お屋敷の雑学/アフタヌーンティー

敬愛せしお嬢様へ。

少しは暑さも和らいだようでございますが、まだまだ日中はお暑うございます。
知らず知らずのうちに、身体から水分や栄養を失っていることが多うございますので、
こまめに水分や間食をお取り頂く事は大切でございます。

その点において、アフタヌーンティーという文化は最適なのかもしれません。
水分も失われ疲労も溜まってくるであろう刻に、お茶を飲み軽食を頂き、皆で会話を楽しみ、心も体もリフレッシュする習慣。実に合理的でございますね。

しかしながらこのアフタヌーンティーという文化、実はあまり合理的な興りではございません。
庶民の道楽があまりに少なかった旧英国。嗜好品が粗悪な酒類ぐらいしかなく、英国の都市にアルコール中毒患者が激増してしまっていた時代に、
庶民にアルコールではない娯楽を提供しようという目的で広められたという、バーテンダーとしては些か耳の痛い話から始まったものでございます。

最初はそんな意図はなかったことでしょうが、このアフタヌーンティーという茶会を最初に催したと言われる方の名が「アンナマリア」様。
そしてその文化に目を付け、英国全土にアフタヌーンティーという文化を推奨したのが「ヴィクトリア」女王陛下でございました。

当家のアフタヌーンティーセットの命名由来は、ここだったのでございますね。

今宵をもちまして「ヴィクトリア」はお休みを頂きますが、新たなアフタヌーンティーセット「アントワネット」も始まります。

当初の意図はともかく、気のおけぬご友人とゆっくりお茶とお菓子を楽しむ時間というのは、とても素敵なものでございます。

お嬢様が今後も良きティータイムを楽しめますように、我々も努めて参りましょう。

椎名でございます。

暑さも去り、ようやく涼しさを感じることの出来る季節となって参りました。
今年の夏は本当に暑く、周りの話を聞いてみてもあまりの暑さに出ることも億劫に感じ、結局お出掛けする機会が少なかったなんて話もちらほらと。

私自身も同様でございました。
思い立って川を臨める公園に行こうと勇んで出かけはしたものの、あまりの強烈な日差しにひるみ、ワゴン車で来ておりました移動式カフェでアイスコーヒーとかき氷を購入し早々に退散してしまいました。
後は屋敷の庭で趣味のDIYにいそしんだぐらいでございましょうか。

涼しくなってきますと、旅にでも出たくなるのも仕方ございませんが、なかなか気軽に旅行というわけにも参りませんので、ほかの使用人たちと出かける想像だけでもすることといたします。
そんな中で個人的に響いたのが「キャンピングカーでの気ままな旅」でした。
よく人からは旅行計画をしっかり立てそうという印象を持たれるのですが実はその正反対でして、旅行だからこそ気ままに、無計画に過ごすことに意義を感じております。
キャンピングカーはそんな旅の形に非常にしっくりはまりますね。

そこで手に入るわけでもないのにキャンピングカーに関して調べました所、最近の設備に驚嘆するばかりでございました。
勿論ピンキリではございますが、上位クラスの物はまるで移動するホテル・・・むしろ家でございます。
内装備品の豪華さもさることながら、二階建てのものや、電気式稼働で、部屋の幅が拡張するものもございます。(一般的には車の幅、全長=部屋のサイズ)

クーラーは勿論、通常の大型テレビ。
果てはシャワールームまで完備しているのです。
これでは旅行ではなく、車から一歩も出ることなく1日を過ごすことが出来そうで・・・
それでは本末転倒でございますね。

しかしながら、キャンピングーカーには男子のロマンが存分に詰まっていました。
いつか、定年を迎えたらこじんまりとしたキャンピングカーに猫を乗せて、気ままに旅をするのも良いな、と妄想をして、本日は締めくくりたいと存じます。

それでは。

紅茶係

影山でございます。

先日ティーインストラクターの資格を取得してから初の紅茶係を務めました。

気合が入ります。

せっせせっせとお嬢様、お坊っちゃまに紅茶をお作りしておりますと、

定期的にわたくしの近くでいい香りが漂います。

くっこの香りは・・

そう、本日は黒崎、伊織のエクストラティーの日でございまして、

彼等が定期的にわたくしの近くでオニキスを大量製茶しているのです。

この香りに

負けてたまるか。

でもいい香り。

そんな楽しい格闘をした一日でした。

夏の終わり、秋の始まり

司馬でございます。
皆様、お健やかにお過ごしでございますか?

まだまだ残暑も厳しく感じられますが、朝夕に秋の気配が忍び寄ってまいりました。
寒暖の差もさることながら、夏の疲れがそろそろ出てくる頃でございます。
どうぞ、充分にご自愛くださいませ。

さて、今年の夏は、いかがでございましたか?
あ、このような問いかけは、夏の終わりをますます感じさせて、お嬢さま方を寂しい気分にさせてしまうかもしれませんね。

今年の夏も、お屋敷でお見かけするお嬢さま方の瞳の色は、日差しに劣らず輝いておりました。
きっと楽しい夏をお過ごしになられたのでございますね。
スワロウテイルでの憩いの時が、お嬢さま方の思い出を彩る一幕となりましたでしょうか?
ならば、司馬はとてもうれしゅうございます。

・・・とはいえ、九月といえども日中はまだまだお暑うございます。
アイスティーのラインナップがまだまだ豊富でございますので、どうぞこちらでも涼をお求めくださいませ。
もちろん、肌寒い秋晴れには、ふさわしい暖かいお飲み物を。
お申しつけ下されば、すぐに肩を包むショールもお持ちいたしましょう。
どうか、実り多き秋をお迎えくださいませ。

では、今回はこの辺りで失礼いたします。

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様。
隈川でございます。

以前、私が人生において大切にしている三つの言葉があると日誌で認めました。

この間は「受」について認めたので、今回は「負」についても少しお話し致しましょう。

「負」《まける、おう、ふ》

文字通りマイナスなイメージを受け取られる方が多いかもしれませんが、私はこの「負」が嫌いではありません。

お嬢様がまず最初に字面から想像されるのは勝負事における望まぬ結果、などでしょうか。

勝負には勝ち負けの基準が必ず設けられており、これを定めているのがルールです。

…ならば、負けることは悪いことという基準は一体何に定められていることなのでしょうか。

当然ながら状況によっては負けることにより自分にとっての不利益を強いられる場面もあるでしょう。

しかし、ときには「勝負とは必ずしも勝利を目指すべき」という理に背いたときにだけ見えるものがあるように存じます。

目的を意識して、勝ったときと負けたとき、それぞれに生じるメリットとデメリットを考えてみますと意外にも「負」けた方が好転する状況というのは多々あります。

逆に場合によっては勝つことによって不利益がある場合も。勝利によって崩れる人間関係、得ることによって捨てなくてはならないもの。

勝利という過程に執着しすぎると物事の本質を見失ってしまいます。敗北により潤滑に目的を達成できることもあるのです。

つまるところ、人生を長い目で見たときにその勝利は本当に自分に必要なのかを判断して、負けを選択肢に入れることがときには必要だというのが、私の勝負論でございます。

勿論、勝つことによって得られる栄光や勝利自体を愛する人も少なからずいらっしゃるので、そういった方を否定するわけではございませんが。

ただ私は個人的に無敵の勝者よりも優しい敗者に心惹かれてしまうのです。

以前にも認めたように「受」け取り方ひとつで見えている景色は大きく変わるもの。

「負」という言葉に限らず、潜在意識に根付いたマイナス=悪いものという感覚を取り除いて世の中を見渡すと、少しだけ肩の力が抜けます。

そうしたフラットな価値観さえ持っていれば大丈夫。

例え無表情の100人に嫌われたとしても、笑顔で100人を愛せます。そうすればまた別の100人が貴方の本質を見てくれるはずです。

余談ですが私は自分を嫌いな人間や心無い言葉を言う他人に出会ったときにはその人の幸せを全力で願ってみることにしております。そうすると案外「自分が嫌われることでこの人の心の平穏が保たれるならば、まぁいいか」くらいに思えるのでおすすめです。
「負け」ながらでも楽しく生きていきたいですね。

ところで「負」という字には、〜に相応しい、という意味もございます。

お嬢様を笑顔にするに相応しい使用人
である。そう「自負」できるようにこれからも日々精進致します。

隈川