お嬢様への手紙 ~ 中秋の名月

拝啓、お嬢様。
秋風が少しずつ夏の気配を消し去り、時には冬のような肌寒い日すらある。そんな季節になってまいりました。
寒気や雨が続くせいでございましょうか。世間では風邪をひくお方もかなり多いようで御座います。
日毎に口煩く申し上げてはおりますが。
お嬢様、くれぐれもお風邪など召されませぬよう、普段から暖かくなさって。お出かけの後には、うがいと手洗いを欠かさぬようになさって下さいませ。
時任は、お嬢様の輝く笑顔が大好きで御座います。故にその笑顔が風邪の苦しみで曇るなど、耐えかねます。
曇るのは陽光だけで充分で御座います。どうか、ご自愛くださいませ。

さて。つい先頃の夜は、中秋の名月で御座いました。
生憎とかの夜は雲一つない…とはいかず、雲の切れ間から満月が覗くといった風情でしたが。
満月の月光は、漆黒のはずの夜空を群青色にまで染め上げ。
白い雲が満月の周囲を渦巻くように流れている様は、まるでそう、夜空が海の様に見えたもので御座います。
群青色の海面、流れる雲は波頭、そこに静かに映る、どころまでも冴えた真円の月。
頭上に海原。眼下には青く染まった庭園。なんとも不思議な気持ちで過ごした月夜で御座いました。
お嬢様にはお楽しみ頂けましたでしょうか?
月の綺麗な夜には、またいつでもお月見を御命じくださいませ。
美味しいお団子とお茶をご用意し、馳せ参じると致しましょう。

さて。秋の夜長、月を眺める合間に、お嬢様は何をしてお過ごしでしょうか?
時任めは最近、近隣の町にお気に入りの古書店を見つけまして、懐かしい本を読み直すことが大好きで御座います。
愛する作家、ヘミングウェイとシェイクスピア。
その作品を見かけては買い求め、秋の長き夜を、本を片手にワインを片手に、物語に心を溶かすように過ごす。
大旦那様に頂いた休暇には、そんな緩やかな時間を過ごさせて頂き、英気を養っております。
…少し行儀が悪いでしょうか?どうかご容赦くださいませ。
現在はシェイクスピア『十二夜』を読み直しております。
古書店に埋もれていたのを偶然発見したもので御座いますが、三冊綴りで印刷の具合がずいぶん古く。
辞書を傍らに懸命に読み進めておりますが、いまだ読破には至りませぬ。
このお手紙を書くまでには読破し、その感動も筆にてしたためる積もりで御座いましたが、今しばらくのご猶予を下さいませ。
私見では御座いますが。人の心を見事なまでに仮想構築し躍らせるシェイクスピアの作中でも、サー・トービー氏の生き生きとした人間性は、再現度において群を抜いているように感じました。
シェイクスピア氏も、軍の訓練に重用された際、与えられた二つの水筒にフレーバーワインとドライジンを詰めたという道化者の一面があったそうで御座います。
もしやとは想いながらも、筆者シェイクスピアが、自らの存在を最も色濃く投影したのは彼だったのではないか。
そんな邪推を楽しみながら、今宵も作中に心を投じて参ります。
それではお嬢様。本日も陽が沈み、静かな夜が訪れました。
どうか心安らかに、秋の夜長をお楽しみになり。そして暖かくしてお休み下さいませ。
時任は、お近くの屋根の上辺りで。
月を愛で、夜気を楽しみ、そして『十二夜』を読み進めながら、お嬢様の夜を護らせて頂きます。

–We are such stuff as dreams are made on, and our little life is rounded with a sleep.–
どうか良い夜をお過ごし下さいませ。                       時任より