ディオニュソスの子

先日、
大河内、伊織、両名によるカクテル、ショコラショーの提供をさせていただいたことと存じます。
カクテルの名は接吻、クリムトの画題に材をとった由来でございますね、
クリムトはデカダンスに分類される代表的な画家の一人でございます。
(古代ギリシアのローマのトーガを思わせる装いが印象的な画家でございます)
ビアズリーや、ミュシャもデカダンスでございましょう。
以前大河内も日誌にてディオニュソスについては認めていたかと存じますが

デカダンスは極めてディオニュソス的な芸術かと存じます、
デカダンスとは堕落的、退廃的、背徳的な芸術であり本来否定的な意味合いを以って語られる言葉ですが
個人的な見解としてはデカダンスの本質は赦しであると存じます。
私の愛する名著の一つ坂口安吾の堕落論から申しますと
堕落を止めることに救いはない、聖女も英雄も堕落する、それこそが救いだ。と。
人は堕落によって自身を見出し、許しと救いを見出すことが出来るのだと。
それこそがデカダンスの本分、芸術による讃美であると私は存じます。

当家随一に教養を備えた二人ですから様々に思惑を巡らせたのではと私は存じております。
大河内と伊織、ディオニュソス、接吻、背徳、
私のような一介の使用人には到底真相にたどり着くどころかひとまずの結論さえもまとめることができそうにございません、のでそこは
日誌をご覧いただいた後生ですので、
新しい年も近づいておりますから、ワイン、音楽、絵画、素晴らしきディオニュソスの子たちによる賜り物の数々を側に
ご一緒にお考えいただくのもよろしいかもしれません。
去る年も来る年も良き年にいたしましょう。
Filed under: 園田 — 15:00

ソーダはいます。

ソーダは優秀でございます、
ウイスキーと混ぜるとハイボール
メロンシロップと混ぜるとソーダ水
レモンと混ぜるとラムネ
他にも枚挙に暇のないことと存じます
そしてそれぞれ、素材をしっかり引き立てている点も素晴らしい。
ああ、ソーダになりたい。
ここまででお気付きの向きもあるやもしれませんが

園田、ソーダ。
sonoda,soda.

音に出してみるととても近しうございますね。
sonodaの"no"自体がnoであったならもはや私はsodaなわけで、ともすると私、ほぼソーダといって差し支えないかと存じます

ああ、そうか私は、ソーダだったのだ。

と、しかし。奇しくもアナグラムにするとno,sodaになるわけで
かくして私はソーダではなかったと我に帰りました、

仮に私の名が発音の近い別の名だった日には
危うくこのまま、あるいは今頃、私はソーダになっていたやもしれません。

といった具合で、
ソーダではない園田が考案したグミ入りソーダアイスをこの度、お出しさせていただく運びとなりました。

文頭にて前述した通り、素材を存分に引き立ててくれるソーダをベースのアイスとして用い、
様々なお味のグミを混ぜ込むことにより、一皿で多様なお味をお楽しみいただけるアイスとして仕上がりました。

長文、ならびに私ごとで恐縮ですが今月において私、園田は

サロンでのお給仕をさせていただき1年が経ちます。

奇しくもこういった節目の折に私の考案したアイスをティータイムに添えていただく機会に恵まれたこと、至極僥倖と存じております。
誠にありがとうございます。
Filed under: 園田 — 16:30

紅葉を見て、落葉を思ゆ。

身体の構造上、

基本的に目は前にしか付いていないものですから前しか見えないものでございまして、
(横を向いても後ろを向いても結局視点を主観にすればそれが前であるという、これは大概レトリック上のトリックといった具合かとは存じますが)
つまりはおおよそ、人間、必ず死角が出来るものでございます。

それと申しますのも、常々、努々忘れぬよう私自身、心に留めている事でございますが。
身体だけでなく意識も同じように必ずすべてのことを同時に見ることはできないことと存じております。
このように一見別の事柄に見える共通の性質に思いを馳せる折りが、ままございまして。

とある企業の経営をなさっている方が経済誌だったかでおしゃっておりました
曰く、より良質な仕事をする為に心掛けている座右の銘とのことでございまして
それは

無意識の意識化

だそうでございます。
私の人生でも数ある感銘を受けた知見の一つでございます。
ここで冒頭に立ち返るわけでございますが無意識は言うなれば死角であり盲点でございまして、意識の反対側、うしろ側には奇しくも無意識があるような気がいたします。
こういった忘れがちな事に目を向けてみると人生が豊かに感じられることもあるかもしれません。

おさんぽの道すがら、そんなことが頭をたゆたう秋の落日でございました。
Filed under: 園田 — 10:55

磨き、磨かれ、日々

靴磨きには複雑ではないいくつかの行程がございまして
人により様々かと存じますので違う向きもあることと存じますが
おおよそ

シューキーパーを入れ
馬毛でのブラッシング
リムーバーでの汚れ落とし
シューケアクリームの塗布
磨き上げ

といった行程かと存じます。
日々、行程を重ねるうち、それぞれの作業にちょうど良い加減というものがあるように感じられます。
リムーバーはつけすぎればよいものでもございませんし。
クリームも塗りすぎてよいものでもございません。
磨き上げも私は豚毛の後、馬毛、といたしますがそれぞれブラシの力の入れ具合などによって仕上がりが変わってまいります。

思うに、過不足なく、ちょうど良い。という事が様々な事柄において共通して肝要であるのかな、と、感じることでございます。

折に恵まれ、様々な一流と存じますような方の仕事など拝見して常々、ある種、信条のように日々、感じてきたことでございますが
一流であることはいわば物事に対しての理解度であり

そのためには観察し、無駄なく過不足ない。ちょうど良い度合いを知る事なのでは、と。
そのように存じている次第でございます。

未熟な身でありながら少々、語りが過ぎました。

私自身、まだまだ研鑽が必要な身でございますから、様々、自身を磨いて参りましょう。手始めに、
昨日に、レッドシダーのブロックを入れ内を乾燥させた靴を磨いて参ります。
Filed under: 園田 — 19:45

みどりのくろいしましま

ご機嫌麗しうございます、
スイカでございます。

夏ですので、スイカをおいしくちょうだいしておりました。ふと、
スイカのシャリっとした食感がたいへん私は好みで、凍ったスイカは
かような食感を残したまま見事においしいシャーベットになるのでは。
、と存じまして。

豪気にスイカを1玉、食堂の冷凍庫へ入れました。
1日ですっかり凍るのかもよくわかりませんでしたので数日寝かし。
いざしっかり凍ったスイカを取り出し、切り分けようといたしますとこれがあまりに硬とうございましてまさに歯が、刃が立たないといった具合でございます。

(more...)
Filed under: 園田 — 15:30

盆栽についてのこと。

ご機嫌麗しうございます
園田です。

前もって申し上げると、
この度は少々、長々と乱筆になるやもしれません。

私、思いがけず纏まって暇を頂戴致しましたので、お許しを頂きお屋敷の外へ足をのばし、
盆栽村まで出掛けて参りました。
(more...)
Filed under: 園田 — 10:30

漬ゆ。

ご機嫌麗しゅうございます

梅雨というだけあり梅の収穫された時期になりましたので
私も梅をいただき例年通り梅干しをこしらえにかかります
梅の選別をいたしまして
洗いをかけ
水気を取り
ヘタを除き
ひとつひとつ粗塩をまぶしヘタを除いた窪みに粗塩を詰め
消毒した瓶に詰め重しをのせ梅酢が上がるのを待つのでございますが
何と申しましてもやはり梅酢が上がりきるまでが勝負どころでございまして
梅酢に浸かりきれば一安心でございます
そのためにもやはり梅についた傷でございましたりアルコールでの消毒には細心の注意を要しまして
そうするとなかなかの大仕事と言って差し支えないことと存じますが
手間のかかるほど梅酢が上がるまでの思い入れというのもひとしおでございまして一粒一粒が愛おしく思える次第でございます
私は梅を洗う際に水に浸かり空気を纏った梅の表面が透明の膜に包まれ透き通って見える様子が好きでございます。
実に涼しげで美しうございますから
ぜひ一度梅干しつくりに挑戦していただければと存じます
また、瓶や壺などでなくジップロックを使うと割と手軽にできるのでお勧めでございます。

Filed under: 園田 — 12:30

マル。たちのぼり、しずむ。

近頃は大変暑い日などがつづいておりますが、
そこでただただ暑いとゴネるばかりも味気ないものでございますから
ラムネを調達して参りまして頂戴いたしました。

(more...)
Filed under: 園田 — 16:30

芽吹き、温もり。

ご機嫌麗らかしゅうございます。
いよいよ春の様子。
花に緑と、様々な生命の芽吹きを感じます
そんな中、日が落ちると少々肌寒く感じることがございまして、自室でお茶をいただくことがございます。
そのような折に個人的におすすめさせていただきたいお茶、
ご存知の向きもあるかと存じます
お出掛け先へのお土産などをご用意しておりますギフトショップでお馴染み

的場の考案いたしましたブレンド、
メドゥアダラクでございます。

的場は大変、情が厚く面倒見の良い使用人で
サロンでのお給仕を目指して勉強している折などはよく気に留めてくれたこともあり特に懇意にさせていただいている使用人の一人でございます。
これはそんな折の話。
的場にサロンでお給仕するにあたっての私自身の心構えについて聞いていただいておりました、私は当時、心は定まってこそおりましたがその気持ちを伝えるにあたり上手く言語化できた自信がありませんでした。

メドゥアダラクをいただきながら、
今、あらためて言葉にしたのなら、あの頃より少しでも。気持ちに近い言葉をお伝えできるかしら、などと考えておりました。

すなわち、

サービスとは、
召使いを意味する言葉
サーバントの発展を由来としております、つまりサービスは主従関係を前提として成立するものだと言えます。

比して、ホスピタリティという言葉がございます。
技術であるサービスに加え、おもてなしをする相手を大切にしたいという心持ちがサービスをホスピタリティへと向上させるものと私は存じております。

僭越ながら私はお給仕を通じ
大切なお嬢様、お坊っちゃまへ直接ご奉仕させていただくことで
より良いホスピタリティを身につけることができると考えた次第でございます。

長々と書き連ねてしまい恐縮ですが
半ば私自身の気持ちの再確認として捉えていただきご寛容いただけますと幸いです。

さて、最後になりましたが、お気付きになりましたでしょうか。
この度の初めのご挨拶。
春にちなんで少々、趣向を変え、春の季語、麗らかと掛けてみました。
他愛ない言葉遊びでございます、

さて、
お茶をいただき、
充分温まってきた頃合いでございます。

それでは、失礼を。
Filed under: 園田 — 21:00

みかん

ご機嫌麗しうございます。
園田でございます。

はて、宿舎自室のテーブルに妖精さんか、はたまたどなたかの図らいなのか。みかんがございまして、
いずれにせよ私の部屋にあるのですから、これは食べて良しということかと存じましてありがたく頂戴してございましたら

ふと気になりました、

みかんというものはずいぶんと食べやすうございます。

皮も柔らかく、種もなく、さらには一口サイズに包まれて小分けされている始末。
小包装がやたらと普及した現代ならいざ知らずひと昔前を考えるならずいぶんとモダンなつくりの食べ物でございます。

殊、種がない。
ということは植物にとってどういう利点があってそうなっているのか。
品種改良の賜物なのかしら、他のオレンジなんかはしっかりと種が入っているし。
などと気になりまして、

少々お屋敷の書庫をお借りして調べましたところによると、

どうやら種がないものは大まかに温州みかん、
有田みかんや愛媛みかんなどはブランド名だそうで、
(浅学でお恥ずかしゅうございますが、
私、温州みかんもブランド名という認識でございました。)
そして、肝心の種についてでございますがこちら
本来は種があったものが、
突然変異で種がないものが生り、
そちらが多く作られるようになったということのようでございます。

自然とは、
フィボナッチ数列や
フラクタル構造をはじめ、
多くの教訓に溢れてございましてそこからはなにやら計り知れない大いなる意志のようなものを感じざるを得ません。

食べやすいという、

他者に利益を与える形で自らが振る舞うことによって、
自らを繁栄させる、という。

この度のこのお話も言うなれば教訓かなと存じます。
かようにとりとめのない事を考えておりましたら、

おや、窓の外にも大きなみかんが。
いえ、あれは夕暮れでございました。

、といった具合の一日でございました。
Filed under: 園田 — 21:30