クッキー

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

お嬢様はクッキーについてどのように思われるでしょうか。

はい、さようでございます。
焼き菓子のです。

美味しい
いい香り
かわいい
サクサク

咄嗟に思いつくのは非常にシンプルでポジティブなイメージかと存じます。私はお菓子全般を好んでいるのでもちろんクッキーに対しても好感的な印象を受けます。

なかには甘い物がお苦手でクッキーに対してあまり良い印象を抱かないという方ももちろんいらっしゃるかとは存じますが、憎しみや怒りを持っている方というのは極めて珍しいのではないでしょうか(完全にいないとは思いません)

 

さて、では
ここでこのクッキーをどなたでも結構ですので人間に置き換えてみるとどうでしょう。

ポジティブなイメージもネガティブなイメージも倍増したのではないでしょうか。

なぜクッキーに対してはシンプルな感情でいられるのに、人間には複雑な感情が生まれるのでしょうか。

これは私が思うに『影響力』なのではないかと。

自分に対してクッキーと人間では及ぼす影響の大きさが異なるから抱く感情も違う。

逆に申し上げますと、自分に対して影響を及ぼさないものに対して人は寛容でいられるのです。

例えば、どんなに素晴らしい人徳者であっても、人間である限りさまざまな要因が重なって普段ならば言いたくないような言葉を選んでしまう場面がきっとあります。

もし、そういうタイミングの方と遭遇して聞きたくない言葉を聞いてしまったときにはあまり影響を受けず、お相手をクッキーだと思うと良いかもしれません。

こんな日誌を認めながらお腹のなる午前2時です。

隈川

日誌

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

何年も前の話ではあるのですが、セカンドスチュワードの伊織に【英国執事〜貴族をささえる執事の素顔〜】という本を借りました。

この本から学んだ当時の英国での貴族の方々の生活や使用人たちの実情は私の心を深く魅了しました。

滅私奉公の心を持ち、忠義を尽くす彼らにもそれぞれの人生や個性があったのだなぁ、と想像して勇気をもらったものです。

実話を中心に少し捻くれたエピソードやユーモラスな内容も多くございまして、そこも愉快でした。

中でも印象に残っているのは、若きフットマンが仲間の使用人たちに囃し立てられ「仮装パーティ」に身分を隠して参加して、自らの主人である憧れの奥様と一曲踊る、というお話。

同じ使用人からするとなんとも畏れ多いゆき過ぎた行為だと軽蔑しつつも、少しロマンチックに思います。

つい最近、記憶の中のこのお話を取っ掛かりに歌詞を書いた楽曲を執事歌劇団にてお披露目いたしました。

もちろん本のお話のままというわけではなく、僭越ながら私なりに構築させていただいた物語仕立ての楽曲。

もしお聴きいただく機会がございましたら、様々なご想像を膨らませて歌詞もお読みくださいましたら幸いです。

それではまた。

隈川

学び

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

改めまして本年もよろしくお願いいたします。

2022年。
個人的な今年の目標はいくつかあるのですが、その中のひとつが【学びを疎かにしない】というものでございます。

学びと申しますと勉学をご連想されるかもしれま…
ああ!お嬢様、そのように怪訝なお顔をなさらないでくださいませ!
何も学校の宿題や社会勉強だけが学びではありません。

私がここで申しあげる学びとは、身の回りにあるあらゆるものから得られる、経験、疑問、気づき、興味。その全てのことです。

例えば、失敗してしまったとき。
そこには羞恥心や悲しみ、もしかすると理不尽に対しての怒りなどがあるかと存じます。ですが、それ以上にその失敗を経てしか得ることのできない気づきや疑問があり、その疑問を解消する為に悩み、調べ、考えたならば、その先には学びの機会が潜んでいるのです。

それは『同じ失敗を繰り返さない為に』という単純なものではなく、そもそもの失敗の定義、固定観念や常識を見つめ直すきっかけになるかもしれません。

朝の光の中に。
毎日歩く道の端に。
友人の表情に。
貴方がお召しの服の生地に。
過去のトラウマに。
魅力を感じなかった音楽に。

改めて視点を変え、疑問を持ち、考え、調べれば、そこかしこに学びが宿っているのです。

私は今年、それらを大切にしたいと思っております。

なんとなく過ごしてしまえば、あっという間に失われてゆく時間の中で、より多くのことを学んでゆければと…あれ?お嬢様?

…眠っていらっしゃる。
これもまた自己満足の語りは控えねばならぬという学び、でしょうか。
なるほど。

隈川

寮長金澤

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

永らく不在でした使用人寮の寮長にグルームオブチェインバーの金澤が就任したそうです。おめでとうございます!

使用人寮に身を置く私にとってこれは大ニュースでございます。

なにせ紅茶やお菓子に長けた金澤ですから、もう少し世の中が落ち着いたら寮長主催のアフタヌーンティーパーティなとが開かれるかもしれませんし、そこで金澤特製のロイヤルミルクティーや焼き菓子などがいただけるかもしれません。

しかし…
ひとつ気になることが。
「金澤が怒っているところは誰もみたことがない」という噂がございます。
仏の金澤。

普段穏やかな方ほど怒らせると怖いと申しますし、金澤を怒らせてしまったらどうなってしまうのでしょう…

門限を破らないよう気をつけたいと思います。

隈川

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

私、最近特に何もないところで転ぶことが増えました。疲労で足が上がっていないのでしょうか。

七転び八起きなどという言葉がございますが、一回転んだだけでも周りからの冷ややかな視線や肉体的損傷で泣きたくなってしまいます。私は我慢強いので泣きませんが、百合野ならきっと泣いていたはずです。

使用人たるもの立っていること、歩くことも仕事の一つ。歩き方を見直さなくてはなりませんかね。

隈川

必死に頑張ります

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

庭園の噴水周り。
緑の薄れた葉を掃いておりますとすっかり夏が終わったのだなぁ、と季節の移り変わりに実感が湧いてまいります。

私事ながら、秋はティーサロンにて執務や給仕を仰せつかるようになった思い入れのある季節。ちょうど10月頃でございました。

ちょうど8年前。
お食事に使われている食材やティーカップ、飾られている調度品、種類豊富な紅茶やハーブ、ワイン。難しいカタカナを呪文のように呟きながら一生懸命お勉強していた当時のことを今でも覚えております。

当時の私はぎこちない所作、震える手で注ぐ紅茶、お世辞にも褒められた使用人ではなかったように存じます。
正直に申しますと、何度も心が折れそうになりました。

「理想の給仕」なんて口にするのも烏滸がましく、使用人仲間たちが給仕を語り合う中、なるべく目立たないよう、その場にいることが恥ずかしく口をつぐんでおりました。

それでも、お役に立てることが少なくても、何か取り柄を作ろうと必死でした。できないなりに努力で補えることは全部やろうとがむしゃらでした。

今の私は8年前の自分と比べてどうでしょうか。

たしかに知識も技術も新米の頃よりは幾分マシになりました。

ですが、あの頃の方が使用人として大切な謙虚な必死さを持っていたように存じます。

滅私奉公。
誇ることなかれ、驕ることなかれ。
使用人として当たり前のことです。

改めて自身を鑑みますと
「自分はスワロウテイルに必要な使用人の1人なのではないか」
そんな恥ずかしい思い上がりが無自覚ながら心の中に生まれていたようにも思います。

9年目を迎えるこれを機に初心に立ち返り、もっと必死になることにいたします。

全力でお嬢様のお役に立てることを見つけられるように頑張ります!!
見ていてくださいませ、お嬢さ、

…え?掃除の手が止まってる…?
…そういうところがよくない?

し、精進いたします。

隈川

最近のえりお君

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

窓の外の風の香りも変わり、秋の訪れを感じる今日この頃。

部屋で育てている、エリオカクタス(サボテン)のえりお君。
なかなか変化がないと思っておりましたが、昔の写真と見比べてみましたら気付かないうちに2倍くらいのサイズに育っておりました。

私自身も気づかないうちに変わっていたりするのでしょうか。それが成長であることを願います。

ところで私、えりお君にはときたま話しかけているのですが、そろそろ返事をするようになるかもしれません。

隈川