敬愛せしお嬢様へ
そろそろ雨の季節になる頃でしょうか
お出かけが叶わぬ日々も多うございましょうが、時には適度に体を動かしつつも
雨天ならではの過ごし方もございましょうから、この機会にぜひ読書や美術など
新たな分野への見聞を広げられるのもまた良きかと存じます。
美術とはまた異なるやもしれませんが
先日、外渉にて銀座の地に参りましたとき
この機にと思い、とあるギャラリーへと足を運んでまいりました。

仲條正義さまとおっしゃる、日本を代表するデザイナーの御方の
没後5周年を機に作品の軌跡を辿る展覧でございまして
かの方が半生を過ごされた資生堂さまのギャラリーでございます。
このかたのお名前に覚えがあるかどうかは分かりませんが
このかたの作品はどなたも目にしたことがおありかと存じます。
例えば資生堂さま伝統の青の紙袋や、松屋銀座の伝統あるロゴ。
銀座の街を彩っていた、当時としてはあまりにアバンギャルドであったデザインの広告たち。
当時としてはあまりに大胆なレイアウトや、攻撃的でファッショナブルなデザインの数々は
いまこうしてギャラリーの展示にて拝見すると
感覚に任せて観覧した時に心に浮かぶのは「どこかで見たような感じ、よく見るような感じ」という、既視感やデフォルト感でございました。
それもそのはずにて、この仲條氏のデザインは当時の後進デザイナーたちにも大きな衝撃を与え、その影響は昨今のデザインの中にも色濃く見ることが出来る、いわば「デザインのテンプレート」とすら言える存在になっているからかと推察いたしました。
そうすると、昨今のデザイナーは仲條氏やかつての先達たちの生み出したデザインを再構成しているだけなのでしょうか?
いえ、それはあまりに短絡でございます。
最近何かと世の中を騒がせている「AI」というもの。
その中でも特に生成AIと呼ばれるものは、いわば入力された数多のデータを
要求された条件に合わせて組み合わせて再出力すると言うシステムであり
短絡極まりなく申し上げますと、誰かの作品を再利用しているに過ぎないという見方がありえます。
それ故に、AIを用いた創造物は「創作」と認めない、あるいは創作物としては一段落ちるものと見做す認識が世には色濃くあるようでございますが、
おそらく此れはまたAIが創成期であるがゆえのことと考えております。
そも
人間が何かを創造する時、完全な無からそれを創り出すのでしょうか?
絵を描く、音楽を作る、文章を紡ぐ。それらを極めようと努力する中で
誰しも必ず、手本とする、目標とする、影響を受ける先達がいたものと思います。
それが1人とは限らず、複数おられる場合も多いでしょうし
そも、人生の中で有意識・無意識に学んだ、感動した、面白かった作品を
何かを創造するときにその発想の元とすることが多いのではないでしょうか?
例えば私はカクテルを作ります。
数多のオリジナルカクテルをご用意してまいりましたが
もとよりすでに数多とある先達たちのカクテルを参考していることも多うございますし
そういった要素が薄い、斬新な定形外のオリジナルカクテルを作っている時も
そのイメージ元には、人生の中で見てきた何かしらが組み合わさっております。
デパートで見かけた綺麗なジュレ、うっすらと覚えている子供の頃感動したお菓子、小説に登場した架空の食べ物、偶然口にした意外な食事のマリアージュ、香水や煙草の香りをヒントにしたことなどもございます。
そうした私に入力された色々な「情報」を、組み合わせて変換して新たな「カクテル」として生成しているのがいわば「オリジナルカクテル作り」でございまして
数々の情報を取り込み、それを再生成する巷の「AI」と然程の違いはないのではないかと、正直思っております。
私を示して「カクテル生成AI」などと冗談をいう使用人もおりましたが、ある意味的を得ていたのかもしれませんね。
思い返すに
人生において入力した情報が、新たな創造として再生成されるのが人間もAIも共通したものづくりであるのなら
いかなる情報にも目を向け、貪欲に自身の創造の糧として学んでいくのはやはり大切なのでございますね。
やはりお嬢様、雨の日は是非とも
読書も映画も芸術鑑賞も、どれもまた良うございます。
心の向くままに、ご自身の「ご入力」を楽しんでいただくのがよろしいかと存じます。
ところで
現在のデザイナーに強い入力を与えたのが仲條さまや先達たちの作品であったなら

彼らの世代が「入力」したのはどんな経験、どんな光景、どんな感動だったのでしょうね。
そんな、作品を通して透かし見れるような、世代を超えた遥か向こうの「入力」に
思いを馳せながら、ギャラリーの品々を楽しませていただきました。
雨の日のお出かけ先には、こんな色々なギャラリーもお勧めでございます。