日誌

ご機嫌麗しゅうございます、荒木田でございます。

初日の出、初雪、初詣。

一年の中で、一番初めに行われるイベントに初〇〇という名前がつけられるのは、日本人にとって極めて身近な文化でございます。

初めて、というのは、きっと神聖なものであり、おめでたいものであり、記念するべきモノだったのでしょう。だからこそ、この文化は現代まで多くの言葉と共に広く残っております。

対して、最後のイベント。

一年の最後に降る雪は、なんと呼ぶべきか。終雪……というのは意味が異なりますし、適切な言葉はあまり馴染みがございません。

自ずから発生の如何を操作できる事象については、〇〇納めという言葉こそございますが、自然現象をはじめとするアンコントロールな物事について、日本語はあまり解決策を持ち合わせておりません。名がある、というのは極めて重要な事柄なのです。だからこそ、
“ラスト〇〇”という半和製英語のようなフレーズを用いて、無理矢理現代の生活に当て嵌めております。

何故か。

簡単なことでございます。それが最後だった、と分かるのは、得てして全てが終わった後ですから。

現在を生きる我々にとって、それが最後であるかどうかは未だ分からず、分かった時には既に過去の事象であり、現在への影響はゼロに近しい。即ち、初と終のギャップは、
未来の不確定性と、過去への無関心に依るものかと存じます。

さて。

或いは、お食い初め、初語など。人生においても、同様に。初めて、というのは祝福され、最後のイベント……これらに、名を冠するものはあまり身近ではございませんね。

当然のこと、死はアンコントロールなものですから。全てが、唐突でございます。

だからこそ、今を必死に生きるのだ。そんな陳腐で、ありきたりなフレーズが凡ゆる国で、凡ゆる言語で尊ばれ、受け継がれ、愛されてきました。

きっと、真理の一つなのでしょう。同じ言葉を、ぜひお送りしたく。

お写真は、山形県出羽三山より、月山の山頂に聳え立ちます月山神社でございます。
出羽三山は、名前の通り三つの山と神社が有名です。
現在の幸せを祈る羽黒山神社。
未来の生まれ変わりを願う湯殿山神社。
そして、月山神社は、過去を祈念する場所にございます。

 

 

 

 

 

折角の年の瀬でございます。過去一年を振り返り、未来一年を期待し、改めて今を見つめ直しましょう。

ちなみに私は、12月31日23時59分59秒に備えて目下ジャンプの練習中でございます。