エクストラはティーサロンにて

影山でございます。

6月17日にエクストラティー

『愛月撒灯』

を水瀬と二人でご用意させて頂きます。

わたくしにとって初めてのエクストラティーになります。(補助は一度ございました)

至らぬ点も生まれると思いますが、お嬢様の目の前でお作り出来るのでございますから、
この機会を与えて下さった大旦那様と水瀬に感謝し、誠意を込めてお作りしたいと存じます。

当日のご帰宅をお待ちしております。

水無月

雨に映える紫陽花の花も美しい季節になりました。

お嬢様如何お過ごしでしょうか、乾でございます。

6月になりますと10日過ぎ位に「入梅」、21日には「夏至」がございますね。

私の好きな夏がもうそこまで来ております。

ただ、梅雨の時期はあまり得意ではありません。

夏が来る前の約一ヶ月のジメジメした暑さを何とか乗り切る算段を考えなければいけませんね。

やはり風呂やサウナで汗を出し、美味しいお酒をいただくのが良いのかもしれません。

さて、6月には時の記念日がございます。

日本書紀によりますと西暦671年6月10日に日本初の時計が鐘を打ったとされることから毎年6月10日に、時間の大切さを尊重する意識を広めるため設けられました。

私も執事として、日頃お嬢様の時間を管理させていただいております。

お嬢様をお迎えしティーサロンでお過ごしいただきお出掛けされるまでの80分、あるいは夕食を楽しんでいただく90分を常に見守っております。

日頃より当家のフットマン達には、お嬢様のお食事の邪魔をしないよう申し付けております。

ただ稀にではありますが、お嬢様のお食事を邪魔するフットマンを発見する時がございます。

そのような者は使用人寮に戻ってからたっぷりとお説教しておりますのでお許しくださいませ。

さて、梅雨時は気候が変わり易く体調を崩される事がございますので、くれぐれもご注意くださいませ。

では、お嬢様のお帰りをお待ちしております。

Will

暦の上では本日より水無月。雨天が続く毎日が予想されます。

合羽より先に傘を新調すべきだったと反省中の能見でございます。

お嬢様、お元気でいらっしゃいますでしょうか。

早速のご報告となってしまい、大変恐縮で忍びのうございますが、

私、能見は6月1日を以て、セカンドスチュワードに着任致します。

先日大旦那様より、紅色に輝くルビーを頂戴いたしました。

連月のようなご報告となり、驚かせてしまったかも知れません。

あっという間ではありましたが、翡翠の石とはお別れでございます。

まだまだ輝き放つ宝石でありますので、グルームオブチェインバーを

次に目指す使用人の為に、執務机の中で保管しておこうと存じます。

早くその日が来ることを願って。エメラルドと共に待っております。

これからは左胸の紅玉「ルビー」と共に歩むことになりました。

ピジョン・ブラッド色のルージュのような輝きを拝見いたしますと、

在りし日のCoteaux-Champenoisのグラスを思い出します。

屋敷の誇りを、そして伝統を胸に、改めて背筋が伸びる思いです。

昨夜は沢山の書籍と格闘しており、随分遅くに自室に戻りました。

湿度のある風を感じます。もうすぐ、私が大好きな夏が到来します。

今年の夏は、一体どんな思い出を一緒にお作り出来ますでしょうか。

新時代になって初めての夏休み。とても楽しみでございますね。

お嬢様、お坊ちゃまと、そして個性溢れる使用人たちで紡ぐ物語。

これからもよろしくお願い致します。

お早いお帰りをお待ちしております。

能見

お屋敷の雑学/弐

敬愛せしお嬢様へ。

翠碧の色も美しく、はや初夏の香りすら感じる日々でございます。
庭園のお散歩には良き気候でございますね。

前回より『お屋敷の雑学』と称しまして、今さら聞くに聞けぬようなお屋敷ならではの雑学をお届けしておりますが、
今宵は使用人たちが頂いておりますお仕着せ‥いわゆる制服についてお話しさせて頂こうと思います。

使用人たちは「執事」と「フットマン」に大別されると、前回お話させていただきました。
一目でその違いをご確認頂けますよう、その服装は上着、ズボン、ベスト、タイに至るまで細かに異なっておりまして、ズボンならばフットマンは黒で執事は灰色、ベストなればフットマンは白で執事は灰色などの違いでございます。
タイにつきましては、執事は「ネクタイ」を、フットマンは「リボンタイ」もしくは「アスコットタイ」を着用しております。また、セカンドステュワードやファーストフットマンなどお役目を持つフットマンは「クロスタイ」を着用しておりますが、お役目についての詳しい説明は次回の日誌に譲らせていただきます。

そして最大の差異たる上着でございますが、執事は裾が柔らかいカーブ上にカットされた『モーニングコート』を。フットマンは前裾が鋭角にカットされた『燕尾服』を着用しております。
但し。執事はモーニングコート、フットマンは燕尾服というものは、あくまで当家においての決まり事でございまして、一般とは全く異なるものでございます。

では社交界ではいかがかと申しますと。
モーニングコートは日中のフォーマルな場において、燕尾服は晩餐会など夜のフォーマルな場にて旦那様がたがお召しになるべき衣服でございます。

紳士たるもの、サロン・晩餐・狩猟・観劇など、様々なシチュエーションに厳格に従ったお召し物をスマートに着こなして然るべきでございますれば、時間をわきまえず常に燕尾服もしくはモーニングコートである我々は、いささかスマートとは言いかねるのは事実でございます。
然れど、使用人と言うものはそれで良いのです。
中世英国より近代に至るまで、使用人たるものは主人を立てるべく、敢えて流行を外したものや少しだけ野暮ったいものを着用するのが習わしでございます。
使用人たるものは華々しくある必要はございません。
そこまで考慮しての、あえて季節や時間を考慮しないスタイルなのでございます。
‥ほ、本当ですよ?

真夏でも燕尾服やモーニングを着ている我々に、大変ねとお声をお掛けいただくお嬢様も居らっしゃり、大変ありがたいことでございます。
しかし。お嬢様の方がずっと大変でございましょう?
貴族の令嬢たるもの、男性以上に時刻やシチュエーションに沿ったお召し物を必要と致しますゆえ、一日のお着替えの回数も尋常ではございません。
参考までに、社交シーズンのとある一日のスケジュールを列記致しますと、、、

ご起床頂きアーリーモーニングティ。お散歩服にお着替え頂き庭園のお散歩。
お散歩から戻られたら、午前のドレスにお着替え頂きご朝食。そののちお手紙のご確認と一日のスケジュールの確認、使用人たちへの指示。
太陽が高く上る頃、お昼のドレスに着替えてご昼食。
午後は訪問着にお着替え頂き、社交のためのご挨拶回り。
お戻りになられたら、散歩着にお着替え頂き庭園や領地のお散歩。
お散歩後に、夕方のドレスにお着替え頂きお茶会。
夜のドレスにお着替え頂き、晩餐会や夜会へ。

‥と、こんな塩梅でございます。
こんな忙しい日々の合間に、口煩い女給頭の目を盗んでティーサロンで一息ついたりするわけでございますね。

しかも、常に流行の最先端を意識しなければなりませんから大変でございます。
まったく、年ごと季節ごと、時には週単位で流行のお召し物が変わるって言うんだから大変ですね。
そろそろハロッズにでもお出掛け致しまして、流行のチェックをしないといけませんね。
ファッションのリサーチならば、大河内と園田をお供にお付け致しましょう。
お気に召して頂けたデザインがあれば、そのまま仕立てを下命するのも良うございますね。

行ってらっしゃいませ。良きお洋服との出会いがありますように。

花のように

新時代を迎えましたが、いかがお過ごしでしょうか。

桜もしかりでございますが、つつじも毎年時期を忘れずに花を開かせますね。

「躑躅」

あんなに鮮やかなピンクを想い起こさせるお花でございますのに、

髑髏と空目してしまった香川でございます。。

きっと難読漢字に入るのではないでしょうか。

たとえ時代が変わっても、
変わらぬ忠誠心をもってお仕え致します。

お早いお帰りをお待ちしております。

5月号

影山でございます。

今月のオススメ本をご紹介致します。

『ブレイブストーリー』全三巻宮部みゆき

王道のRPGを小説で楽しめる作品でございます。
王道の中でも特にわたくしの好きなパターンが二つありましたので、とても嬉しい作品でした。主人公の願いは、出会いを重ね成長していき変わっていきます。その部分が丁寧に描かれているだけでも読む価値はあるかと存じます。

『かがみの孤城』辻村深月

ずっと読もうと思っていた作品ですが、ようやく読めました。
この作品のすごい所は情景や想いが読みながら勝手に浮かんでくる事でございます。
作者の力でございましょう。
中盤の母親と主人公のシーンで、主人公の鼻の奥がツーンとなり、抑えようと思っても抑えられないという描写があるのですが、わたくしもその現象に同時になりました。主人公とシンクロしました。胸の奥がチクチクする作品ですが、是非読んで頂きたい作品でございます。

「受」

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

「受」
「負」
「甘」

自分語りのようで恐縮ですが、私は自身の人生においてこの三つの言葉を指針としております。

今回の日誌では「受」という言葉についてお嬢様にお話ししたく存じます。

例えば、才能に満ちた詩人が人生の全てを費やして詠った詩があるとします。しかし、それがどれほどに素晴らしいものであったとしても、本当の意味で理解できる人間はきっと一握りの教養や感性を持った者だけです。

では…本来の意味が伝わらなかった詩は一握りから溢れたその他大勢にとっては無価値な言葉の羅列なのでしょうか。

いいえ、そんなことはないはずです。

大切なのは「受」け取る心があるかどうか。「受」けとることを放棄したとき、初めてその詩は意味を失うのです。

もしもそれが詩人の意図とは異なる見当違いな解釈であったとしても、その詩を真摯に「受」けとったならば、そこには既に詩人の思惑に囚われない意味が生まれているのです。

感「受」性を意識的に磨くことがQOL(クオリティオブライフ)の向上に繋がる、というのが私の考えでございます。

頭の上に輝く光を誰かが星と呼び始めたように。

足元の花に言葉を意味付けたように。

生を授かった日を毎年特別に思い祝うように。

どんな些細なことであっても意識して感「受」することで初めて意味が生まれます。

私自身は天才でも秀才でも奇才でもありませんから、ほとんどの分野で本当の意味での正解を導き出すことができません。

それならばせめて、本当の正解でなくとも、自分なりの価値や意味を見つけたいのです。難しい数式を解くことは出来なくても、並んだ数字をパターンアートとして美しく感じる人間がいてもいいのではないでしょうか。

日常を素晴らしいものにすることは難しくとも、日常の中にある素晴らしいことに気付き柔軟に「受」けとる。それさえできれば人生は劇的です。
少なからず、私にとりましては。

対人関係においても同様です。

誰かの発したきつい言葉でも込められた「心」を正しく見出し「受」け入れられたならばそれは「愛」です。
逆に心が見つけられない言葉ならば捨ててしまって構いません、そんな心ない言葉にわざわざ傷付く必要はございません。

お嬢様が逆境や寂しさ、悲しみを感じたときに、その中でご自身にとって意味のある幸福を見つけ「受」け入れることが出来ますようにと願いを込めて。

どうかどんなときも思考を放棄することなく、当たり前に蝕まれない毎日をお過ごし下さいませ、お嬢様。

隈川