お嬢様への手紙 ~ 番外:地下深くに眠る手紙

わが敬愛せしお嬢様、ご機嫌麗しゅう御座いますか?時任で御座います。
つい先だってお手紙を差し上げたばかりで御座いますが、時外れた文をお送りする事お許しくださいませ。
世俗にはまだまだ、性質のよろしくない風邪が猛威を振るっているようで御座いますが、お嬢様はご無事で御座いますか?
政敵やら侵入者やら暗殺者やら…目に見えるお屋敷の敵は時任たちが役目にかけて退治いたしますが、風邪のウィルスばかりはお嬢様ご自身で身を守って頂くしか御座いません。
どうかお嬢様、お出かけからお戻りのときは、うがいと手洗いをしっかりと。そしてビタミンをしっかりとお摂りくださいませ。
これだけで、風邪を召される確立は激減するかと存じます。
どうか時任からのお願いで御座います。
うがいと手洗いとビタミン。しっかりお守り頂き、ご自愛くださいませ。





さてさて、それでは此処からはいつもの戯言で御座います。
眠れない夜などに、気が向いたらご覧くださいませ。




年も明けて間もない、ある夜の事でございました。
いつものように屋敷を見回り、地下倉庫の巡回にかかった時のことでございます。
先代、先々代…何処まで遡るかは、実は私も存じぬほど、永い歴史を持つお屋敷の地下倉庫は、それは広くそして旧く。まるで欧州のカタコンベのようでございました。


角灯を照らし、摩耗した石畳の階段を下りて行きますと、迷路のように縦横に広がる昏い昏い廊下が広がります。
無限に連なるアーチを潜り抜け。角灯の明かりに浮かぶ、由来も知れぬ幻獣たちの石像を眺め。足音を幾重にも響かせながら、いつもの巡回路を歩んでおりました。


角灯の明かりが、石畳や石壁へと伸ばす長い影。
私自身のものと、それに付き従う一回り大きな影がもう一つ。
じっと背後に付き従い、私と共に地下の隅々へと視線を配っているのは、胸元の三日月模様も鮮やかな一頭の熊。
昨年、冬眠しそこねて迷い込んで以来、番熊として住み着いている奇妙な子でございます。


時折、ボディガードを気取っているのか、この子は、私が巡回するときに付き従うようになりました。
気まぐれな上に飽きっぽいので、あまり役には立っておりませんが、心意気は良しとしておきとうございます。
…単に、夜食が欲しくて、おねだりに付いて廻っているだけかもしれませんが。




そんな熊と、角灯の影を一対伸ばしながら地下通路を歩んでおりますと。
不意に。
「フゴッッ!!」
唐突に、熊めの大きな影が、奇声と共に消えてしまったのでございます。


「……くま?」
振り返り、角灯を照らし回してみましたが、合わせ鏡のようにアーチと石壁の続く通路の何処にも熊の姿は無く。
迷路状の地下倉には珍しく、この辺りは完全な一本道。身を隠す横道も物陰も御座いません。


「…………?……。」
暫く。しん…と静まり返った石畳の上で、首を傾げて周囲を見回しておりましたが。
直前まで、影が二つあったのが嘘のように。
ただ、一筋伸びる角灯の影。ただ塵が舞うだけの虚空。
熊そのものが、私の見ていた白昼夢であったかのように、跡形も無く消え失せておりました。


「……はじめから、そんなものは、なかったのです……と。」


踵を返し、独りうんうんと頷きながら、巡回を再会しようとした私でしたが。


「フゴォォォォォォォオオオオオオオッッ!?##」


その直後、激しい抗議のような雄叫びと共に、床下からバンバンバンッ!!と伝わってきた振動に、やむなく足を止めたのでした。






「……何やっているんですか、君は。」
振動の起こった床の辺りを良く調べてみますと。
精巧な、実に精巧な、どんでん返し式の落とし穴のような扉が見つかりました。
…私め、確かにお屋敷の諸所に、対侵入者用のトラップを仕掛けるのが趣味である事は否定いたしませんが、この罠には見覚えがございません。
まして、この落とし扉には、開かれない事久しかった日々を示すかのように、隙間にびっしりと埃が詰まり硬化しておりました。


「……なるほど。」
どうやら、落とし扉が開かないように、しっかりと錠が下りていたようなのですが。
その錠そのものが年月で錆びて弱っていたところに、熊のような巨体がやってきたもので、ついに錠が耐え切れず崩壊して、落とし扉が開いてしまったようでした。
となると、この私ともあろうものが、罠の存在に気付かず何度も何度もこの上を歩いていたわけです。
なんという不覚。さりとて、この精巧極まりない落とし扉の何と見事な事よ………。


「フゴォォォォォッ!!」


やかましい。


…いやいや、落ちてしまった熊君の救出が先で御座いました。
ついつい罠の見事さに魅せられてしまいました。このカット、精巧な蝶番…なるほど、参考になりますね…。


「フゴォォォォォッ!!」


じゃかましい。


…じゃなくて。罠の見事さに驚きながらも私は、落とし扉を開いて角灯の光を下へと投げかけました。
揺らめく明かりが照らし出したのは、舞い上がる埃が極光のように波打ち光る、小部屋程度の空間。


中央部に熊が落下したためか、激しく埃が舞い上がり見通しが利きませんが、どうやら毛足の長い紅絨毯の部屋に、様々な工芸品が置かれた欧州風の小部屋のようでした。
こんな部屋の存在は私も知りませんでした。
好奇心に駆られ、その部屋へと下りてみた私は、ハンカチで口元を覆い、舞い飛ぶ埃に目を眇めながらも、埃の染み付いた工芸品を調べて廻ってみました。


ずいぶん埃をかぶっておりますが、放置されていたのは、せいぜい3年前後というところでしょうか。
埃を差引いても青灰色の多い絵画。厳しくも美しい彫刻。独特の模様の織物…。
ざっと検分しましても、それなりの値打ちのものも幾つか見受けられましたが。大旦那様にしてみれば押入れのガラクタが増えたようなもので御座いましょう。


一応目録を作っておこうと、端からクリップボードに書きとめ始めたところ…その作業は、厚手の布を掛けられた檜箱を発見した時点で停滞いたしました。
ただ箱を開けるだけなら問題なかったので御座いますが、問題はその檜箱に、流麗な筆致でなにやら手紙のようなものが掘り込まれている事でございます。
…しかも、外国語で。


「……ドイツ語、ですね。それぐらいなら解ります。」
生憎と無学で御座いますゆえ、まだ辞書無しでは解読できない身で御座います。
それでも、書庫で掘り出した古本をどうにか読む為に培った、拙い記憶を総動員して…「親愛なる」「薔薇」「淑女」「ワイン」程度の単語は読み取れました。


「…親愛なる薔薇?」
なんとか拙い知識で読み取った単語を繋ごうと七苦八苦しておりましたところ。
「フゴッ!」


--ばりぃぃぃぃぃっ。


唐突に私の背後に立った熊めが、私の頭越しにその鋭い爪を振るい、檜箱の天板を弾き飛ばしてしまいました。
「……何故に。」
呆れる私を尻目に、熊は檜箱へと近寄ると、嬉しげにその中へ頬摺りせんばかりに首を突っ込んでおりました。
何かと中を覗いてみれば。薄い若葉色の液体を湛えた、繊細な形状のボトルが詰まっております。
「……ワイン?」
ワイン好きの熊って何者でしょう。まぁ、元々ワイン倉に迷い込むような熊ではございましたが。


中に詰まっていたのは、1ダースほどのワイン瓶でございました。
”Kracher. BeerenAuslese”
そう銘打たれたボトルは、硝子越しにすら芳醇な香りを漂わせてきそうで、思わず私も喉を鳴らしてしまいました。
熊が心奪われるのも無理ないやも知れません。


「……豪徳寺に見せてみますか。丁度、次のワインを探して旅していたようですし。」
ついでに、熊が剥がしてしまった檜蓋も持ち帰って、手紙も読んでもらうとしましょう。
そう決めた私は、熊の背に檜箱を乗せて、角灯の明かりを揺らしながら、地上への道を逆戻りしたのでした。
…よほど懲りたのか、熊めは足元ばかりを気にしておっかなびっくり歩いておりました。


……見事な罠だったなぁ……。




地上に持ち帰ったワインは、豪徳寺の眼鏡に適ったようで御座います。
「これは、お嬢様方にお出しするのが相応しいワインですね。」
いつもの柔らかな笑顔で、そう頷いた豪徳寺は、ワインを丁寧に一本ずつ拭っては、ワイン倉へと大事に収めてくれました。
熊は残念そうで御座いましたが…お嬢様がお許しくださるのでしたら、お嬢様方の後に一舐めぐらいさせてやりたく存じます。






かくして、お嬢様。
この美しいボトルのワイン、近くお嬢様の卓にお届けできそうで御座います。
”Kracher. BeerenAuslese”
当家の地下に眠っていた不思議なるワイン、是非お試しくださいませ。




……そう言えば。
檜箱の蓋に刻まれていた手紙の内容…豪徳寺に聞くのを忘れておりました。
嗚呼…もうすっかり熊の爪とぎに……。


ええと。


はじめから、そんなものはなかったのです。・・・・・としておきましょう。






       ※       ※       ※       ※       ※






『--親愛なる、遙か東の薔薇園の友へ。そして、更に愛しき小さき淑女へ。

我が園にて熟成せし葡萄酒を、新年の祝にお送りさせて頂く。
貴家の愛しき淑女の微笑にも似た、甘く甘く、それで居て何処か凛とした、美しい風味へと育ったよ。
東国を訪れる事があれば、私の葡萄酒と貴方の淑女。どちらがより美しく育ったか、是非この美酒とともに議論したいものだ。
数年も待てば、貴方の淑女もこの贈り物を喜んでくれる年頃になっているだろうか。
遠く欧州の地から、貴家の繁栄と平穏をお祈りする。



                                               
                          --西の葡萄園の友・クラッハー より』
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