日誌

ご機嫌麗しゅうございます、荒木田でございます。

そちらは、晴れておりますでしょうか?

お屋敷は、晴。自室で日誌をしたためながら窓から空を見やれば、清々しい晴天が広がってございます。やや寒くはございますが、まさしく絶好のお出かけ日和。ふと郷愁に駆られたるは、山形月山の山頂で見た空だったか、島根は美保関、いや九州最南佐多岬で仰いだ青空か。

以前お話ししたことがございましたでしょうか、私荒木田はこうしてお屋敷にお務めする前、流浪の旅人でございました。日本全国彼方此方、相棒に跨り気の向くままに。山や海、島に半島、街に村。日本列島38万平方キロメートルは、宝箱のように魅力が詰まってございます。

折角ですので、日誌にお写真でも添えましょう。ただ、椿木のように写真が趣味、というわけではございませんから、どうぞクオリティはご容赦くださいませ。

 

 

 

 

さて。

過去の旅路に想いを馳せる時間は思いのほか長かったようで。快晴の空に、ぽつ、ぽつ、或いは、ふわ、ふわと雲がやって参りました。

幼き頃は雲を見れば、綿飴のように甘いのだろうか、だとか、もこもこで柔らかく、くるまれば暖かいのだろうか、などメルヘンチックな想像を走らせておりましたが、今となっては。小学校の理科で習った通り、雲とは、空気中の水分が冷やされることによって表象したただの水蒸気に過ぎません。

時に、思うのです。知識を得ることは必ずしも幸せにつながるのだろうか、と。雲の正体は、甘くてふわふわの綿飴であり、或いは、低反発でもこもこのクッションであるとした方が、よろしいではございませんか。後者の世界の方が、幾分幸福度が高いようにお見受けいたします。

無知、敢えて馬鹿と表現いたしますが、それこそが幸せを手にする条件なのではないか。

馬鹿と煙は高いところが好き、と言います。即ち、高いところが好ければ、馬鹿の証左である、ということ。

それでは峠道をひた走り、高い高い山の上へ、ついに雲の中に入ってみれば。

……うむ、甘くないし、もこもこでもない。

待ち構えていたのは、霧による視界不良にございます。

知識として頭に入っていただけの情報を、五感全てで味わう快感。未知に触れるのと同じくらい、既知を噛み締めるのは魅力的であり、その為に人は旅に出るのです……あくまで私の持論でございますが。

既知に触れる未知の旅。お嬢様も、宜しければ、是非。