食の愉しみ―市場にて―

皆さま、お健やかでいらっしゃいますか?
ご存知でございましょうが、当家には各国の政財界要人や、あるいはお忍びで来日をしたハリウッド・スターなど、著名人の来訪も頻繁でございます。
その方々をおもてなしする料理長殿は、当然ながらたいへんお忙しく、ごくまれに、この私が代理として市場におもむき、食材を選んで買いつけることもいたします。
この文章は、お屋敷近くの市場にて綴らせていただいております。

さて、お屋敷につとめて長い私ですが、このようなお役目をいたしますのは執事を仰せつかってからのことでございます。しかし、なんとも魅力的なお仕事でしょうか。
つややかに輝く新鮮な魚介類、マーブル模様のように脂の入った牛肉、あざやかな色彩の果実。露店では、焼きたてのパンや菓子が香ばしい香りを漂わせております。
それらの食材を愛でつつ、もちろん仕事もきちんと済ませてから、私は市場の片隅に設けられたテーブルで昼食をとります。こっそり持参したワインの小瓶を開け、チーズと焼きたてのパン、そして今日はスモークサーモンもつけました。買い食いのような行いは、執事として、少々、はしたないとは存じながらも・・・。

もうお気づきでしょうが、私はとても食いしん坊で、美味なるものには目がないのでございます。
味覚とは一段劣った感覚で美的ではないというような意を書いていたのは、たしか、文豪の谷崎潤一郎氏でしたでしょうか。しかし、その氏でさえ、「細雪」では京都の味覚を実に見事に描写していらっしゃると聞いております。
私は、できるだけ人は食事を大切にし、美味しいものを食べなければならないと考えております。
もちろん、それは歴史上にあらわれた食に淫した王侯貴族のような振る舞いではございません。私の考えを端的にお伝えするのに、かつて読んだ料理の本で感銘を受けた言葉をここに引用いたしましょう。

「一本の麗々しい葱。雲のなかを泳いでもいい清麗な鰯。武骨なジャガイモ。硬い少女のようなキャベツ―これらは物であって物ではない。とにかく食を食として考えたくない。思いを込めたい」

いかがでしょう?私の言わんとするところが伝われば幸いでございます。
皆さま方、当家でお出しするお食事は、吟味に吟味を重ねた自慢の品々でございます。
それらについてはご満足いただけているかと存じますが、外出先でお召し上がりになるお食事に尽きましても、どうか大切に。おいしいお食事をなさってくださいませ。
では、本日はこのあたりで失礼いたします。