日誌

ご機嫌麗しゅうございます、荒木田でございます。

楽しみにしていたお出かけの朝に雨が降っている。交差点がすべて赤信号で足止めされてしまった。お腹を空かせて足を運んだレストランが臨時休業。そんな一日を過ごした帰路は決まってこう思います。
「今日は運が悪かったな」と。
そして些か自分の人生を振り返ってみれば、概ね「運が悪い」という結論に集約されることが多い気がいたします。これは自身のネガティヴ思考に拠るものなのでしょうか。

しかし、もう少し日常というものを因数分解し、広く解釈してみれば、こんな考え方もできたりします。
「雨の日に外に出たのに雷に当たらなかった」「交差点で車に轢かれることがなかった」「レストランが潰れていなかった」。私が当たり前だと思っていた日常はその実、無数のポジティヴに支えられていたことに気づきます。

半分の水で満たされたグラスを見たときに「水が”半分”しか”入っていない」と捉えるのか「半分”も”入っている」と捉えるのか。ポジティヴとネガティヴ、世界の見え方と考え方のいろはを問うこの命題はきっと誰しもが耳にしたことがあるとは存じますが「グラスに入った水を直感的にイメージできること」「事象を視覚によって認識できていること」「そもそもこのような思考実験ができるほど、日々の生活にゆとりがあること」といった「無意識のポジティヴ」を俎上に載せられていないのです。

さて。
だからといって私は「もっとポジティヴに生きようではありませんか!」などと宣う気はございません。
なぜならば、逆もしかりですから。
「いつものように海岸を歩いていたのに龍涎香を拾えなかった」「道端にツチノコがいなかった」「空に彩雲が見られなかった」といった無意識のネガティヴも、当然に日常に遍在しております。

私が思うのは非常にシンプルでありきたりな結論でございます。
「当たり前の日常はその実、極めて奇跡的なバランスで成り立っている、何よりも尊いものなのだ」と。

 

 

 

 

 

数年前に訪れた石川県能登のお写真。ただ景色がきれいだな、と思って撮った当たり前の日常の風景でございます。
当たり前でなくなってから尊ぶのではなく。当たり前だからこそ尊ぶ。
そうすればきっと、世界は想像以上に美しゅうございます。