本日の館内は、静けさがよく馴染んでおります。人の気配はあるものの、どこか柔らかく、音も控えめ。こうした空気の日は、不思議と思考が澄むものでございます。
……さて。
ワゴンの前に立ち、ひとつ息を整えます。
グラスの位置、問題なし。
ボトルの並びも整っている。
――いや、ほんのわずかに角度が気になりますね。……失礼。これでよろしい。
こうして整える時間。
誰に見せるわけでもないが、確実に意味がある。……ええ、こういう積み重ねが、最後に効いてくる。そういうものでございます。
視線を落とせば、紫色のカクテル。
……良い色でございます。
落ち着きがあり、それでいて印象に残る。強く主張はしないが、確かにそこに在ると分かる色。光を受けて、わずかに揺れるその様子は、どこか静かな余裕すら感じさせます。
――不思議なものですね。
ただの一杯でありながら、こうして見ているだけで時間が過ぎていく。
完成はしている。
だが、まだ届ける時ではない。
……この時間。
何も起きていないようで、実は一番多くを考えている。
このままでよろしいか。
温度は。見え方は。あの場の光の下で、この紫はどう映る。
――いや、考えすぎかもしれませんね。
ですが、考えてしまう。そういうものでございます。
ワゴンに手をかけ、軽く押してみる。
滑りは問題なし。音も出ない。……よろしい。
あとは、このままお嬢様のもとへ向かうだけ。
……だけ、なのですが。
この「だけ」が、どうにも簡単ではない。
ワゴンを押して近づく、その数歩。
視線が重なるか、逸れるか。
グラスを差し出す瞬間、どこまで間を置くか。
――ほんの一瞬の出来事。
だが、その一瞬で決まる。
そう考えると、この静かな時間も無駄ではない。
むしろ、ここで整えておかなければ、あの瞬間がぼやけてしまう。
……お嬢様は、どのようにご覧になるだろうか。
驚かれるか。
それとも、静かに色を見つめられるか。
いや、もしかすると、何気ない様子で手に取られるだけかもしれない。
――それでも構わない。
そのどれであっても、そこに意味はある。
……不思議ですね。
まだお届けもしていないのに、すでにその先の光景を思い描いている。
だが、それでよろしいのでしょう。
想像しておくことで、実際の一瞬に迷いがなくなる。
ワゴンの上の紫が、静かに揺れている。
何も語らず、ただそこに在る。
――ああ、そういうことか。
余計なことは要らない。
ただ、整えて、差し出すだけ。
その中にすべてがある。
……さて。
今はまだ、この時間を保つといたしましょう。
動くのは、もう少し先。
それまでは、この一杯とともに。
静かに、しかし確かに、準備を整えてまいります。
本日もまた、悪くない一日にございます。