の一文字なのだと、私は感じてございます。

「は」を抜き、上の句を「目に青葉」とすれば五・七・五調となり、教科書通りの美しいリズムが完成します。口に出してみれば滑らかに言葉が躍り出でることでしょう。しかし、山口素堂は敢えてそうしませんでした。「目には青葉」と六文字で慣れ親しんだ七五調のリズムを破壊し、混沌の世界に誘うのです。この常識の破壊こそが、新たな美しさと調和をもたらしたのです。

大切なのは疑ってみることでございます。地球が太陽の周りを回っていることを。或いは蛹が蝶となり羽ばたくことを。そして……ワイングラスがずっとその形を保っていることを。

きっと、私の足元に散らばっているクリスタルガラスの破片は、手を滑らせてしまったのではございません。
常識外の頂上的な力で突如として私の足元に顕現し、その代償として、私の手からワイングラスを別次元に奪っていったのです。これこそがきっと、新たな美しさと調和なのでございます。
だからこそ、私が拭いていたグラスは今手元になく、足元にはその残骸に酷似した透明な破片が散らばっているのです。
私が落としてお屋敷の床に叩きつけられ、哀れにも粉々になったのではございません。決して。絶対に。

……ごめんなさい。