日の名残などを見る度に少し落ち込む

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。本年も宜しくお願い申し上げます。

私ごとながら1月10日で執事歌劇団に入団してから満6年が経ちました。

ステージの上であろうと屋敷であろうと、いついかなるときも使用人であることに誇りを持って務めてきたつもりでございます。

使用人として生きていくと決めてから、英国文化、使用人の歴史や伝統、屋敷でのフットマンとしての在り方を考え続けて参りました。

しかしながら、私が描く理想の使用人像と現実の自分自身には大きな差異があり、それは私自身の本来持っている気質の部分に由来しているようにも存じます。

使用人かくあるべし、という美学に羨望を抱けば抱くほどにコンプレックスは生まれる。

それでも、自分なりのやり方でこれからも使用人としての道を歩んで行くつもりでございます。

まだまだ未熟な手前ではありますがどうかこれからもお傍に置いて下さいましたら嬉しゅうございます。

…あと10年くらい努めたら少しは理想に近づけるのでしょうか。

隈川


Filed under: 隈川 — 22:00

フットマンの仕事

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

気が付けば年の瀬、2019年も終わりを迎えようとしております。

この時期は屋敷の中も忙しない雰囲気で、使用人たちも年内に納めなくてはならぬ執務や給仕に奔走しております。「師走」ならぬ「使走」とでも申しましょうか。

特にフットマンたちはあれやこれやと大忙しでございます。

…え。
「フットマンたちはいつもはどんな仕事をしているの?」でございますか。

…左様でございますね。
一般的な屋敷ではフットマンと申しますと主人の外出時ご同行したり、客人の来訪時に不自由がないよう滞在中の手伝いをしたり。

他にもヴァレットや執事の小間使いのようなものと認識されているかと存じます。

(そういえば大昔のイギリスでは半ズボンで馬車の横を並走していたと聞きますから、運動嫌いの私からすると現代に生まれて本当に良かったと感じざるを得ません。)


しかし…最近、当家の自分以外のフットマンたちの執事日誌を拝読し返してみますと他の屋敷ならばフットマンには触れることも許されないような内容の仕事を一任されている者も多いようですね。使用人界隈ではかなり特異な環境でございます。

大旦那様のお人柄からなのか、使用人たち自身が考え、得意な仕事をフレキシブルに分担することを許されているようにも存じます。

それを踏まえ鑑みますと
「うわっ…隈川の執務内容、狭すぎ…?」
というどこかの広告のような不安を覚えます。

日々のティーサロンでのお嬢様の身の回りのお世話、ファーストフットマンとしての教育係、それ以外では課外活動として執事歌劇団で任されております執務ぐらいです。

思い返しますと【ティーサロン】【使用人寮】【講堂】を行ったり来たりの毎日。

私、凡そ6年以上フットマンとして屋敷に在籍しているにも関わらず、未だに敷地内で足を踏み入れたことのない場所すら沢山ございます。


例えば庭園の奥の森、当家抱えの職人たちの工房、大浴場、…etc.
ああ、実は馬房にも踏み入ることが少のうございます。(お恥ずかしながら馬車馬たちも名前と毛色が一致しているのは金澤の可愛がっている「田吾作」と屋敷に来たばかりの頃に門前で蹴られかけた「エリザベス」ぐらいのもの。他の馬は正式名称を知らぬので勝手に渾名で呼んでおります)


逆によく足を踏み入れる場所ですと、図書室は調べ物の際に重宝しますし、庭師とは世間話をしたり髪を切って貰ったり、あと現在は使われていない旧リネン室にこっそり毛布を持ち込んで時々包まってお昼寝をしたり…あ、これは他の使用人たちには内緒ですよ。




…そうだ、お嬢様!
来年はお嬢様のお時間のあるときに、こっそり一緒に屋敷内を探索してみましょうか。

どうか来年も宜しくお願い致します、お嬢様。



隈川

Filed under: 隈川 — 22:00

性悪説

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

(more...)
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ご機嫌麗しゅうございます、隈川でございます。


(more...)
Filed under: 隈川 — 22:00

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

以前、私が人生において大切にしている三つの言葉があると日誌で認めました。

この間は「受」について認めたので、今回は「負」についても少しお話し致しましょう。


「負」《まける、おう、ふ》

文字通りマイナスなイメージを受け取られる方が多いかもしれませんが、私はこの「負」が嫌いではありません。


お嬢様がまず最初に字面から想像されるのは勝負事における望まぬ結果、などでしょうか。

勝負には勝ち負けの基準が必ず設けられており、これを定めているのがルールです。

…ならば、負けることは悪いことという基準は一体何に定められていることなのでしょうか。




当然ながら状況によっては負けることにより自分にとっての不利益を強いられる場面もあるでしょう。

しかし、ときには「勝負とは必ずしも勝利を目指すべき」という理に背いたときにだけ見えるものがあるように存じます。

目的を意識して、勝ったときと負けたとき、それぞれに生じるメリットとデメリットを考えてみますと意外にも「負」けた方が好転する状況というのは多々あります。

逆に場合によっては勝つことによって不利益がある場合も。勝利によって崩れる人間関係、得ることによって捨てなくてはならないもの。

勝利という過程に執着しすぎると物事の本質を見失ってしまいます。敗北により潤滑に目的を達成できることもあるのです。

つまるところ、人生を長い目で見たときにその勝利は本当に自分に必要なのかを判断して、負けを選択肢に入れることがときには必要だというのが、私の勝負論でございます。


勿論、勝つことによって得られる栄光や勝利自体を愛する人も少なからずいらっしゃるので、そういった方を否定するわけではございませんが。

ただ私は個人的に無敵の勝者よりも優しい敗者に心惹かれてしまうのです。


以前にも認めたように「受」け取り方ひとつで見えている景色は大きく変わるもの。

「負」という言葉に限らず、潜在意識に根付いたマイナス=悪いものという感覚を取り除いて世の中を見渡すと、少しだけ肩の力が抜けます。

そうしたフラットな価値観さえ持っていれば大丈夫。

例え無表情の100人に嫌われたとしても、笑顔で100人を愛せます。そうすればまた別の100人が貴方の本質を見てくれるはずです。

余談ですが私は自分を嫌いな人間や心無い言葉を言う他人に出会ったときにはその人の幸せを全力で願ってみることにしております。そうすると案外「自分が嫌われることでこの人の心の平穏が保たれるならば、まぁいいか」くらいに思えるのでおすすめです。
「負け」ながらでも楽しく生きていきたいですね。


ところで「負」という字には、〜に相応しい、という意味もございます。

お嬢様を笑顔にするに相応しい使用人
である。そう「自負」できるようにこれからも日々精進致します。



隈川
Filed under: 隈川 — 22:00

ゆべしっ

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

普段から様々な甘味を頂くことを好んでおります私ですが、つい先日新しい好物を発見致しました。

胡桃入りの柚餅子でございます。

柚餅子そのものはもともと食べたことがあって素甘などと同様もちもちした和菓子シリーズの中で好きだったのですが、胡桃が入ることでより食感も風味も良くなり大変気に入ってしまいました。

あと、名前の響きが良うございますよね、柚餅子。
ゆべしっ、ゆべしっ。

また見つけたら購入しようと思います。ゆべしっ。


隈川
Filed under: 隈川 — 22:00

コンプレックスは恐竜の名前ではない

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

それは例えば死後の世界や太陽信仰、非実在の存在である筈の龍や竜が各国に似通った姿で描かれている事実。

音楽で申し上げれば、メジャーとマイナーの曲調から感じ取る共通したイメージでしょうか。

ブーバ、キキ効果の実験などに裏付けられる「集団的無意識」または「原始意識」と、その上層、身体の機能を働かせ、意思に左右されることなく存在する生き方のプログラム「潜在意識」
をご存知でしょうか。


正直なところ、私にも専門的なお話はよくわかりませんし、識者の方からしたら馬鹿なことを言うなと笑われてしまうかもしれません。
それでも敢えて申し上げますと私はこの原始意識や潜在意識というものがなんだか苦手です。


人間という種自体が無意識下で共有している情報。そんなものがあるとしたら、それに干渉されることなく個としてのイマジネーションを育むことは不可能なのではないか、そう考えるとモヤモヤしてしまうのです。


誰に話すことがないとしても、せめて自分の中にある顕在意識や柔軟な価値観は自分だけのものであると信じたい。

人と同じであることが嫌いなわけでも、特別でありたいわけでもないのですが、つまるところ自分の好きなものを本当の意味で自分で決めたいのです。


物に優劣はなく
人格に勝ち《負け》はなく
行動に善悪はない。
それをどのように《受け》捉え自分なりに値を見出すことが価値観であると考えます。

「悪いこと」「善いこと」
当たり前だと思われているルールや世論だけではなく、自分自身の目で見て、耳で聞いて、頭で考え、心で感じたものを信じ大切にしたいものです。



そして、お嬢様にもお嬢様の価値観がありましょうから、その御眼鏡に適う人間で居られたらいいな、なんて思う今日この頃でございます。





人間という生き物が深層心理で薄くともどこかで繋がっているというのは考え方によっては誰も孤独ではない、ということでもあるのでしょうか。
私にとってモヤモヤの元も誰かにとってはポカポカの元なのかも。



まぁ、難しいことを考えるのにも辟易してきたので

チョコレートでも頂きましょう。もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ。


隈川
Filed under: 隈川 — 22:00

灰色

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

私、個人的に好きな色とは別に無意識に選んでしまう色がございます。

タイトルでネタバレしておりますので勿体ぶらずに申し上げると、灰色です。


肌着、カバン、靴、その他の持ち物。
気がつくと灰色の物が増えております。

恥ずかしながら百合野に指摘されるまで気がつきませんでした。



どっちつかずな性格なのでしょうか。


お嬢様にも無意識に選んでしまうお色などがあるのでしょうか。
叶うならばお嬢様がお気づきになる前に気づいてみとうございますね。


隈川
Filed under: 隈川 — 22:00

「受」

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

「受」
「負」
「甘」

自分語りのようで恐縮ですが、私は自身の人生においてこの三つの言葉を指針としております。

今回の日誌では「受」という言葉についてお嬢様にお話ししたく存じます。




例えば、才能に満ちた詩人が人生の全てを費やして詠った詩があるとします。しかし、それがどれほどに素晴らしいものであったとしても、本当の意味で理解できる人間はきっと一握りの教養や感性を持った者だけです。


では…本来の意味が伝わらなかった詩は一握りから溢れたその他大勢にとっては無価値な言葉の羅列なのでしょうか。


いいえ、そんなことはないはずです。

大切なのは「受」け取る心があるかどうか。「受」けとることを放棄したとき、初めてその詩は意味を失うのです。

もしもそれが詩人の意図とは異なる見当違いな解釈であったとしても、その詩を真摯に「受」けとったならば、そこには既に詩人の思惑に囚われない意味が生まれているのです。



感「受」性を意識的に磨くことがQOL(クオリティオブライフ)の向上に繋がる、というのが私の考えでございます。




頭の上に輝く光を誰かが星と呼び始めたように。

足元の花に言葉を意味付けたように。

生を授かった日を毎年特別に思い祝うように。


どんな些細なことであっても意識して感「受」することで初めて意味が生まれます。





私自身は天才でも秀才でも奇才でもありませんから、ほとんどの分野で本当の意味での正解を導き出すことができません。


それならばせめて、本当の正解でなくとも、自分なりの価値や意味を見つけたいのです。難しい数式を解くことは出来なくても、並んだ数字をパターンアートとして美しく感じる人間がいてもいいのではないでしょうか。



日常を素晴らしいものにすることは難しくとも、日常の中にある素晴らしいことに気付き柔軟に「受」けとる。それさえできれば人生は劇的です。
少なからず、私にとりましては。


対人関係においても同様です。

誰かの発したきつい言葉でも込められた「心」を正しく見出し「受」け入れられたならばそれは「愛」です。
逆に心が見つけられない言葉ならば捨ててしまって構いません、そんな心ない言葉にわざわざ傷付く必要はございません。



お嬢様が逆境や寂しさ、悲しみを感じたときに、その中でご自身にとって意味のある幸福を見つけ「受」け入れることが出来ますようにと願いを込めて。

どうかどんなときも思考を放棄することなく、当たり前に蝕まれない毎日をお過ごし下さいませ、お嬢様。




隈川
Filed under: 隈川 — 22:00

心理テスト

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

最近、心理テストの本を読む機会がございました。

パッと開いたページに「サーカスの動物を1匹リストラにしました。その辞めた動物の種類と理由は?」

と書いてあったのです。
お嬢様も考えてみてくださいませ。




(more...)
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