怒りの感情に飲み込まれるだなんて、人としての未熟さを実感せざるを得ません。
いかがお過ごしでしょうか。
伊織でございます。

他人に対して怒りを覚えることはほとんどありません。
人間はそれぞれ考え方が違いますし、その違いを自分の尺度で矯正するようなことはしたくありません。
同一のルール上におり、他人がそれに反しているとなっても、そこに沸き起こる感情は怒りではないでしょう。

異なった環境・条件で育ち、異なった考え方と価値観をもち、時に異なった言葉を話す――それが人間ではありませんか。
違うことを尊重することができれば、単に怒るという感情に振り回されることはないと信じております。

しかし、対象が人間でなければ話は別です。
わたくしがもっとも怒りを感じる対象というのは、物心ついたころから、記憶の限り変わっておりません。
それは「道具」です。

道具というのは、元来作られた目的=機能があります。
例えばスプーンであれば「すくう」という機能のために作られています。
わたくしが道具に対して怒りを感じるのは、この「与えられた機能をまっとうしない時」でございます。
機能を果たさない道具なんて、存在価値がありません。すくえないスプーンは、もうスプーンとして生まれてきた意味がありません。
そうなるともう、怒り心頭でございます。
シンプルな道具でも、複雑に多数の機能を持ち合わせた機械類でも変わりはありません。できるはずのことができないだなんて、一体なんのために存在しているやら!
うまく機能しないとか、調子が悪いとか壊れたとか……人間に思い通り使われることに存在意義のある道具であるからには、人間に思い通りに使われてほしいものです。