ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

以前、私が人生において大切にしている三つの言葉があると日誌で認めました。

この間は「受」について認めたので、今回は「負」についても少しお話し致しましょう。


「負」《まける、おう、ふ》

文字通りマイナスなイメージを受け取られる方が多いかもしれませんが、私はこの「負」が嫌いではありません。


お嬢様がまず最初に字面から想像されるのは勝負事における望まぬ結果、などでしょうか。

勝負には勝ち負けの基準が必ず設けられており、これを定めているのがルールです。

…ならば、負けることは悪いことという基準は一体何に定められていることなのでしょうか。




当然ながら状況によっては負けることにより自分にとっての不利益を強いられる場面もあるでしょう。

しかし、ときには「勝負とは必ずしも勝利を目指すべき」という理に背いたときにだけ見えるものがあるように存じます。

目的を意識して、勝ったときと負けたとき、それぞれに生じるメリットとデメリットを考えてみますと意外にも「負」けた方が好転する状況というのは多々あります。

逆に場合によっては勝つことによって不利益がある場合も。勝利によって崩れる人間関係、得ることによって捨てなくてはならないもの。

勝利という過程に執着しすぎると物事の本質を見失ってしまいます。敗北により潤滑に目的を達成できることもあるのです。

つまるところ、人生を長い目で見たときにその勝利は本当に自分に必要なのかを判断して、負けを選択肢に入れることがときには必要だというのが、私の勝負論でございます。


勿論、勝つことによって得られる栄光や勝利自体を愛する人も少なからずいらっしゃるので、そういった方を否定するわけではございませんが。

ただ私は個人的に無敵の勝者よりも優しい敗者に心惹かれてしまうのです。


以前にも認めたように「受」け取り方ひとつで見えている景色は大きく変わるもの。

「負」という言葉に限らず、潜在意識に根付いたマイナス=悪いものという感覚を取り除いて世の中を見渡すと、少しだけ肩の力が抜けます。

そうしたフラットな価値観さえ持っていれば大丈夫。

例え無表情の100人に嫌われたとしても、笑顔で100人を愛せます。そうすればまた別の100人が貴方の本質を見てくれるはずです。

余談ですが私は自分を嫌いな人間や心無い言葉を言う他人に出会ったときにはその人の幸せを全力で願ってみることにしております。そうすると案外「自分が嫌われることでこの人の心の平穏が保たれるならば、まぁいいか」くらいに思えるのでおすすめです。
「負け」ながらでも楽しく生きていきたいですね。


ところで「負」という字には、〜に相応しい、という意味もございます。

お嬢様を笑顔にするに相応しい使用人
である。そう「自負」できるようにこれからも日々精進致します。



隈川
Filed under: 隈川 — 22:00

ゆべしっ

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

普段から様々な甘味を頂くことを好んでおります私ですが、つい先日新しい好物を発見致しました。

胡桃入りの柚餅子でございます。

柚餅子そのものはもともと食べたことがあって素甘などと同様もちもちした和菓子シリーズの中で好きだったのですが、胡桃が入ることでより食感も風味も良くなり大変気に入ってしまいました。

あと、名前の響きが良うございますよね、柚餅子。
ゆべしっ、ゆべしっ。

また見つけたら購入しようと思います。ゆべしっ。


隈川
Filed under: 隈川 — 22:00

コンプレックスは恐竜の名前ではない

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

それは例えば死後の世界や太陽信仰、非実在の存在である筈の龍や竜が各国に似通った姿で描かれている事実。

音楽で申し上げれば、メジャーとマイナーの曲調から感じ取る共通したイメージでしょうか。

ブーバ、キキ効果の実験などに裏付けられる「集団的無意識」または「原始意識」と、その上層、身体の機能を働かせ、意思に左右されることなく存在する生き方のプログラム「潜在意識」
をご存知でしょうか。


正直なところ、私にも専門的なお話はよくわかりませんし、識者の方からしたら馬鹿なことを言うなと笑われてしまうかもしれません。
それでも敢えて申し上げますと私はこの原始意識や潜在意識というものがなんだか苦手です。


人間という種自体が無意識下で共有している情報。そんなものがあるとしたら、それに干渉されることなく個としてのイマジネーションを育むことは不可能なのではないか、そう考えるとモヤモヤしてしまうのです。


誰に話すことがないとしても、せめて自分の中にある顕在意識や柔軟な価値観は自分だけのものであると信じたい。

人と同じであることが嫌いなわけでも、特別でありたいわけでもないのですが、つまるところ自分の好きなものを本当の意味で自分で決めたいのです。


物に優劣はなく
人格に勝ち《負け》はなく
行動に善悪はない。
それをどのように《受け》捉え自分なりに値を見出すことが価値観であると考えます。

「悪いこと」「善いこと」
当たり前だと思われているルールや世論だけではなく、自分自身の目で見て、耳で聞いて、頭で考え、心で感じたものを信じ大切にしたいものです。



そして、お嬢様にもお嬢様の価値観がありましょうから、その御眼鏡に適う人間で居られたらいいな、なんて思う今日この頃でございます。





人間という生き物が深層心理で薄くともどこかで繋がっているというのは考え方によっては誰も孤独ではない、ということでもあるのでしょうか。
私にとってモヤモヤの元も誰かにとってはポカポカの元なのかも。



まぁ、難しいことを考えるのにも辟易してきたので

チョコレートでも頂きましょう。もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ。


隈川
Filed under: 隈川 — 22:00

灰色

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

私、個人的に好きな色とは別に無意識に選んでしまう色がございます。

タイトルでネタバレしておりますので勿体ぶらずに申し上げると、灰色です。


肌着、カバン、靴、その他の持ち物。
気がつくと灰色の物が増えております。

恥ずかしながら百合野に指摘されるまで気がつきませんでした。



どっちつかずな性格なのでしょうか。


お嬢様にも無意識に選んでしまうお色などがあるのでしょうか。
叶うならばお嬢様がお気づきになる前に気づいてみとうございますね。


隈川
Filed under: 隈川 — 22:00

「受」

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

「受」
「負」
「甘」

自分語りのようで恐縮ですが、私は自身の人生においてこの三つの言葉を指針としております。

今回の日誌では「受」という言葉についてお嬢様にお話ししたく存じます。




例えば、才能に満ちた詩人が人生の全てを費やして詠った詩があるとします。しかし、それがどれほどに素晴らしいものであったとしても、本当の意味で理解できる人間はきっと一握りの教養や感性を持った者だけです。


では…本来の意味が伝わらなかった詩は一握りから溢れたその他大勢にとっては無価値な言葉の羅列なのでしょうか。


いいえ、そんなことはないはずです。

大切なのは「受」け取る心があるかどうか。「受」けとることを放棄したとき、初めてその詩は意味を失うのです。

もしもそれが詩人の意図とは異なる見当違いな解釈であったとしても、その詩を真摯に「受」けとったならば、そこには既に詩人の思惑に囚われない意味が生まれているのです。



感「受」性を意識的に磨くことがQOL(クオリティオブライフ)の向上に繋がる、というのが私の考えでございます。




頭の上に輝く光を誰かが星と呼び始めたように。

足元の花に言葉を意味付けたように。

生を授かった日を毎年特別に思い祝うように。


どんな些細なことであっても意識して感「受」することで初めて意味が生まれます。





私自身は天才でも秀才でも奇才でもありませんから、ほとんどの分野で本当の意味での正解を導き出すことができません。


それならばせめて、本当の正解でなくとも、自分なりの価値や意味を見つけたいのです。難しい数式を解くことは出来なくても、並んだ数字をパターンアートとして美しく感じる人間がいてもいいのではないでしょうか。



日常を素晴らしいものにすることは難しくとも、日常の中にある素晴らしいことに気付き柔軟に「受」けとる。それさえできれば人生は劇的です。
少なからず、私にとりましては。


対人関係においても同様です。

誰かの発したきつい言葉でも込められた「心」を正しく見出し「受」け入れられたならばそれは「愛」です。
逆に心が見つけられない言葉ならば捨ててしまって構いません、そんな心ない言葉にわざわざ傷付く必要はございません。



お嬢様が逆境や寂しさ、悲しみを感じたときに、その中でご自身にとって意味のある幸福を見つけ「受」け入れることが出来ますようにと願いを込めて。

どうかどんなときも思考を放棄することなく、当たり前に蝕まれない毎日をお過ごし下さいませ、お嬢様。




隈川
Filed under: 隈川 — 22:00

心理テスト

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

最近、心理テストの本を読む機会がございました。

パッと開いたページに「サーカスの動物を1匹リストラにしました。その辞めた動物の種類と理由は?」

と書いてあったのです。
お嬢様も考えてみてくださいませ。




(more...)
Filed under: 隈川 — 22:00

時間は作るものか、削るものか

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

月の頭には執事歌劇団の公演もあり、その間ティーサロンを空けておりましたが無事に屋敷に戻りましたことご報告とともにお礼申し上げます。



ところで、お話は変わりますが最近1日が24時間しかないことにもどかしさを覚えております。

1年間の中で何度か執務に追われ手が回らなくなるタイミングがございます。出来うる限り手元に仕事を残したくないタイプなので、これがなかなかに堪えます。

そんなときによく「あー1日があと5時間延びれば、給仕も稽古も曲作りも溜まった執務も全部出来るのになあ」などと妄想するのです。



…はい、その通りでございます。
そんなことを考えている間に手を動かせば良いのですよね。

「時間を作る」と言いますが厳密には「余計な時間を削る」ことの方が効率的なのかもしれません。


ですが、やっぱり余計に思えるような時間の中にこそ大切なことがあるように感じてしまい、1日の時間が5時間延びる妄想を辞められないのです。


隈川
Filed under: 隈川 — 17:00

使用人の幸せ

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

私事ながら、先日伊織から本を借りました。

かつて英国に実在した使用人たちの体験談や歴史、当時の様子などを記した資料です。


自身の命を投げ出し主人の一家を守ろうとした執事の話。

女主人に憧れを抱き、舞踏会に忍び込んだフットマンの話。

おとぎ話の世界の住人に憧れた舞台役者が、屋敷の門を叩き使用人として生きる話。

どの話もとても興味深く、先達のエピソードは大変勉強になりました。

遠い昔の海の向こうの使用人たちの語る言葉に共感を覚え、憧れ、自身の未熟さを恥じつつも、使用人として今生きていることを誇らしく感じる。不思議な感覚を味合わせてくれるとても素晴らしい本でした。



本の一文に「使用人は腕を磨くあまり、自分の技術に誇りを持ちすぎることがある。使用人(サーヴァント)とは常に誰かの為にサービスを行う者であることを忘れてはならない」と書かれておりました言葉は特に印象的でした。

紅茶の腕も給仕も舞台上でのパフォーマンスも、技術を磨くことは手段でしかなく、お嬢様にご満足いただくことこそが目的であることを常に忘れてはいけませんよね。

これからもお嬢様のお役に立てるよう、精進いたします。


隈川
Filed under: 隈川 — 17:00

獅子舞ヤヌス

今年も宜しくお願い致します、お嬢様。隈川でございます

あっという間に2019年。
2000年問題が話題になったのがもう20年近く前だそうです。
時の流れの早さを感じます。

唐突ですが、私生まれてこの方お正月に生で獅子舞を見たことがございません。

獅子舞ってなんだか可愛くて好きです。口がカポカポ、不思議な生き物、獅子舞。
あ、ですが、あくまでも獅子舞は舞の名前ですので厳密には獅子でしょうか。

私もあの獅子みたいに口をカポカポしながら歩いていたら、どなたか食べ物をくれたりしませんかね。


食べ物といえば、今月は個人的にヤヌスがオススメです。

ヤヌスは一月を司る神様のお名前です。双面の神であるヤヌスは入口と出口、内面と外面を見つめることができ、サラダとスープ、キッシュなど二つ以上の顔を持つことからお品の名前として使われたのだそうです。

二つの顔で獅子舞をしたら、より縁起が良いでしょうか。

兎にも角にもお嬢様の今年1年間が幸福に満ちますように。


隈川







Filed under: 隈川 — 10:50

トナカイの角はね

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

冬を迎え、寒さも厳しくなってまいりました今日この頃。

お嬢様、防寒具や冬用のお召し物はご用意なさいましたか。お体を冷やしませんようお気をつけ下さいませ。



冬といえばもうじきクリスマスがやってきますね。


幼少の頃のクリスマスの時期に「となかいさんのつのはなんのためにはえてるの??」と母親に尋ねたことがありました。

「トナカイさんの角はね、サンタさんが服をかけておくときに使うの」と答えた母を信じ、トナカイの角をコート掛けだと思っていた頃が私にもございました。

本当は雄同士で争うときなどに使われるそうです、角。


でも、もし私にも角が生えていて、お嬢様のお召し物をかけられたら便利…かも。


どうか良きクリスマスを。


隈川
Filed under: 隈川 — 13:30