お嬢様。
夜明けがいつも明るいとは限りません。
雲が塞ぐ暗い朝もあれば、目に染みるほどに星が明るい夜もございます。
幸福の中で生まれる苦痛や、苦しみの中で磨かれる道徳心があるように。
白い画用紙だから黒のインクは美しく、黒いサティーンは光の白さを顕にするのです。
そのときどきに置かれた環境の中で気がつくことのできるコントラストを記憶に留めておきたいと思う今日この頃でございます。
あとはスイーツバイキングの中で渋いお茶が欲しくなる…とか?
隈川
SWALLOWTAIL
お嬢様。
夜明けがいつも明るいとは限りません。
雲が塞ぐ暗い朝もあれば、目に染みるほどに星が明るい夜もございます。
幸福の中で生まれる苦痛や、苦しみの中で磨かれる道徳心があるように。
白い画用紙だから黒のインクは美しく、黒いサティーンは光の白さを顕にするのです。
そのときどきに置かれた環境の中で気がつくことのできるコントラストを記憶に留めておきたいと思う今日この頃でございます。
あとはスイーツバイキングの中で渋いお茶が欲しくなる…とか?
隈川
ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。
初夏の日差しや風が心地良い季節になりましたね。梅雨が来るまではこの過ごしやすい気候を満喫したいものです。
梅雨で申しますと、雨が降る日というのは窓から眺めるには叙情的な思いを膨らませてくれて好きなのですが、外出するとなると話は別。傘で手は塞がり靴に水が染み、折角きっちり整えた髪型も乱れてしまいます。
ところが、そんな鬱屈とした雨の不自由も晴れている日には忘れてしまうもの。
不自由のないフラットな状態というのはその中にいると気が付きにくいもの。
自分の過ごす毎日が恵まれた0の中にあることを思い出すのも、ときには大切なのかもしれませんね。
ただ、大雨の中を開き直ってびちょびちょになるのも案外気持ちが良いもので、マイナスを楽しむことができる人間も中にはおりますがそれはまた別のお話。
隈川
ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。
ようやく本格的な春が訪れ、街の空気も引き締まったモノトーンな雰囲気から一転!柔らかさを含んだパステルな暖かさに包まれております。
4月というのは世間一般的に申すと始まりの季節。お嬢様もご環境が今までと変わり悩んだりすることもあるのではないでしょうか。
大丈夫です!お嬢様、ご心配なさらず。
この隈川がついております!
私も10年同じ環境に勤めておりますが、いまだに悩みはつきておりませんからね♪
いや「それ、全然大丈夫じゃないでしょ」というお顔をなさらずどうかお聴きくださいませ。
私は思うのです。
悩みごとというのは、良い方向に進みたいと心から願えることに対して生まれる成長の兆しだと。悩んでいる時点でまだ諦めていないということです。
もちろん大前提として心の健康が第一ですから、過度に悩みすぎるのは良くありません。辛くなったらすぐ親しい人に吐き出しましょう。
ここで申しあげる「悩み」は「熟考」のことだとお考えください。
例えば、社会勉強などでは一つのことだけに熱心に取り組むということがなかなか難しいものです。
一つを大切にした働きでうまくいっても、他方から別の目線で辛辣なご意見を頂戴する、なんてこともあるでしょう。
そんなときに「なんて理不尽なんだろう」と憤るのではなく「じゃあ、どうすれば両方うまく良くんだろう」と生まれた悩みにはとても価値がございます。そこで考え抜いたことがそのまま自分の力になるのです。
そして、そこで悩んだ結果うまくいっても、うまくいかなくても
「次はどうしたらもっと良くなるだろう」「視野が狭まっていないだろうか」「そもそもこの環境に固執するよりも場所を変えた方が良いのか」と新しい悩みは無限に生まれ続けます。
ここで大切なのは【どんな悩みをどのように乗り越えたか】ということを自分で覚えておくことです。そうすることで自信とともに次を乗り越える武器が沢山増えていくのです。
私もメンタルが強い方ではございませんので、いつも悩みながら生きていますが悩んだ分だけ自分を信じられるようになったように存じます。
きっとこの調子ですとお爺さんになっても変わらず悩みながら生きているでしょう。でも、それで良いのだと最近は思います。
なので、悩むことがあったら人に相談することももちろんですが自分の中で沢山沢山考えてみてくださいませ。その自分自身の思考と向き合った時間には未来の可能性がいっぱいに詰まっております。
悩みの種はいつか喜びの花を咲かせるはずです。
お嬢様、良い春を!
隈川
ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。
私は性格柄、余計な口出しをしないということにとても難しさを感じます。
自分から見て「恐らくうまくいかないこと」に挑戦しようとしている人に対し、老婆心ながら自身の経験則に基づいた改善案を口出ししてしまうことが多くございます。
しかし、こちらは良かれと思っても、それは自分自身で失敗したときに初めて本当の意味で理解できることだったりもするので、相手にとっての学びのチャンスを奪う行為にもなりかねないわけです。
なので最近は思い直してなるべく他人事には口を出さず、信じて見守ることに努めております。私自身も色々な失敗から沢山のものを得ておりますから。(現在進行形で)
心配はしつつも、ちゃんと信頼する。
円満な人間関係において必要なことに存じます。
隈川
ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。
スポーツ、芸術、娯楽、仕事。
どのような分野であれ興味のあることにのめり込むと上達したいという欲が生まれ、そこから経験や学びへと繋がってゆきます。
そしてそこから継続して努め、ある程度の基礎を修めたときに、ふとその分野について「価値観の解像度」があがっていることに気がつきます。
なんとなく感じていたことについて知識に基づいた説明ができるようになり、良し悪しの基準が鮮明に見えるようになるのです。これは大変素晴らしいことでございますね。
ただ、ここで気をつけなくてはならないのは、この上がった「価値観の解像度」を他人に押し付けてはいけないということ。解像度の高さ=その分野への愛情ではないということを忘れてはいけません。
例えば【小さな子どもが親の誕生日に初めて焼いたケーキ】と【一流のパティシエが長年の月日をかけて完成させた至高のケーキ】どちらに価値があるかと言われてもそれは立場によって変わるのです。
子どもの成長を感じる親の立場からすればこんなに美味しいケーキは他にないでしょうし、一流パティシエのケーキを楽しみに毎日を頑張ってきたお客さんからすればその日のケーキは世界一美味しいと思えるはずです。
そこに洋菓子を毎日食べ学び舌の肥えた他人がやってきて「その子どもの焼いたケーキは生焼けで良くないよ」とか「確かに一流の腕前だけど本場のパティスリーでもっと良いケーキを食べたことがあるよ」なんてことを言ったらどうでしょう。私はあまり良くないと思います。
どうしてこのようなことを言ってしまう人がいるのかというと、決して悪い人だからというわけではなく『自分はこんなにケーキを愛しているのに、なにもわかってない人がいる』ということが許せなくなってしまっているのです。
その人も確かにケーキを愛し【価値観の解像度】が高いのかもしれませんが、本当に大切なことは逆にぼやけて見えなくなっているように思います。
自分自身でもときどきこうなりかけてしまうことも自覚しております。気をつけなくてはいけませんね。
何かに夢中になったとき、傾倒した年月や突き詰めたクオリティは自分がその分野をもっと愛するための物差しとして使うことができますが、決して他人と他人、そして他人と自分を比べるためのものではないということを忘れてはいけないのです。
…ケーキの例えを出していたら食べたくなってきましたね!お嬢様、本日は何味になさいますか♪
隈川
ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。
久々に紅茶係を仰せつかる機会がございました。実はご用命のお茶を淹れる合間に使用人たちの賄い茶を作ることが私の密かな楽しみでございます。
もちろん使用人たちがいただく物ですからお嬢様が召し上がるような上等な茶葉とは異なりますが、ブレンドの余りでしたり、各々が持ち寄ったお茶でしたり様々です。
一工夫したお茶を仲間たちが「お!」という顔で飲んでいるのを見ると次はどんなお茶を淹れようかな、とつい張り切りたくなってしまうのです。
こうしたちょっとした体験が今後のお嬢様へご提供するお茶の品質向上につながれば、などとひっそり企んでいる隈川でございました♪
隈川
ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。
改めまして本年もよろしくお願いいたします。
殊更ご多忙なお嬢様におかれましては、昨年のお疲れを繰り越していらしたり、溜まっていたやらなくてはならないことがに追われたり、年を跨いでも結局いまひとつお疲れが抜けていない、なんてこともあるのではないでしょうか。
高貴なるご身分です。
新年のご挨拶周りなどもさぞや大変だったことでしょう。
かくいう私も時間ができると色々と詰め込んでしまいがちでございます。
そんなときにはご自身の心を甘やかしてあげられるようなご褒美を設けるのが隈川のおすすめでございます。
参考になるかはわかりませんが、私は疲れることが一区切りしますとパン屋さんに行き焼きたてのパンを好きなだけ購入するお祭りを一人開催しております。
労いパン祭りでございます。
ちなみに次に頑張らなくてはならないことをひとつ終えましたら、そのときは好物の一つであるグラタンを山ほど焼くつもりです♫
え?
「普段から食べてるじゃない」…?
いえいえ、要するに「自分へのご褒美」であるという認識を持つことが大切なのです!
お嬢様が頑張りすぎず、ほどほどに力を抜いて素敵なことをたくさん見つけられますように、今年も微力ながらお傍で見守っております。
隈川