使用人というものについて、ふと考えることがございます。
お嬢様をお迎えし、お席までご案内し、お食事やお飲み物をお給仕し、お帰りの際にはお見送りをする。言葉にしてしまえば、私どもの務めはそういった一つひとつの積み重ねでございます。けれど、その一つひとつにどれだけ心を込められるかによって、同じ務めでも、お嬢様の心に残るものは大きく変わる。
私にとって、そのことを教えてくれる使用人の一人が、隈川でございます。隈川の素晴らしさは、決して華やかなものだけではありません。むしろ、長く同じお屋敷で務めを共にしているからこそ、その凄さが少しずつ見えてくるように思います。お嬢様との距離の取り方。お声掛けする言葉の選び方。その場の空気を感じ取る力。そして何より、「自分が何をしたいか」ではなく、「目の前のお嬢様に、どのようなひとときをお過ごしいただくのが最善なのか」を考えていること。お嬢様との会話が弾んでいるときには、その楽しさをさらに膨らませる。静かにお過ごしになりたいときには、決して踏み込みすぎず、そっと見守る。そして、お嬢様がお困りになったその瞬間には、まるで最初からそこにいたかのように自然にお手を差し伸べる。その自然さは、決して簡単に身につくものではございません。
私どもの務めでは、「何かをして差し上げること」に意識が向きがちでございます。けれど隈川を見ておりますと、「あえて何もしないこと」もまた、大切なおもてなしなのだと気づかされます。必要なときに、必要なことを。それでいて、お嬢様には決して寂しさを感じさせない。その絶妙なさじ加減こそ、隈川の持つ大きな魅力なのではないでしょうか。
そして、私が隈川を素晴らしいと思う理由は、お嬢様へのおもてなしだけではありません。共に務める私どもに対しても、いつも自然と周囲を見渡し、その場にいる誰かを支えている。自らが目立つことよりも、お屋敷全体が心地よい空間となることを大切にしている。その姿を見ておりますと、使用人とは何のために存在するのか、改めて考えさせられるのでございます。長くこのお屋敷で務めておりますと、後輩が増え、環境が変わり、時代も少しずつ移り変わってまいります。その中で、変わらずそこにいてくれる存在というのは、とても心強いものでございます。私にとって隈川は、まさにそんな存在なのだと思います。
振り返れば、これまでにも数え切れないほどの時間を共に過ごしてまいりました。忙しい日もございました。思うようにいかない日もございました。それでも同じお屋敷に立ち、同じ時間を過ごし、同じようにお嬢様方をお迎えしてきた。その積み重ねが、今の私どもを作っているのだと思います。だからこそ、これから先のことを考えたとき、一つだけ願うことがございます。
十年先も、隈川と一緒に務めていたい。十年後、今とは違う景色になっていたとしても、変わらず同じお屋敷で、「本日もよろしくお願いいたします」そんな言葉を交わせたら、どれほど素敵なことでしょう。そして、その頃には今よりも多くの後輩たちが、私どもの背中を見ているのかもしれません。そのときに、「この二人が一緒に働いている姿を見てきて良かった」と思ってもらえるような使用人でありたいと思います。
実は今回の日誌を書くにあたり、何を書こうかと随分悩んでおりました。そんなとき、百合野に「隈川について書いてみたらどうですか」と声を掛けてもらったのでございます。その一言をいただいて、改めて考えてみました。普段、当たり前のように一緒に働いているからこそ、わざわざ言葉にすることがなかったのだと。けれど、いざ書こうとしてみると、隈川から学んだことや、共に過ごしてきた時間が、思っていた以上にたくさんございました。百合野からの何気ない一言がなければ、きっと今日こうして隈川について書くこともなかったでしょう。良い機会をいただきました。隈川という使用人の背中から、私は今もたくさんのことを学んでおります。そしてこれからも、きっと学び続けるのでしょう。十年先も、二十年先も……などと申し上げれば、少々欲張りかもしれません。ですが、できることなら、これからも長く同じお屋敷で。笑ったり、悩んだり、忙しさに追われたりしながら、それでも最後には「本日も良い務めでございました」と言える日々を、一緒に積み重ねていきたい。そんなふうに思わせてくれることこそが、隈川という使用人の素晴らしさなのだと思います。
百合野さん、素敵な題材を見つけてくれてありがとう。そして隈川さん。これから先も、どうぞよろしくお願いいたします。十年先の今日も、同じお屋敷で。変わらぬその背中を追いかけながら、共に務めていられますように。



