お嬢さまへの手紙 ~ワインと悪魔~

敬愛せしお嬢さまへ。ご機嫌麗しゅうございますか?時任でございます。


12月に入り、いつ粉雪が舞ってもおかしくないような寒さが続いております。
街ではあまり性質のよろしくない風邪なども流行っているようでございます。
お屋敷でも口煩く申している事ではございますが、別宅でお過ごしのときでも、しっかり風邪予防にお勤め下さいますよう、お願い申し上げます。





クリスマスも近うございますね。
お嬢さま方に最高のクリスマスをお過ごし頂けるよう、私ども使用人も準備に余念がございません。


この日のためにカナダにてモミの木を育てて御座います。
捕らえてきたトナカイはお庭を駆け回って遊んでおります。
もちろんパーティーの用意も抜かり御座いません。最高級のターキーにクリスマスケーキ。もちろんシャンパンやワインの用意も揃ってございます。


楽しいときをお過ごしいただけますよう。
くれぐれもお身体には気をつけてくださいませ。
外からお帰りになったときは、うがいと手洗いを必ず行って頂き。
好き嫌いをせず、野菜や果物も多めにとってくださいませ。


時任との約束で御座いますよ?
お守り頂けるなら。クリスマスの夜には一番良いシャンパンをあけて差し上げますからね。


それでは、お嬢様。社会勉学の為のお仕事や学業、大変かとは存じますが。
どうか全ては立派なるスワロウテイルの当主となられるが為。お気張りくださいませ。
時折お戻り下さる時には、最高の寛ぎの時をお過ごし頂ける様。使用人一同心してお待ちしております。




さてさて。では硬いお手紙はここまででございます。
ここから先は、時任の戯言で御座いますので。
どうか、お休み前の寝物語や、場所の中でのお暇つぶしぐらいで、ご覧くださいませ。








さてさて。時任でございますが。
年末の執務に向け、英気を養うべく、有り難くも大旦那様より数日の休暇を頂いておりました。


しかしながら、不調法な時任め、休暇といっても何をしたものかと時間をもてあましてしまいまして。
ワインセラーで熊の冬眠の準備を手伝ったり、ついつい執務室に舞い戻り、書類整理などして「休むべきときはしっかり休め」と叱られたりしておりましたら、とっぷりと日も暮れてしまいまして。


陽が落ちてから漸く「このままでは折角頂いた休暇を無為にしてしまうではないか。」と思い立ちまして。ドアマンの藤原と連れ立ち、街へと出掛けてみたのでございます。


辿り着いたのは陽気な雰囲気に満ちたパブ。
イタリアの地を思わせるような、色とりどりの野菜や果実がバスケットに入れられて並び、陽気な歌声とざわめきが耳に心地よい、そんなパブでございました。


時任はイタリア好きでございますので、最初のワインは「EST!EST!!EST!!!」に致しました。
名前も面白く、また大変淡白で飲みやすい白ワインでございます。
気取らず。パルメジャーノチーズをコリコリ齧りながら、美味しいマルゲリータピザを奪い合い、冗談を言い合いながら、兎に角陽気に飲むのがイタリアワインの正しい飲み方でございましょう。


冗談を飛ばしあいながら、楽しい時間を過ごしているうちに。「EST!EST!!EST!!!」は空になってしまいました。


私も藤原も、ワインには強いほうでございますし。大旦那様や豪徳寺にも「ワインは飲んで学ぶもの」と良く教わってございます。
そんな建前のもと。いそいそとウェイターを呼び、私どもは2本目のワインを注文いたしました。


「Villa Loosen Riesling」


これも、気楽に飲める、軽やかな味の白ワインでございました。
一緒に用意していただいた、白魚と野菜のソテーが絶品でございまして。
ときには、スワロウテイル家の使用人として、より良きお迎えを行うには如何にすべきかを真面目に論争したり。
ときには、言葉遊びに興じたりしておりますうちに。やはりこの美味しい「Villa Loosen Riesling」も空になってしまいました。


楽しい時間を過ごしたものだ。
休暇を下さった大旦那様に感謝せねば。
さぁ、明日から心機一転し頑張るとしよう。


美味しい食事とワインがもたらしたくつろぎの中、時任はすっかり満足し、そんなことを思っておりましたが…。


気がつけば。


「Domaine Astruc Pinot Noir 2007」
…三本目のワインが目の前に鎮座しておりました。


さすがに躊躇もいたしましたが、実はピノ・ノワールのワインは時任の好物でございまして。
折角だから一口、一杯…と頂いているうちに。その滑らかで豊かな果実のごとき赤ワインを、じっくり楽しんでいてしまいました。
イタリアの太陽の味が致します…と申し上げると言い過ぎでございましょうか。


…さすがに少々、酔いが回ったのかもしれません。
明日もございますし、大概に致しましょう。
どれ、そろそろ帰りましょうと。隣でじっとグラスを見つめていた藤原君に声をかけましたところ。


彫像のようにピクリとも動かぬ藤原君がそこに居りました。


おやおや、眠ってしまったのですか。いけませんね。少々飲みすぎですよ。
笑いながら、彼を助け起こそうと立ち上がった時任でございましたが。
―――ずしり。


うぬう。
いきなり全身を襲った重みに、思わず頓狂な唸り声を上げてしまいました。
身体が重い。それも尋常ではなく。
どうやらイタリアが育んだワインは、時任めの全身にアルコールとして行き渡り、酔いという縛鎖となってこの身を蝕んでいたようでございます。


これはいけない。
酔って醜態を晒すなど、スワロウテイルの執事としてあるまじき事。
そう自分を叱咤した時任は、極力平静を装い、パブを出るため歩き始めました。
こっそりと横目で、バーカウンターの鏡を盗み見て、自分の姿を確認いたしましたが…よし、乱れはございません。いつも通りの時任でございます。
平時より、まなじりが決然としすぎている感はございましたが、気のせいでございましょう。


外に出て、夜気に触れれば酔いも覚めるかと思いましたが。
身体の重さは解けることなく、酷いことに世界がぐるぐると回っておりました。
更に悪いことに、東の空がうっすらと白み始めております。


これは拙い。
流石に時任め、真剣に焦りました。
このように身体の自由が効かない状況で、朝日を浴びるなど冗談ではございません。
夜の生物である時任としては、陽光は天敵に等しゅうございます。


重い身体を引きずり、おのれ自身を叱咤しながら。
時任はずるずると、街からお屋敷への街道を這い進み。
どうにか、朝日の最初の一欠片が庭園を照らす前に、地下の自室へと帰りつくことができました。


ワインを小悪魔と評したある文筆家が居りましたが、よく言ったものでございます。
その魅力に囚われて追い求め過ぎてしまうと、手痛い破滅が待っているのでございますね。


どうにか自室の棺お…ベッドに潜り込みながら、私は深く反省いたしました。




お嬢さま。
ワインはとても奥深く、美味しく、そして楽しめるものでございます。
しかしながら、どうかくれぐれも、度を越さぬよう。お気をつけくださいませ。
淑女の嗜みとしての範疇にお納めくださいますよう、お願い申し上げます。
さもないと、時任の二の舞となりますよ。




…うう、世界が回る。今日は棺お…ベッドで一日寝ていましょう。
…誰ですか、ベッドの蓋を叩くのは。
…おや。鋒崎さん。どうしたのですかこんな朝から。
…なんと、休暇は終わりですと!
…その、私休暇は今日までの予定でして、そして只今少々身体が。
…え?藤原君が帰ってこないので代理で給仕に出ろと?
…あ。




……藤原君を連れて帰るの忘れてた。
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