ここはサバンナ。

この度は幾分庶民的で他愛ないおはなしかと存じますがこれもひとつ社会勉強の一助として、

お暇な時間のお供にでも、と存じます。

それは
春夏にむけて、お屋敷の衣裳部屋に加わるお品の確認や早くも秋冬の衣装の打ち合わせの為
お屋敷の外へ伺った際の事でございます。
以前に大河内が日誌にて認めておりましたお財布のおはなしに関連いたしますが
電子化の波でしょうか、かような広告を目にいたしました。

とある飲料を電子決済すると価格の三分の一相当にあたるポイントが付与されるといったようなキャンペーンだそうで、
はあ、たしかにお得だなあ、などとぼんやりと存じましたが、よくよく考えてみると

金額にすると50円程。でしょうか

日々重ねると中々の金額になるかも存じませんが普段購入しているものが奇遇にそういったキャンペーンをしているならいざ知らず
言い換えるならいわば自らの選択権を50円と引き換えに放棄することとこれは同義なのでは、と存じました。
見渡してみると案外、巷にはかように類似した件はよく見られるのですが

私はおそろしいことに感じました、
あるいは歳のせいなのかも知れませんが。

いつの時代にもございましたでしょうが
知らず知らずのうちに与えられた選択肢から選択する事しかできないという状況に置かれかねないという事が。でございます。

ここはコンクリートジャングル。
あるいは資本的サバンナ。
これほどまでに発展したように見える文明にも
あるいはだからこそ、
弱肉強食、野生の掟を感じます。

あな恐ろしや。

ところでこの度パンケーキをご用意させていただくおゆるしを頂戴いたしました。
シャンティには練乳をお入れして
軽くメープルをおかけしたパンケーキに添えてございます。
甘さやホイップの重さのバランスを調整いたしまして、パンケーキのしっとりした食感やメープルの香りなど。
自信をもってご提供させていただけるようなご用意に仕上がったことと存じてございます。

気が向かれましたら、是非お召し上がりいただきたく存じます。

俗世の見栄や思惑から解放された自由意思によって得られる穏やかな憩いのひと時を感じていただけるかと存じてございます。
いかがでしょう。
Filed under: 園田 — 22:00

人生とは

端的に申しまして人生とは人として生きることであると私は存じてございます。

ただいま読んでおります本に
万葉集からの引用の一節がございまして
万葉集酒を讃むる歌十三首より曰く、

あな醜賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似る

意訳いたしますと
賢ぶって酒を飲まない人は猿にさえ似て醜く見える
と、おおよそこういった意味合いのようでございます。

自分たちのお酒を飲まないことを偉いこと誇るべきことだと信じてお酒を飲む人たちを卑下する方に対して思うこと、と言った具合でしょうか。

(more...)
Filed under: 園田 — 15:00

園田でございます。

先日暇をいただいた日にパスタを茹でました、リングイニでございます。
食感がよろしく私はリングイニが好きです。
パスタは好きでよく茹でます。
過程も、お味も含めた。食事以上にひとつの料理として。
パスタには愛着を覚えます。

ゆっくりとした時間の中。
パスタから立ち昇る湯気はどことなく詩的でございます。
身の締まる寒さの日には尚のこと。

ミートソースでいただきました。
当サロンでもパスタは温めたお皿にて盛り付け、お出ししておりますが。
やはり温かいお食事は食器も温かいと
またより一層おいしくいただけますね。

あつあつの食器で私もこの度はちょうだいすることといたしました。

しみじみと、人生だなあ。と思うお味でございました。
おおよそ、よき人生でございました。

例えば、
時には、お皿に取っ手が付いていてもよいのかな、とそのように存じます、それはフライパンのように。
お箸にしたところですこし普段より長いのも、常日頃のお食事とはまた違った趣きを感じられてよろしいかもしれません。パスタも長いので。
まるで菜箸としてちょうどよい程であっても。

人生ですので。
Filed under: 園田 — 15:15

三年越し

先日、三年ほど前に購入し少しずつ読んでいた文庫本を読み終えました。

その間に幾つか本は読んでおりましたので、
そちらの長くはない一冊だけを読み終えるのに三年を要した訳では流石にないのですが。
それにしたところで随分と、時間が経ったな、というようにも存じます。

、と申しますのも読み終えた際に巻末の1ページ前にレシートが挟まっており、

それは時間の経った今ではまったく(本のどの頁のどの展開より)予想外であったのですが
購入した場所や日付などが記載されておりますので当時の自分の様子が殊の外思い出されまして、
記憶を直接詰め込んだタイムカプセルを開けたような気分でございました。
ちょうどトレーサビリティの重要性を意識しはじめたような時期だったようにも思い出されるので、
今でもお気に入りのお菓子でしたりをいただいた際には名前と製造元のわかるラベルなどを保管するようにはしておりますが、いま一度心がけを新たにするよいきっかけかと存じた次第でございます。

このように自分の人生に自分のわかる足跡のようなものを残しておくとあながち目に触れて思い返す折に発見があるかもしれません。

ちなみに細かいことですがレシートが巻末ではなくその1ページ前に挟まってた理由は

私が新書を購入する際に初版を求める質で初版の文字のある巻末のページは自分にとって意味のあるページなのでインクなどで汚れる危惧のない万全な状態にする意図の為でございましょう。
人間、変わるようでいて変わらないものでございます。
Filed under: 園田 — 16:26

幸福について

ご機嫌麗しうございます
先日、お屋敷の外の知らない町へすこし足をのばし公園で鳥や冬の装いの木でしたりを眺めお散歩しておりましたら

見ず知らずの方に
幸せですか?と、声をかけられ、

ええ、大変、幸福です。
、と笑顔でお答えしたらなぜか不満そうな顔をされました、園田です。

今思うとファウストだったなら魂を取られていたかもしれません。

新たな年を迎えたことと存じますのでより良き年にできるよう幸福について考えてみるのもよろしいかもしれません。

私は自分の思う通りに事が運ぶ事が幸福であると存じております。
単純に思えてこれはそうではないと日々、私は感じております。
自分に対して利益でない結果に辿り着いたとしても自分自身がそれまでの結果と過程を思い描き、望み、辿ったならそれは幸福である、とそのように存じております。

一つの指標として、
功利主義といった思想がございます。
ジェレミベンサムという哲学者が体系化した
行為や制度の望ましさは結果として生じる功利により決定される。
という思想でございます、
最大多数の最大幸福という言葉は有名ですね

その後、
ジョンスチュアートミルがベンサムの下で功利主義を受け継ぎ
功利を追求するにあたって
高級な幸福
つまり功利の量と同時に質についても追求する必要を説きました。
充足した豚よりも不満である人間の方が良い、などとミルは述べているようですが。
個人的に選民的思想に発展しかねない少し極端に寄ったようにそちらに関しては存じますが。

これらは19世紀に提唱された思想ですので随分古めかしいものと言えますし
現に古典功利主義と言われるわけですが
しかしながら
私は概ねこういった立場の思想に賛同し行動原理の参考にしております。

信念に基づいた行動は幸福の道標となるかと存じます。
新年、ですので。

今年の目標などの片手間に考えていただくのもよろしゅうかと。
今年も良き年でありますよう、
また良き年にしていただける一助となるようお仕えさせていただきます。
Filed under: 園田 — 13:30

ディオニュソスの子

先日、
大河内、伊織、両名によるカクテル、ショコラショーの提供をさせていただいたことと存じます。
カクテルの名は接吻、クリムトの画題に材をとった由来でございますね、
クリムトはデカダンスに分類される代表的な画家の一人でございます。
(古代ギリシアのローマのトーガを思わせる装いが印象的な画家でございます)
ビアズリーや、ミュシャもデカダンスでございましょう。
以前大河内も日誌にてディオニュソスについては認めていたかと存じますが

デカダンスは極めてディオニュソス的な芸術かと存じます、
デカダンスとは堕落的、退廃的、背徳的な芸術であり本来否定的な意味合いを以って語られる言葉ですが
個人的な見解としてはデカダンスの本質は赦しであると存じます。
私の愛する名著の一つ坂口安吾の堕落論から申しますと
堕落を止めることに救いはない、聖女も英雄も堕落する、それこそが救いだ。と。
人は堕落によって自身を見出し、許しと救いを見出すことが出来るのだと。
それこそがデカダンスの本分、芸術による讃美であると私は存じます。

当家随一に教養を備えた二人ですから様々に思惑を巡らせたのではと私は存じております。
大河内と伊織、ディオニュソス、接吻、背徳、
私のような一介の使用人には到底真相にたどり着くどころかひとまずの結論さえもまとめることができそうにございません、のでそこは
日誌をご覧いただいた後生ですので、
新しい年も近づいておりますから、ワイン、音楽、絵画、素晴らしきディオニュソスの子たちによる賜り物の数々を側に
ご一緒にお考えいただくのもよろしいかもしれません。
去る年も来る年も良き年にいたしましょう。
Filed under: 園田 — 15:00

ソーダはいます。

ソーダは優秀でございます、
ウイスキーと混ぜるとハイボール
メロンシロップと混ぜるとソーダ水
レモンと混ぜるとラムネ
他にも枚挙に暇のないことと存じます
そしてそれぞれ、素材をしっかり引き立てている点も素晴らしい。
ああ、ソーダになりたい。
ここまででお気付きの向きもあるやもしれませんが

園田、ソーダ。
sonoda,soda.

音に出してみるととても近しうございますね。
sonodaの"no"自体がnoであったならもはや私はsodaなわけで、ともすると私、ほぼソーダといって差し支えないかと存じます

ああ、そうか私は、ソーダだったのだ。

と、しかし。奇しくもアナグラムにするとno,sodaになるわけで
かくして私はソーダではなかったと我に帰りました、

仮に私の名が発音の近い別の名だった日には
危うくこのまま、あるいは今頃、私はソーダになっていたやもしれません。

といった具合で、
ソーダではない園田が考案したグミ入りソーダアイスをこの度、お出しさせていただく運びとなりました。

文頭にて前述した通り、素材を存分に引き立ててくれるソーダをベースのアイスとして用い、
様々なお味のグミを混ぜ込むことにより、一皿で多様なお味をお楽しみいただけるアイスとして仕上がりました。

長文、ならびに私ごとで恐縮ですが今月において私、園田は

サロンでのお給仕をさせていただき1年が経ちます。

奇しくもこういった節目の折に私の考案したアイスをティータイムに添えていただく機会に恵まれたこと、至極僥倖と存じております。
誠にありがとうございます。
Filed under: 園田 — 16:30

紅葉を見て、落葉を思ゆ。

身体の構造上、

基本的に目は前にしか付いていないものですから前しか見えないものでございまして、
(横を向いても後ろを向いても結局視点を主観にすればそれが前であるという、これは大概レトリック上のトリックといった具合かとは存じますが)
つまりはおおよそ、人間、必ず死角が出来るものでございます。

それと申しますのも、常々、努々忘れぬよう私自身、心に留めている事でございますが。
身体だけでなく意識も同じように必ずすべてのことを同時に見ることはできないことと存じております。
このように一見別の事柄に見える共通の性質に思いを馳せる折りが、ままございまして。

とある企業の経営をなさっている方が経済誌だったかでおしゃっておりました
曰く、より良質な仕事をする為に心掛けている座右の銘とのことでございまして
それは

無意識の意識化

だそうでございます。
私の人生でも数ある感銘を受けた知見の一つでございます。
ここで冒頭に立ち返るわけでございますが無意識は言うなれば死角であり盲点でございまして、意識の反対側、うしろ側には奇しくも無意識があるような気がいたします。
こういった忘れがちな事に目を向けてみると人生が豊かに感じられることもあるかもしれません。

おさんぽの道すがら、そんなことが頭をたゆたう秋の落日でございました。
Filed under: 園田 — 10:55

磨き、磨かれ、日々

靴磨きには複雑ではないいくつかの行程がございまして
人により様々かと存じますので違う向きもあることと存じますが
おおよそ

シューキーパーを入れ
馬毛でのブラッシング
リムーバーでの汚れ落とし
シューケアクリームの塗布
磨き上げ

といった行程かと存じます。
日々、行程を重ねるうち、それぞれの作業にちょうど良い加減というものがあるように感じられます。
リムーバーはつけすぎればよいものでもございませんし。
クリームも塗りすぎてよいものでもございません。
磨き上げも私は豚毛の後、馬毛、といたしますがそれぞれブラシの力の入れ具合などによって仕上がりが変わってまいります。

思うに、過不足なく、ちょうど良い。という事が様々な事柄において共通して肝要であるのかな、と、感じることでございます。

折に恵まれ、様々な一流と存じますような方の仕事など拝見して常々、ある種、信条のように日々、感じてきたことでございますが
一流であることはいわば物事に対しての理解度であり

そのためには観察し、無駄なく過不足ない。ちょうど良い度合いを知る事なのでは、と。
そのように存じている次第でございます。

未熟な身でありながら少々、語りが過ぎました。

私自身、まだまだ研鑽が必要な身でございますから、様々、自身を磨いて参りましょう。手始めに、
昨日に、レッドシダーのブロックを入れ内を乾燥させた靴を磨いて参ります。
Filed under: 園田 — 19:45

みどりのくろいしましま

ご機嫌麗しうございます、
スイカでございます。

夏ですので、スイカをおいしくちょうだいしておりました。ふと、
スイカのシャリっとした食感がたいへん私は好みで、凍ったスイカは
かような食感を残したまま見事においしいシャーベットになるのでは。
、と存じまして。

豪気にスイカを1玉、食堂の冷凍庫へ入れました。
1日ですっかり凍るのかもよくわかりませんでしたので数日寝かし。
いざしっかり凍ったスイカを取り出し、切り分けようといたしますとこれがあまりに硬とうございましてまさに歯が、刃が立たないといった具合でございます。

(more...)
Filed under: 園田 — 15:30