時代の始まり

司馬でございます。
皆様、お健やかにお過ごしでございますか?

桜咲く四月となりました。
新年度の始まり。
新しい環境や出会い。
改元もいよいよ間近となりまして、新しい時代の幕開けも迫って参りました。
なにか大いなる変化が起こりそうな予感が致しまして、胸の高まりすら覚えております。

私は本来、ごくごく保守的な性分でございまして、一度決めた習慣や嗜好を変えることは好みません。
しかしながら、使用人の職務というものは、お嬢様のお望みのまま、融通自在に気働きをすることが求められるものでございまして、個人の性分などは二の次でございます。

一本の筋は通しつつも、しなやかに順応できる軽やかさを忘れずにいられればと、常々、思っておりますが、さて、お嬢様方の目にはどのように映っておりますでしょうか?

時節柄、なにかと新しい変化も多くございまして、お嬢様方におかれましても、翻弄されることがおありかと存じますが、どうぞ新たな時代の到来をお楽しみになる余裕をお持ちくださいませ。

もちろん、お疲れになられた時は、ティーサロンにて、いつでもご休憩の一時を・・・。

では、今回はこの辺りで失礼いたします。

お屋敷の雑学/壱

敬愛せしお嬢様へ。

桜がいつのまにか咲き始め、春も近いことを告げております。
また季節が巡りましたことを知り、感慨深く桜を眺めておりました。
街に出ましたら、「新生活の応援」と銘打っての家具や日用品の特売が盛りでございまして。
世はそういう時期なのですね。と感慨深く思いながら、新生活の予定は全く無いものの有り難くお屋敷の日用品などをお得に補充させて頂きました。

春になって新しい生活に挑まれる方も多いでしょう。
新しくお屋敷の門を叩く使用人候補も増える頃でしょうか。
あるいは新生活に入られてから、初めてティーサロンにお越し頂くお嬢様もいらっしゃるやも知れません。

さて、思えばお屋敷の歴史も長く、気付けば13周年を迎えました
かつてはお屋敷の在り方や歴史的知識については、前任の執事たちが厳しく教示を勤めておりましたが、近年はそういった黴臭い教鞭を取る者もなくなり久しゅうございます。

ふと思い立ちました。
このまま春を迎え、お戻り頂く新しきお嬢様がたにお屋敷のなんたるかを如何にお伝えするべきかと。
また、無垢な瞳の新しきお嬢様がたにお屋敷の伝統を問われて、お答えに窮してしまうお嬢様が居らっしゃったりしないかと。
そこで、この日誌の端っこをお借りしまして。

『今さら聞けないお屋敷の雑学講座』

そんなものを数回ほど、駄文ながらお届けしたいと思います。

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Twinkle

時折強く吹く春風が、新しい時候の訪れを感じさせてくれます。

葉桜へと変わるこの季節を名残惜しく感じる能見でございます。

お嬢様、お元気でいらっしゃいますでしょうか。

平成の時代に長年重ねて参りました伝統も、来月で一区切り。

新たな令和という時代へと、一歩を踏み出すことになります。

新しい環境をお迎えのお嬢様。どうか決してご無理はなさらず。

より一層のご活躍と幸福な毎日であらんことをお祈り致します。

変わらないと思っている、あるいはそう思っていた日常が、

一瞬視界からブラックアウトして、また普遍的な毎日が始まる。

新しい時代の始まりとは、私の中ではそうなのかも知れません。

ただ心の奥底に残留するのは、僅かな違和感とノスタルジー。

さて、最近は考え事が深くなってしまいまして困りますね。

誰もいないティーサロンを後に、自室へ戻ることに致します。

庭園に咲いた桜も随分と散りゆき、初夏の訪れを感じます。

使用人寮の明かりも灯っているのは二室だけでございました。

自室の扉を開けると、古びた書物とインクの香りが広がります。

机には赤い燕尾服での写真と、Coteaux-champenoisのコルク。

積み上げられた紅茶やサービスの資料。そして、その上に。

当家の紋章が描かれた小さな箱。一年前の冬に感じた違和感が。

リボンを手解き、中を覗き込みますと。

深く輝く翡翠色の宝石がございました。

お嬢様。私から平成最後のご報告でございます。

明日から「グルームオブチェインバー」に着任致します。

一日でも早く、エメラルドの似合う使用人になれますように。

これからもよろしくお願い致します。

能見

尊さ

美しく、そして刹那に咲き乱れる桜。
儚いからこそ価値がある、とはよく耳に致します。

お嬢様はどうお考えでございますか?

桜は短い命だから尊いのか、それとも美しいから惜しいのか。

どちらでしょうね。

少々話は変わりますが、小さな頃によく遊んでいたオモチャ。

大きくなるにつれて段々と遊ばなくなってしまって、ついには従兄弟に母親がそのオモチャをあげようとしました。
私はそれを見て必死で止めた覚えがございます。
「もう見られなくなる」のが寂しいのか、また遊びたくなり「まだそこに残したい」から欲しいのか今となっても答えは曖昧だったりいたします。

「無くなって行くもの」に対して気持ちが生まれる事はこんなにも理解しやすいのに、その理由に関してはなかなか分からないままだったりいたします。

そして、それと同時に「今、存在してくれているもの」に対しての有難みも案外見えづらくなるものでございます。

散りゆくものよりも咲き続けてくれているものの方が良くよく考えると価値がある様な気はいたしませんか?

この当たり前の様な日々の有難さが重たく感じるのは
先ほどの様な価値に気づいたからでしょうか、それとも私が年を重ねたせいでしょうか。

どちらかは分かりませんがお嬢様と過ごせる、この日々への感謝を忘れずに努めてまいります。

お嬢様。
もしよろしければ、桜並木道にピクニックでも参りませんか。

メッセージカードのご依頼に関しまして

ご機嫌麗しゅう、お嬢様。
執事喫茶スワロウテイルの諏訪野でございます。

当家ハウススチュワード豪徳寺、セカンドスチュワード有村への
メッセージカードのご依頼は4月12日20時迄とさせていただきます。

尚、本人からの手渡しは叶わぬ場合がございます。
誠に恐縮ではございますが、ご了承のほどよろしくお願いいたします。

諏訪野