お嬢様への手紙 ~ 6通目

我が敬愛せしお嬢様、真夏の日々が続くこの頃でございますが、ご健勝であられますか?
お久しゅうございます。きっぱり太陽を天敵と見做しました時任でございます。

陽に当たらぬ日々が永過ぎたせいでございましょうか。
先日、昼日中に街へと買い物に出かけました折、あまりの眩しさと、身体を灼く陽光に辟易といたしまして。
このような真夏日の陽射しなど、お嬢様の肌を焼く不埒者、一生仲直りするものかと決意いたしまして。
時任は、お屋敷の地下の地下。最下層の地下室を住処とさせて頂く事に致しました。

さて、そんな日々でございますが、お嬢様はもうティーサロンの『ジュレセット』はお試し頂けましたでしょうか?
お出掛け先や別宅でお楽しみ頂けますよう、コンパクトにまとめました紅茶・マンゴー・グレープフルーツのジュレでございます。
また、時任が更にお勧めいたしますのは、ジュレと一緒にご用意させて頂きました、水風船でございます。
掌で弾ませてお遊び頂きますと、涼やかな音を立てて、風船の中で涼水が踊る逸品でございます。
実は一つ一つ、時任やフットマンたちがせっせと膨らませた、心を込めたハンドメイドでございます。
夏の思い出に御供させて頂ければ幸いでございます。

それではお嬢様。花火や夏祭りなど華やかな楽しみも多い季節、ぜひお楽しみ頂きとうございます。
ですが、夜遊びを過ごしたり、夏風邪を召されたりなさって、爺やたちに心配をかけぬようお願い申し上げます。

さて、それでは堅苦しいのはここまでと致しましょう。
お手紙二枚目はいつものように、時任めの戯言を記させていただきます。
寝付けぬ夜の寝物語なぞに代えて頂けたら幸いでございますが、だからといって寝不足にはならぬよう、お気をつけ下さいませ。

…さて、時任はサロンにて給仕を務めておらぬときは、主に執務を勤めております。
日々の雑務処理やフットマンたちのお休みの配分、新米たちの教育計画や仕事の配分。ワインやスコーンの個数の管理から、果ては水風船作りまで…仕事内容は実に多彩です。
執務というのは静かに机に向かい、羽ペンを黙々と走らせる仕事と考えておりましたが。
毎日の様に、奇妙にして奇天烈なトラブルが積み重なるお屋敷の執務役は、なかなかどうして体力仕事でございます。

同僚たちの目から見ても、最近の私は机に向っているときより、お屋敷の階段を上へ下へと駆けずり回っている姿を見ることが多いのではないでしょうか。
真面目な話、体が二つ欲しくなる瞬間が数多く御座います。
この際、根性入れて分身の術でも身に付けるべきでしょうか。
それを極めた暁には、両玄関とも執事・時任という荒業も夢ではありません。

しかしながら、現在は分身も出来ぬゆえ。執務の手が追いつかず、同僚に迷惑をかけることも御座います。
そんな不甲斐ない我が身を叱咤しながら、尽力する日々でございます。
それはもう、時には苦手な太陽と戦いながら、昼も夜もお屋敷を走り回っておりました。
その甲斐あって、足は速くなってまいりましたが、仕事は早くなっていません。何か根本的に間違えている気が致します。

そんなある日の、ワイン倉での出来事で御座いました。

いつもの様に、ワインや食材の在庫確認のため、私はお屋敷の離れにある地下倉庫に参りました。
薄暗く涼しいワイン倉は快適であり、いっそ床に寝転がって眠ってしまいたいぐらいで御座いました。
が、居眠りしている場合でもなく。私は一本一本のワインの品質を確認しながら、在庫を確認しておりました。
そして、作業も大分進み、倉庫の一番奥に至った頃で御座いました。

――もぞり。
と、薄暗いワイン倉の中でも、特に闇深い一角で、もぞりと動く影。
なんだろうと眺めてみると、なにやら小山の様に大きく黒い物体が、ワイン倉の奥に鎮座していたので御座います。

……?
不審に思い近づいてみると、黒くモコモコとした其れは、どうやら何かの生き物のようで。
頭をクエスチョンマークで一杯にした私の前で、その生き物はひょいと頭を上げて、
ちょうど覗き込んでいた私と、顔を突き合わせたのでした。
愛らしい丸い耳。黒ボタンのような瞳。黒々とした毛並みの中、そこだけが雪の様に真白い、首筋の三日月状の毛並み。

……くま?

そう。それは熊でした。
その全長たるや悠に私の身長を越える、全身ふさふさの黒い体毛に包まれたツキノワグマが、涼しいワイン倉の奥へと陣取って、ぐうすか眠っていたので御座います。
しかし何故に熊がこの様な地下室の奥で爆睡しているのでしょう。
…熊が冬眠するのは知っておりましたが、夏眠するとは寡聞にして存じませんでした。

混乱し絶句する私の眼前で、寝ぼけ眼の熊はもぞりと巨体を動かすと。
くぅん。と。
まだ眠いのだと言わんばかりの甘えた唸りを上げて、もぞもぞと頭を前足の間に入れて、再びぐうすかと寝息を立て始めました。
……いやあの。くぅん。とか言われても。その。困るのですが。

いちおう、ワイン倉の管理を仰せつかった立場上、放置するわけにも参りません。
さりとて、此処で熊を怒らせ暴れさせたりしたら、高価なワインが幾つ犠牲になるかわかりませぬ。
やむを得ませぬ。
気持ちよく眠っている様子の熊を邪魔するのは気が引けましたが、一度自室に戻り、仕事用の痺れ薬を取ってくることに致しました。

自室の壁一面には、趣味で集めている数々のボトルが御座います。
リキュールやワインのものが殆どで御座いますが、酒は毒にも薬にもなると申します。
結果的に、幾種かの毒薬瓶もコレクションに並んでしまったのは、致し方ないことで御座います。
決して、実務用でも仕事用でも御座いません。誓って嘘で御座います…あいや、御座いません。

そんなボトル棚から『捕獲用』とラベリングされたボトルを手に取りました。
人間用に作ったものなので、熊に効くかどうか判りません。
…まぁ、先日に各務で試した際には効いたようなので、人間以外にも大丈夫でしょう。
……そういえば、鉾崎には効きませんでしたが、これについては統計外と致しましょう。

人間と人外の境界に思いを馳せながら、ボトルを持ってワイン倉に戻りますと、熊君はいまだ、倉の奥で丸くなって眠っておりました。
このまま安らかに眠ってもらいつつ、森にでも運ぼうと思っていたので御座いますが、こうも…すぴすぴと安らかに眠られていると、調子が狂います。
熊とて夏の日差しは辛いのだろうか、などと首を傾げて悩んでおりましたところ、熊君の巨大な身体の下に、先ほどまでは無かった何かがあるのを発見いたしました。
ぴらぴらとヒラめく、見覚えのある黒い布端。

燕尾服の端。

それは対馬という名の、近日お仕えを許された若きフットマンで御座いました。
大変な働き者で一本気な人物ですが、食いしん坊なのが玉に瑕でして、
時折、空腹に耐えかねては、倉からつまみ食いをしていた様子も御座いました。
彼のみならず、ときどき育ち盛り食べ盛りのフットマンたちによる摘まみ食いには、頭を悩ませておりましたが。

――がう!

私が戻ってきたのに気が付いたのか。
熊君は嬉しげに一声鳴くと、押さえ込んでいた対馬君を私のほうへと差し出しました。
飼い猫が、捕らえたねずみを差し出したときの様に、誇らしげに。
対馬君の口元には、スコーンの欠片が微かに残っておりました。どうやらまたつまみ食いに来て、熊君に遭遇し、捕らえられた模様です。

ふむ。

どうしたわけか熊君。このワイン倉を自分の居所と定めたようで御座います。
ゆえに、居所を荒らすつまみ食い犯たちは、不埒者として捕らえてくれたようです。
どうやら、頻繁にここを訪れていた私は、先住者として認識されたらしく、嬉しげに獲物を差し出して目を輝かせるその様子。
…殆ど、飼い犬か飼い猫の如しで御座います。

…まぁ、この人材不足に喘ぐ昨今のことですし。
番犬ならぬ番熊というのも面白いかもしれません。
……大旦那様に、試しにお伺いすると致しましょう。

  ◇  ◇  ◇

そんな次第でお嬢様、屋敷の警備に頼もしい仲間が一匹増えまして御座います。
大変賢い子で御座いますので、お嬢様も是非一度遊んでやってくださいませ。
涼しいワイン倉で、熊君を枕代わりに昼寝するのも気持ち良うございますよ?

今から?
それはいけませんお嬢様、ご寝所にいらっしゃらないのを気付いたら、爺やたちが心配のあまり泣いてしまいます。
後日、一緒にお出かけいたしましょう。

その時は、熊君に名前をつけてやってくださいませ。
鮮やかで柔らかな黒地に、鮮やかな三日月型の白毛を持つ大きな熊で御座います。

……さぁ。もう夜も遅うございます。
お嬢様の眠りを、熊君も時任も皆も、しっかりお護りいたしますよ。

だからどうか。
今宵も安心してお休みくださいませ。