コンプレックスは恐竜の名前ではない

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

それは例えば死後の世界や太陽信仰、非実在の存在である筈の龍や竜が各国に似通った姿で描かれている事実。

音楽で申し上げれば、メジャーとマイナーの曲調から感じ取る共通したイメージでしょうか。

ブーバ、キキ効果の実験などに裏付けられる「集団的無意識」または「原始意識」と、その上層、身体の機能を働かせ、意思に左右されることなく存在する生き方のプログラム「潜在意識」
をご存知でしょうか。

正直なところ、私にも専門的なお話はよくわかりませんし、識者の方からしたら馬鹿なことを言うなと笑われてしまうかもしれません。
それでも敢えて申し上げますと私はこの原始意識や潜在意識というものがなんだか苦手です。

人間という種自体が無意識下で共有している情報。そんなものがあるとしたら、それに干渉されることなく個としてのイマジネーションを育むことは不可能なのではないか、そう考えるとモヤモヤしてしまうのです。

誰に話すことがないとしても、せめて自分の中にある顕在意識や柔軟な価値観は自分だけのものであると信じたい。

人と同じであることが嫌いなわけでも、特別でありたいわけでもないのですが、つまるところ自分の好きなものを本当の意味で自分で決めたいのです。

物に優劣はなく
人格に勝ち《負け》はなく
行動に善悪はない。
それをどのように《受け》捉え自分なりに値を見出すことが価値観であると考えます。

「悪いこと」「善いこと」
当たり前だと思われているルールや世論だけではなく、自分自身の目で見て、耳で聞いて、頭で考え、心で感じたものを信じ大切にしたいものです。

そして、お嬢様にもお嬢様の価値観がありましょうから、その御眼鏡に適う人間で居られたらいいな、なんて思う今日この頃でございます。

人間という生き物が深層心理で薄くともどこかで繋がっているというのは考え方によっては誰も孤独ではない、ということでもあるのでしょうか。
私にとってモヤモヤの元も誰かにとってはポカポカの元なのかも。

まぁ、難しいことを考えるのにも辟易してきたので

チョコレートでも頂きましょう。もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ。

隈川