執事達の休日2.5

少し前の出来事です。

ここは使用人寮、杉村の自室。
休日に五人の使用人が集まって、楽しくわいわいとスコーンを作り終えた後のことです。
杉村の自室ではオコタを中心に使用人達が集まって、反省会をしておりました。
黒崎、八幡、浅葱の三人がオコタに入って歓談をしております。部屋の主である杉村は、少し離れてキッチンにおりました。トントントン、とリズミカルな音が聞こえたり、グツグツと煮える音が聞こえてきて、部屋にはなんだか良い香りが漂っております。

浅葱「それにしても酷い目に遭いました。まあ、楽しかったですけど」
黒崎「八幡と杉村は許さない」
八幡「何かしましたっけ?」
黒崎「忘れないからな!」
浅葱「まあまあ、美味しいスコーンも出来ましたから前回より良かったんじゃないですか。それに口直しとして杉村さんが美味しい料理を振舞ってくれるじゃないですか。……ねぇ杉村さーん」
杉村「そろそろ出来るよー。浅葱、運ぶの手伝って!」
浅葱「はーい!」
トタトタ、と浅葱は駆けていきます。
八幡「たこ焼きに続いてスコーンと作ってきましたけど、次回は何を作りましょうか」
黒崎「八幡は全然懲りてないなあ。私はもう作りたくないよ。……ちなみに、八幡が次に作りたいものはあるの?」
八幡「たくさんありますよ。まずはお好み焼き編でしょう。後はパンケーキ編。そしてパスタ編とかもいいんじゃないですか」
黒崎「……どうせまたミンティア入れたりにんにく入れたりするんじゃないの?」
八幡「そんなことないですよ、黒崎くん」
黒崎「絶対そうじゃん!」
そんな二人の下へ料理を運んできた杉村と浅葱は、テーブルの上に次々と美味しそうなものを載せていきます。
杉村「お待たせ! 桐島さんのリクエストしてたハンバーガー、黒ちゃんのリクエストのお好み焼き。それから浅葱が駄々をこねたからナポリタンも作っておいてあげたよ。唐辛子とニンニクが大量にあったからアラビアータやペペロンチーノも作ってみたんだ。お酒のつまみとしてアヒージョも」
黒崎「す、すごい量ですね」
浅葱「ナポリタン~♪ ナポリタン~♪」
八幡「では早速頂きましょうか」
杉村「あれ? お腹が空いたって騒いでいた人がおりませんね」
黒崎「桐島さん? そういえばいないですね」
浅葱「そんなことよりナポリタンですよ!」
八幡「桐島さんには美味しかったと伝えときますから食べましょう」
杉村「そうですね、冷めちゃいますし」

四人「いっただきまー……」


バンッ! と、勢いよく扉が開く音がしました。

桐島「ちょっと待ちなさい!」
黒崎「き、桐島さん?」
桐島「違うわ! 桐島お嬢様とお呼びなさい!」
杉村「桐島、お嬢様?」
八幡「桐島さん、ついに気が触れたのですか?」
桐島「ノー!! アタクシは気づいたのです! お嬢様に気に入っていただけるような物を作るには、誰かがお嬢様役になるのが一番だってね! この五人で一番お嬢様なのはだ~れだと思う? ……アタクシだよ!!」
浅葱「た、確かに! 桐島さんから溢れ出るお嬢様のオーラ、高貴な出で立ち、ダイナミックボディ。ここにいるのは桐島さんではありません! 桐島お嬢様です!」
杉村「え、何これ……何か始まったけど」
黒崎「また訳のわからぬことを。八幡、ちょっとあの大きなお嬢様もどきを黙らせてくれませんか」
八幡「桐島さん......いえ、桐島お嬢様!それで私達は何をすれば良いのでしょう!」
杉村「八幡まで?!」
黒崎「駄目だ、この人達」

杉村「で?何をしてほしいの桐島さん」
桐島「お嬢様!(指 ポキポキ)」
杉村「っ....…お嬢、様。(まだ死にたくない)」
桐島「今回はみんなにアタクシの気にいる『キッシュ』を考えてもらうわ!題して、執事たちの休日2.5弾!キッシュパーティ~!! いぇーい!」
浅葱「いぇーい!」
八幡「キッシュですか、面白そうですね」
黒崎「そんな急に言われても……」
浅葱「はい! はいはいはい!」
桐島「はい、じゃあ最初は浅葱ね!」
浅葱「こほんっ……それでは桐島お嬢様。本日は私、浅葱が考案したキッシュをお持ち致しました」
桐島「用意がいいわね、浅葱。恐ろしい子!」
杉村「ノリノリですね……」
浅葱「こちら『浅葱』風キッシュでございます」
桐島「自分の名前を付けたのね。それで何が入ってるの?」
浅葱「文字通りアサリとネギを入れまして、そして浅葱色にする為にチョコミントをーー」
桐島「うん、却下よ!」
浅葱「そ、そんなぁ」
八幡「当たり前ですね」
桐島「次は誰かしら!」
杉村「では私、杉村が桐島お嬢様にキッシュをお持ち致しました」
黒崎「杉ちゃんも意外とノリノリだ……」
杉村「こちら『八幡』風キッシュでございます」
桐島「き、危険な予感しかしないわ」
八幡「美味しそうですね」
桐島「何が入ってるのかしら?」
杉村「黒ごまときな粉、そしてサクランボ」
桐島「ほう、和テイストでなかなか……」
杉村「そしてミンティアとニンニクでございます」
桐島「とんでもなかったわ! ダメよ、ダメダメ! 次は黒崎! 真面目な貴方なら美味しいキッシュを作れるでしょう」
黒崎「まあ真面目ではありますけど、なんか釈然としないのはなぜでしょう。まあいいです……こちら『日本』風キッシュでございます」
桐島「日本風? 和風なのかしら」
黒崎「左様でございます。日本人の魂でございますお米を使ったキッシュでございまして、炊きたてのご飯をギッシリとキッシュに詰め込んで焼き上げたものでございます」
桐島「んー確かに今までにない発想だけど」
八幡「味付けは?」
桐島「そうね味付けは大事」
黒崎「勿論、白米の美味しさを味わう為に……塩のみを使います!」
杉村「塩、だけ?」
黒崎「塩と米! それこそが究極であり、至高でございます!! 充分ではございませんかっ!」
浅葱「確かに美味しそうですけれど……」
桐島「残念だけれど却下よ。桐島お嬢様が満足するキッシュとしては物足りないわ」
黒崎「くそう! 梅干しをつけていればよかったのか!」
杉村「そういうことではないと思いますが」
桐島「嗚呼、なんということかしら。この桐島お嬢様を満足させるキッシュはないということなの!」
八幡「お待ちくださいませ。そう決めるのは些か尚早でございます。この八幡がおりますでしょう」
浅葱「一番不安なんですけれど……」
桐島「そうね。八幡、貴方はどんなキッシュを持ってきたのかしら?」
八幡「それでは……こちら『お屋敷』風キッシュでございます」
桐島「お屋敷? 何が入ってるのかしら」
八幡「こちらにはハンバーグにお好み焼き、ナポリタンをバランス良くお入れして、程よい唐辛子の辛味やほのかにニンニクのエッセンスを取り入れ、私達五人をイメージした素晴らしいキッシュです」
桐島「私達五人を、イメージした?」
八幡「はい」
桐島「素晴らしい、キッシュ……?」
八幡「左様でございます」

桐島お嬢様と八幡は見つめ合います。

八幡「桐島お嬢様、お召し上がり下さいませ」
桐島「八幡……」
八幡「桐島お嬢様……」
桐島「八幡……!」
八幡「桐島お嬢様……!」


トゥンク、トゥンク、トゥンク。


浅葱「……あのう、食べませんか?」
杉村「そうですね。悪ノリが過ぎました」
黒崎「ギフトショップのアホ二人は放っておきましょう。それじゃあ、」
三人「いただきまーす!!」



桐島「やはたぁ……!」
八幡「桐島さん、気持ち悪いです」
桐島「あ、はい」


ちゃんちゃん!



浅葱でございました。
Filed under: 浅葱 — 10:00

浅葱のお茶会~BC編~

明けましておめでとうございます。
浅葱でございます。

今回はお正月に相応しい紅茶と語らっていこうと存じます。
それでは本日のゲストを呼びましょう。

浅葱「バタフライクラシックさーん!」
バタフライクラシック「はーい!」

以後は長いのでBCと呼びます。

(more...)
Filed under: 浅葱 — 07:00

浅葱のお茶会

2018年が今月で終わります。
来年からは2019年。
ここ数ヶ月、たくさんのフットマンブレンドティーが増えておりますね。その味や香り、名前を覚えるのが大変なくらいに。
杉村のシルヴィアス。
御茶ノ水のバナナキャンディ。
浅葱のミッシェル。
綾瀬の大和撫子。
佐々木のPSG。
桐島のアレキサンドライト。
才木のニルス・オーラヴ。
そして、来月には平山のシャイン。
ここ数ヶ月で8種類の紅茶が新しく仲間入りしました。大変喜ばしいことです。

ですが、今月でお別れをする子もいます。
バースデーティーと呼ばれる12の月をイメージしたフレーバードティー達です。

ゼウス、アフロディーテ、アルテミス、
ヘーパイストス、ヘルメス、ヘラ、
ポセイドン、アレス、デメテル、
アポロン、アテナ、ヘスティア。

今回はこの12種類の紅茶達とお茶会を致しましょう。



まずは1月のバースデーティー、ゼウス。
柚子フレーバーの紅茶です。
……正直、難しい気性の子です。彼と出逢うまで、浅葱は柚子の着香茶を飲んだことがございませんでした。柚子の香りが好きでしたので出逢ってすぐにお友達になろうとしましたが、彼は想像以上に強い香りと渋みを発して、なかなか仲良くなれなかったのです。けれども浅葱は諦めませんでした。出来るだけ軽やかになるようアプローチを繰り返し、何度も喧嘩をしながら徐々に仲を深め、ついに香りを爽やかにして渋さを和らげることが叶いました。彼は途端に柑橘の軽やかさを増し、柚子フィナンシェやダヴィンチの柚子パスタとマリアージュ致しました。それ以来、刺激が欲しい時に、彼と遊ぶことにしました。

次に2月のバースデーティー。アフロディーテでございます。
チョコレートフレーバーの紅茶ですね。
彼女とは忘れられない思い出がございます。それは浅葱が紅茶係を務める少し前のことでした。ティーサロンがお休みの時、綾瀬と一緒に紅茶を淹れて練習しておりまして、浅葱の未熟な紅茶を何十種類と嫌な顔もせずに飲んでくれました。そんな綾瀬が、このアフロディーテを絶賛してくれたのです。そしてお嬢様にも浅葱の淹れるアフロディーテは最高です、とオススメしてくれていました。彼女は浅葱と綾瀬の思い出の子なのです。

次は3月のアルテミス。
薔薇フレーバーの紅茶です。
浅葱がバースデーティーの中で一番飲んでいたのはきっと彼女でしょう。セイロンティーベースの着香茶でございますが、ドライフラワーもブレンドされている本格仕様でございますし、香りも華やかで上品という優秀な子でございます。特に杉村が淹れるアルテミスは香りが特に際立ち、鼻腔に広がる花の香りに癒されておりました。……熱々で舌をよくやけどしましたけれど。杉村といえば柚子のイメージがありますが、浅葱は今でも薔薇のイメージが刷り込まれているのはこのためです。

4月のヘーパイストス。
マスカット&グレープの香りです。
瑞々しい香りを感じる子です。よく上質なダージリンはマスカテルフレーバーというマスカットの香りに似たエッセンスを感じると言いますが、フットマン達がこれぞ本当のマスカテルフレーバーだ、と笑っていたことが印象的です。使用人では佐々木や桐島が彼女を好んでおりまして、時々甘々のヘーパイストスを淹れてあげておりました。アイスティーとの相性も良く、甘くした彼女は夏に飲みたくなる子でした。

5月のヘルメス。
アプリコットフレーバーの紅茶です。
彼は甘えん坊の少年、といった香りでした。アプリコットの香りはデザートとの相性が良く、ハニースコーンなどと一緒に食べても真価を発揮してくれます。午後のゆっくりとした時間、おやつと一緒に淹れたくなるような子です。

6月のヘラ。
パイナップルフレーバーです。
12の紅茶達の中で一番の新参者でございました。前のグレープフルーツフレーバーも面白い香りがしましたが、パイナップルは何もかもが初体験の味でした。彼女はなかなかパンチの効いたトロピカルな香りをしておりますので、淹れるシーンを選んでしまいますが、それでも夏といえばこの紅茶! という絶対的な安心感もあります。水瀬のエクストラティーに使っていたメロンフレーバーの子と一緒に、色々なフルーツ系フレーバードティーとブレンド致しまして「フルーツポンティー」を作った思い出が懐かしいです。この子とメロンの子が他の香りを塗りつぶしておりました。

7月のポセイドン。
レモンフレーバーの紅茶です。
お屋敷には用意していないレモンティーを香りで楽しんで頂ける紅茶です。ゼウスと共に仲良くなることが難しかった子でした。レモンの甘酸っぱい匂いをバランスよく抽出することがとても難しく、何度も失敗を繰り返して飲みやすく淹れておりました。胸に残り離れない、この苦いレモンの匂い。今でも彼はわたくしの光、でございます。

8月のアレス。
ピーチフレーバーの紅茶です。
一番思い出の深いバースデーティーでございます。浅葱のブレンドティーでございます『みっちゃん』にも使われておりますし、何を隠そう、桃が大好きなのです。一番最初に練習した紅茶でもございます。少し寂しくなりましたら、みっちゃんを飲んで彼のことを思い出してあげてくださいませ。

9月のデメテル。
金木犀の香りの子です。
とても好きです。ファンも多く、浅葱もオススメしておりました。先日、瑞沢と紅茶の話をしている時に好きだと言っていましたので、おそらく私と趣味が合うことでしょう。きっと金木犀を使っているミッシェルのことも好きでしょう。ね、瑞沢さん。

10月のアポロン。
マロングラッセフレーバーの子です。
アポロンといえば影山が好きな紅茶というイメージが昔からありました。そして昔いた使用人から受け継いだブレンドティー『アポカリプス』の材料にもなる子です。アポカリプスはアポロンとリリスを等量程度でブレンドし、砂糖とミルクを入れておくと、フットマン達の笑顔を見れる素晴らしいお味でした。よければお試しくださいませ。

11月のアテナ。
ハニーバニラの香りの子ですね。人気者です。
甘やかな香り、飲みやすい味、特にミルクとお砂糖を入れるとふわふわなお菓子のようにとろけてしまいます。浅葱が。

12月、ヘスティア。
キャラメルフレーバーの紅茶です。
この子も人気者でしたが、アテナとヘスティアは系統が似ておりますので偶にどっちのポットがヘスティアだったけなーっと紅茶係を苦しめました。いえいえ、紅茶係の嗅覚を磨いてくださったのですね。



少し長くなってしまいましたが、いなくなってしまう子達のことを浅葱は忘れません。たとえ短い期間であっても一緒にお嬢様に仕えたことは良い思い出でございます。新しい子のことも大切にしつつ、時には思い出して、お嬢様と懐かしむのも悪くはないと思う浅葱でございました。
Filed under: 浅葱 — 16:00

紅茶を美味しくするためには

浅葱でございます。


普段お嬢様が飲まれております紅茶。

ティーサロンでは特に紅茶係が淹れておりますが、紅茶係を務める使用人ごとに味が変化しているように感じることはありませんか?
例えばこの使用人は少し味が濃い目に抽出される、だとか。味は軽やかで香りが高い紅茶を淹れる使用人、だとか。

それらの違いは、紅茶係を務める使用人の紅茶の淹れ方に起因した差異ではないかと浅葱は考えております。
(more...)
Filed under: 浅葱 — 20:00

嗚呼、愛しのみっちゃん

今月から浅葱のブレンドしましたオリジナルブレンドティーをご用意致しました。

『ミッシェル』でございます。
英語で綴るとMichelle。
最初から最後まで自分自身で作ったオリジナルブレンドティーでございますので、浅葱は我が娘のようにこのミッシェルを可愛がっております。
浅葱は密かに『みっちゃん』と呼んでおります。

フランスの女性名を付けておりますが、由来はイギリスのロックバンドであるビートルズの曲名から。哀愁漂う曲調に、叶わない恋の気持ちを乗せた名曲でございます。


浅葱の好きなライチ、
そしてピーチのフレーバー、
ひとつまみの花びらをブレンド。

キンモクセイとコーンフラワー。
華やかな香りがありますが、ベースが中国紅茶を使っていますのでとってもサッパリとした味です。

ストレートはお食事に合うように。

そして砂糖を入れると途端にフルーツフレーバーが強く感じます。
デザートなどに是非お試し下さいませ。



「私がミッシェルを浅葱より上手く淹れてませましょう!」
この間、綾瀬がそんなことを言っておりました。

最近紅茶係にデビューして、メキメキと腕を磨いているようでございます。是非とも綾瀬が紅茶係を務めておりましたら、綾瀬ミッシェルをお飲み下さいませ。

感想は……まず、浅葱にお伝え頂ければ幸いでございます。


「では、来月からご用意する『大和撫子』は綾瀬よりも美味しく淹れてみせましょう!!」


そんなことを密かに決意した浅葱でございました。



……ちなみに、同時期にお出し致しました御茶ノ水の『バナナキャンディ』。ウチのみっちゃんのライバルとしてどんな味なのか飲ませて頂きました。


うーむ…。
…………。
………。



悔しいけれど、これも美味しい。

ミルクや砂糖の相性は勿論、
ただの着香されたバナナフレーバーではなく、アプリコットを少し加えたことによりバナナのフレッシュ感が何故か演出されているという化学反応が起こっています。


恐るべし紅茶マイスター。
恐るべし御茶ノ水。
今度美味しいロイヤルバナナミルクティーでも作ってもらいましょう。

浅葱
Filed under: 浅葱 — 16:00

嗚呼、愛しのペンダコよ

むかしむかしの話でございます。

小説を読むことが好きだった私は自然と文章を書くことを覚えました。初めは遊びのようなものでした。空想や妄想の類いを延々と書き連ねては破茶滅茶な展開を書き殴っておりました。キャラクターや世界観、ストーリーの設定を書き連ねるノートは何十冊にも及び、数年前に荷物を整理していましたら不意に発掘されて私を大いに苦し辱めました。いい思い出でございます。すぐに焼却致しました。

物語を綴ることが好きだった私は、原稿用紙に手書きで小説を書いておりました。20文字×20行を埋めると大体300文字から350文字になりますので、長編小説を書き上げると200枚から400枚ぐらいになりますでしょうか。幼少の頃は大旦那様から頂いたお小遣いのほとんどを原稿用紙を買うお金にあてておりました。

ジャンルはその時々で異なり、好きなことを好きなだけ書いておりました。特にその当時好きだった小説家の影響を受けることが多く、やたらと三点リーダーを使う時期もあれば、文章の接続に「~だけれど」と多用していたり、全く関係のないことをクドクドと書いていたり、と。未だに影響を残しているものもございます。

その原稿用紙が山となり、崩れる頃には大きなペンダコがぽっこりと中指に出来ておりました。指が歪になることはあまり喜ぶことではないかと存じますが、私は努力した証としてなんだか誇らしく思っていたのです。

お風呂に入りながら、その日一日酷使したペンダコを撫でて、よく頑張ったね、私はなにも君が憎くて酷使しているわけではないのだよ、言うなれば愛情、愛故にスパルタとなるのだよ、と言い聞かせてあげたものです。

一日中文章を書いていた時の熱も少し冷め、それでもペンダコはずっと私のもとにおりました。筆を握っている限り、ペンダコが私のもとからいなくなるなど考えられませんでした。強く握り締めれば、翌日いつも以上に膨らみますし、そのポッコリは手の中で特別に硬くなって存在を主張しておりますから。

私はもう、ペンダコなしでは生きられない身体になってしまったのです。



ある日、そのペンダコが家出しました。


置き手紙が残されていて、それは私に向けて書かれたものでした。その字には確かに見覚えがあり、それは私のペンダコが書いた文字でございます。


『さようなら』


その短い一文を残し、ペンダコは姿を消しました。

その日からお風呂に入っても話しかける相手はいなくなってしまいました。かつてペンダコがいた中指を撫でて、ため息を吐くのが日課になりました。そこには真っ直ぐに伸びた中指しかなかったからです。

「なんで僕を置いていなくなってしまったんだ」

哀しみを紛らわす為にたくさんの物語を綴りました。ミステリーを、SFを、恋愛物を、ハードボイルドを、コメディを、ホラーを。

それらを読み返すと、何処かにペンダコの姿を探しているように思えました。

真犯人はかつて共に過ごした幼馴染で、宇宙的規模で増殖を続ける愛しい指のポッコリ、ふと気づくと一番大切なのは傍に居てくれた君で、バーカウンターでバーボンを傾ける君は、全力で駆け出す上に裸というアホウな姿、恐ろしい気配に振り返るとそこにいて。

支離滅裂ですが、確かにそれはペンダコでした。

そうして私はペンダコが大切な存在だったことに気づきました。

「愚かなのは僕だったよ。どうか、どうか戻ってきてはくれまいか」

涙を拭った手には、やはりペンダコはおりませんでした。


「私はここにいるよ」


声が聞こえました。
逆の手からです。

「ペンダコ! そんなところにいたのかい」

「残念だけど、私はペンダコではあるけれど、かつて君と一緒にいたペンダコとはまったく別のペンダコだ」

「そんな……」

「君が探している左の手にはペンダコが膨らむことはないよ。だって君は右利きじゃないか」

「嘘だ。僕は利き腕を変えた覚えはない」

「じゃあなんで私は右手にいるんだい?」

「それは……」

「箸を持つ手は?」

「右手」

「ボールを投げるのは?」

「……右手」

「ペンを持つ手は?」

「や、やめてくれ! そんな……いつから僕は右利きになったんだ?」

すると右手の中指にいるペンダコは不気味な笑い声でこう言いました。

「君は元々右利きなんだよ。左手の中指にペンダコが存在するはずがないんだ。君はずっと幻想を見ていたのだよ」

「嘘だ! 僕は信じない!」

楽しい思い出を一緒に過ごしたペンダコ。辛い時も哀しい時も寂しい時も。一緒にペンを握ったペンダコ。妄想を文章として一緒に綴ったペンダコ。美味しい料理も一緒に箸を握ったね。寝る前も起きた後も、君が歯を磨いてくれた。

そのペンダコが、存在しなかった。

私は何が本当であるのか判別がつかず、不敵な笑みを浮かべる右手のペンダコのことを遠ざけようと腕を伸ばすことしかできません。

「そんなことをしたって無駄だよ。君は私がいないと箸を握ることもできない。ボールを投げることも、字を書くことも、ハサミで物を切ることも、歯を磨くことも。何も出来ずに苦しむんだ」

「それでも……確かに、あのペンダコはいたんだ……。僕はペンダコと共に……」

「その全てが幻想だったのだよ!!」


私は、右利きだったのでございます。






という夢を見て以来、少しずつ左手を使うようになった浅葱でございます。

左利きの使用人が意外に多く、いつもふとした瞬間に左手を器用に使う彼らを見て憧れてしまうのです。私もいつかは左利きになりとうございます。

お嬢様、左利きの使用人が何人いるか知っておりますか?

ティーサロンで是非教えてくださいませ。
ちなみに衣笠は左利きです。
彼は彼で右手を使う練習をしておりました。




追記
夢の中では憎たらしい性格の右手中指にいるペンダコですが、本当はとってもいいやつでございます。いつも日誌を書いてくれてありがとうございます、ペンダコさん。


浅葱
Filed under: 浅葱 — 15:00

浅葱でございます!

8月は浅葱が提案するエクストラティー、アイス、そしてスペシャルカクテルをご用意させて頂きます。
この数ヶ月間、構想から準備まで駆け抜けるように用意して参りました。
浅葱の好きなものを好きなだけ。
それはもう、たくさん。
お嬢様に召し上がって頂けるようにと。
(more...)
Filed under: 浅葱 — 10:30

『ウミガメのスープを探して~浅葱のお屋敷事件簿③~』

お嬢様、ご機嫌麗しゅうございます。
お屋敷探偵を名乗る浅葱でございます。

先日、歌劇団の第13回公演を観させて頂きまして伊織の着るホームズの衣装が欲しくて堪らない浅葱でございます。
お嬢様もご覧頂けたでしょうか?
素晴らしかったですね。
(more...)
Filed under: 浅葱 — 11:11

孤島に潜む狼は何匹?後編~浅葱のお屋敷事件簿②~

ご機嫌麗しゅうございます。
雨が降ってまいりました。
浅葱でございます。

最近の浅葱は、毎日雨を眺めながらメランコリックな気分に浸り、書庫整理という名の読書タイムを雨粒の音と共に楽しんでおります。
ちゃっぷ、ちゃっぷ
ちょっぷ、ちょっぷ
らんらんらん。
鼻唄を歌いながら。

最近、ふとフットマンになりたての頃の思い出について考えることがあります。それは後輩の姿を見てみていて、園田のように個性があっただろうか、青葉のように人当たりが良かっただろうか、汐見のように楽しげにお話できていただろうか、風祭のようにアホでいられただろうか、と。

去年の今頃、何をしていたのかと思い出しますと……浅葱は何をしていたでしょうか? んー、どうにも思い出せません。お給仕を頑張っていたとは思いますが、それは最初から今に至るまで変わりませんし……。

日誌を読み返してみました。
去年の浅葱が綴った日誌。
懐かしい心持ちで、懐かしい友と、そしてまだまだ未熟なところも少し恥ずかしい。そんな日誌。
来年の浅葱は、この日誌を見てどう思うでしょうか?
恥ずかしさと共に、お嬢様、そして衣笠と乗り越えたこの事件のことを思い出して、きっと困難を乗り越えられるーーと信じられるといいのですけれど。

では、ご覧くださいませ。
先月からの続きの物語です。


***


四日目の朝。
昨晩までの推理をまとめていた私の下に衣笠が神妙な面持ちでやってまいりました。お嬢様はまだ寝室で寝ていらっしゃるようです。
「なあ衣笠、昨日の推理を私なりにまとめてみたんだがーー」

「浅葱」

衣笠は制するように言いました。
「……やっぱり、また出たのか?」
「ああ」衣笠は頷きます。

四日目の犠牲者。
青坂さん、そして赤森さん。
二人が別々の場所で殺害されているのが発見されました。
青坂さんは屋敷に併設している礼拝堂でロープに首を絞められた状態で。
赤森さんは庭園にある噴水広場の池に顔を突っ込むような形で。
殺害方法は青坂さんが絞殺、赤森さんは広場の池で溺死ということが判りました。

「被害者が二人、か」浅葱は顎に指を当てます。ほぼ同時に違う手段で、ということが気になります。
「これで四人が亡くなってしまった」衣笠は目の下に深いクマが出来ております。

「お嬢様は?」
「お部屋で休まれているよ。憔悴していらっしゃることは間違いない」
「そうか。早く、なんとかしなくちゃ……」

衣笠は赤森さんと青坂さんの死亡状況を詳しく教えてくれました。

まず赤森さんですが、犯行現場はお屋敷に併設された礼拝堂の中でした。祭壇近くに倒れた状態で発見され、首にはロープが掛かったままだったということでした。
気になるのは首の絞め痕。
床に倒れていたということでしたが、斜めになっていました。ルルウ様が首を吊っていた時に付いた痕のように、上の方向に絞められた証拠でしょう。
最後に生きている赤森さんを見かけたのは森見さんで、礼拝堂の鍵を貸して欲しいと頼まれたということです。
夜間の外出は控えることを言ったのにもかかわらず、赤森さんは調べたいことがあると言って聞かなかったということでした。
使われていない空き部屋や礼拝堂などの施設には普段施錠されており、鍵は森見さんが管理しています。マスターキーは万城目氏が持っているということでした。

そして青坂さん。
小規模ではありますが公園ほどの噴水広場には中央に池があり、動物の彫刻があります。その縁に顔を突っ込む形で発見されたということです。手足はロープで縛られており、誰かが殺害したということは一目瞭然です。
彫刻は青坂さん自身の作品であり、熊や猪、鹿に鷹、そして狼が立体的に配置された構造をしています。タイトルは『種の審判』。
青坂さんが以前作った作品ということでした。
エラリイ様が特に青坂さんの作品を気に入っていたらしく、娘のルルウ様が生まれてから毎年誕生日には彫刻の作品を作っているということでした。今回の島の崖に彫っている作品も誕生日に送るものらしいです。
……ルルウ様は誕生日が、近かったのですね。


「浅葱、さっき推理がどうのって言っていたよな? あれは何を言おうとしてたんだ?」
衣笠にそう問われ、私は渋い表情を浮かべました。
「衣笠、昨日は解らないと言ってしまったけれど、本当はルルウ様を殺害した人物は見当がついていたんだよ」
「なんだって! なぜ皆の前で言わなかったんだ?」
「それは……犯人を詳らかにすることによって、狂気が続くことを避けたかったから」
「どういう……?」
「けれども、黙っていたことで狂気は続いている。むしろ誤解が最悪の結果をもたらしているんだ」
「なあ浅葱、もっと判りやすく説明してくれないか」
衣笠は不満げに言いました。

「ルルウ様を殺したのは赤森さん、そして青坂さんだよ」


***


浅葱はルルウ様の遺体を検分してあることに気がついていたのです。それはルルウ様の首筋についた紐の正体、そして爪の絵の具でした。

ルルウ様お一人の身体を支える強度が必要であり、首を吊るロープは頑丈でしっかりとした物がいります。その時、ロープを持っている人物は島の壁面に彫刻をするのに必要なクライミングロープが使われていました。固定するロープの結び方などもシャンデリアと窓枠、壁面という三点に支点があり、専門的な知識があるという証左でしょう。

そしてルルウ様の手の爪には絵の具が原因と見られる痕跡がありました。おそらく犯人と乱闘になった際、犯人に付着した絵の具がルルウ様の爪に残ったのでしょう。

この証拠により、犯人は二人の客人によるものと推理できます。

けれども納得のいかない点も多々あります。
・なぜ二人がルルウ様を殺害したのか?
・どうしてルルウ様の首を吊ったのか?
・二人が西尾さんを殺害した犯人なのか?
などなど、疑問は尽きません。
この疑問があったことも、犯人だと言わなかった理由の1つでもありました。
状況証拠をあえて取り上げなかったのはこの為です。

西尾さんを殺害した方法ですが、あのナイフが実際に使われたという証拠はありません。確かに浅葱は傷口や凶器についた血痕を見てそう断定していましたが、凶器を別にすることは可能です。

例えばナイフよりも刃先が小さい物。
そう、彫刻刀などはナイフよりも小さい刃を持っています。大きなものであれば、殺傷能力もあるでしょう。

しかし彫刻刀が凶器であると判れば犯人は青坂さんだとすぐにバレてしまう。
そのことを隠すために傷痕を再びナイフで傷つけ、凶器がナイフであることを偽装したのでしょう。

犯行に至ったのは青坂さんです。

そして「WHO IS THE wolf」の文字ですが、あれは後々に調べてみると血液だけで書かれたものではありませんでした。
赤色の絵の具。
そもそも血液は時間が経つと空気で酸化して赤黒く変色していきます。翌日、そして翌々日と変わらない鮮やかな赤色にするためには絵の具を混ぜていることが考えられます。鮮やかな赤色にしておくことで、ダイイングメッセージを印象深く記憶させる狙いなのではないかと。
窓が開けられていたのは絵の具のシンナー臭を隠すためでしょう。

大量の絵の具持っていて、尚且つ色の効果にまで知識を持つ赤森さんが偽装をしたのです。

しかし引っかかるのは、次の犯行です。
ルルウ様の殺害ですが、今度はお粗末過ぎるのです。
明らかに青坂さんが使ったと思わせるようなクライミングロープとルルウ様の爪に残された絵の具。まるで証拠をわざと残しているかのようでした。

そして犯人の二人が殺害されました。
青坂さんと赤森さん、それぞれ別の場所で、そして別の手段で。
青坂さんを殺害したのはきっと……。
では、赤森さんを殺害したのは。

それぞれの犯人はすぐに判りました。


***


浅葱はその夜、狼が動くのを待っておりました。もうこんな悲劇を続けさせてはいけません。
ギィィ、と扉を開けて這入ってくる狼に浅葱は言いました。

「もうやめましょう、万城目さま」

手にはロープを持ち、大柄な身体をしているこの屋敷の主人、万城目氏に浅葱はそう言ったのでした。

ここはエラリイ様の寝室です。

私の横には森見執事がおり、後ろにはエラリイ様がおられます。

「そして、エラリイ様も手に持ったナイフを離してください」

ハッとした表情をしてエラリイ様は浅葱を見ます。手に持ったナイフが鈍く光っておりました。

浅葱が導いた犯人は二人おりました。
青坂さんを殺害したのは万城目氏。
赤森さんを殺害したのはエラリイ様。

つまり昨晩に亡くなった二人の被害者。
それは別の場所で別の犯人が、
同じ頃に起こした殺人なのです。

「赤森さんが鍵を持って礼拝堂に行った時、それを知っていたのは執事の森見さん。しかし森見さんはご覧の通り小柄な体格ですので、首を絞めたとすると斜めに痕が残ることは難しい。赤森さんより大きい体格、そして礼拝堂に出入り出来る人……それはこの屋敷の主人である、万城目氏。あなただけです」

万城目氏は身長2メートル近い体躯を持っていました。

「そして青坂さんはエラリイ様、あなたが殺害したのでしょう。ルルウ様の首を吊っていたロープが自分のものだということを知っていた青坂さんは、唯一知っているエラリイ様に弁明しようとしました」

「なぜ私が知っていることを?」エラリイ様はそう尋ねられました。

「それは……勘に近いですが、エラリイ様は青坂さんの作品を心から愛されているのではないかな、と思ったからです」
「なぜ?」
「噴水広場で溺死させる理由は、青坂さんの作品の側でわざわざ殺害する理由は、そのくらいじゃないかなと思ったからです」
赤森さんとの違いはそこなんじゃないかと思ったのです。

「青坂さんに問うたのではないですか? あの像は確か『種の審判』というタイトルでしたね。青坂さんが目を覚ました時、あの像の前でルルウ様を殺したことを認めれば殺さなかったのではなかったのですか?」
「そうね」
「けれども、青坂さんは最期まで認めなかった」
「だから審判を下したのよ」
エラリイ様は自嘲気味に笑って言いました。
「本当に、青坂さんは殺していなかったのではないでしょうか?」
「え?」

「浅葱は最初、ルルウ様を殺害したのは赤森さんと青坂さんだと思っていました。証拠は確かにありました。けれども、あまりに短絡的な推理ではないだろうかと疑問はずっと残っておりました」

そして浅葱は二人にこう言いました。

「ルルウ様を殺したのは青坂さんでも赤森さんでもありません。犯人は別におります」
その事実を聞いて、万城目氏とエラリイ様は驚愕の面持ちでありました。
「勿論、万城目氏もエラリイ様も違います」

浅葱は万城目氏とエラリイ様が今回の犯行に至った経緯は、ルルウ様殺害の復讐であると気づきました。
森見執事にそのことを告げると、薄々感づいていたのでしょう。何も言わずにエラリイ様の寝室に案内してくださいました。そして説得も。これから行われる狂気の事件に歯止めをかけるためでした。

お互いに浅葱と同じ理由から万城目氏は赤森さんを、エラリイ様は青坂さんのことを犯人だと推理して復讐することにしたのでした。けれども、朝目覚めると新たに自分の知らない被害者が出たのです。
つまり、狼はまだいる。
別々の事件であるにも関わらず、二人は誰か一人の犯人の犯行であるということに固執して復讐を続けることにしたのです。
そして、今に至ります。

「では私たちは何の罪もない者を手に掛けていたのか」
「なんて残酷なことをしてしまったのかしら……」

二人は目から大粒の涙を流してその場に崩れ落ちました。

その時。

パチパチと燃える音が聞こえました。
煙と共に焦げ臭い臭いが漂ってきます。
火事です。
この屋敷が燃えているのでしょう。
何が起こっているのか判りませんが、浅葱はお嬢様と衣笠のことが心配でした。急いでお側に行かなくては!
万城目氏とエラリイ様は幽鬼のようにふらふらと立ち上がり、何処かへと歩いていきます。あちらは屋敷の奥の方です。
「森見さん、早くお二人を!」
「いえ、お二人はもう……この屋敷と共にするお覚悟なのでしょう。あちらはルルウ様が眠るお部屋の方向です」
「そんな……止めなくては」
「いえ、森見は主人様、そしてエラリイ様とルルウ様の意思を尊重するつもりでございます。浅葱さん、貴方は貴方の仕える人の下へ向かいなさい」
「森見さん、あなたは……」
「私は、私の仕える人に添い遂げるだけです」

火の手が回って、本格的に屋敷が崩れ始めました。

「最期に聞いてもいいかい?」
万城目氏は振り返って私に尋ねます。
「ルルウを殺したのは誰なんだ?」

私は、大きく頭を振りました。
浅葱は無力でした。最期の願いですら答えられないなんて、探偵失格です。

「いいや、いいんだ。知ったところで私たちには罰する資格はないよ」
「そうね、せめてあの子の顔を見ながら最期を迎えましょう」

万城目氏とエラリイ様はお互いに支え合うように奥へと消えて行きました。

浅葱は万城目氏とエラリイ様の後を追って付いていく森見執事の後ろ姿を見ていましたが、ついに止めることはできませんでした。それは使用人としてはある意味、理想的な最期なのかもしれません。

浅葱は浅葱にしか出来ないことがあります。
お嬢様を守らなくては、なりません。

身を低く屈めて、燃え盛る火の手をかい潜り、そしてお嬢様のお姿を探します。

「おじょうさまっ! いがさっ! どこにいるのですか!!」

途中、メイドの佐藤さんが倒れておりました。
「佐藤さん!」
すでに事切れておりました。胸から大量の血があふれていて、刃物で刺されていました。見開かれていた瞼を閉じて、仰向けに安静な体勢にして「ごめんなさい」とその場から離れました。

火の手は激しく、この燃え方は屋敷の中央から燃えたのではないかと思いました。外側に向けて火の手は緩やかになっていましたが、崩落が激しく真っ直ぐ外には向かえません。

屋敷の中央には確か、厨房がありました。
そういえばシェフの伊坂さんの姿を見ていません。彼はどうしたのでしょうか?

足下の床が崩れて一階下のフロアに落ちました。幸い怪我はありませんでしたが、また遠回りをしなければならないでしょう。
目線を上げた浅葱の前には驚きの人物がおらました。
目の前に伊坂さんがおりました。
「何をしているんですか?」
「火をつけているんだ」
「この火事はあなたが……」
「この屋敷がある限り、狼はいなくならないんだ」
「なにを……くっ!」
また壁が崩れて、浅葱と伊坂さんの間に瓦礫がなだれ込んできました。私が止めようとしますが、伊坂さんは何処かへと消えていきました。

私は彼の行方が気になりましたが、それよりもやらなくてはいけないことがあるのです。

必死に叫んで。
駆け回って。
火の手から逃げながら。
崩落を避けながら。
そして。

「お、おじょうさま! ああ、よかった!」

目の前にいる衣笠、そしてお怪我をされていないお嬢様を見つけた時、浅葱は一安心しましたが……それだけではありませんでした。

「あ、あなたは……!」

紫音さんでした。
紫音さんは正気の沙汰ではない様子で手にはナイフを握っています。
「もう嫌だ、誰も信じられない……!」
鈍く光る銀色の刃が宙を切ります。
お嬢様を庇いながら逃げている衣笠は避けることに手一杯のようです。
「なにしてるんですかっ!」
浅葱は咄嗟に紫音さんの握るナイフを押さえました。そして衣笠も同時に足払いをして、紫音さんを転ばせます。

「あさぎっ!」衣笠が叫びます。

浅葱は思いっきり床に転がったナイフを遠くに蹴り飛ばし、衣笠は無力になっても抵抗しようとする紫音さんの鳩尾を殴って無力化させました。
「護身術を習っておいて正解だったね」と浅葱は苦い笑みを浮かべます。
「人を殴ったのは初めてだよ」と衣笠。

はやくこの屋敷から脱出しなくてはなりません。

「衣笠、この状況はどうしたのですか?」
「浅葱、お前が事件を終わらせると出て行った後、私とお嬢様、そしてメイドの佐藤さんで紫音さんの様子を見に行ったんだ。部屋にいた紫音さんの様子が変で、いきなり佐藤さんのことを刺したんだ。咄嗟のことで庇えずに、今まで逃げることしかできなかった」
「佐藤さんは事切れていたよ」
「そうか……くそっ! 何がどうなってるんだ!」
「この火事は伊坂さんが火を放ったみたいだ」
「万城目さま達は?」
浅葱はゆっくり頭を振りました。
「犯行は止められたけど、結局私には止められなかったよ」
「そうか」
衣笠はそれ以上聞きませんでした。

「ううううっ!!」
獣のような呻き声が聞こえました。

「浅葱!」
衣笠は庇うように浅葱とお嬢様のことを押しました。その時、後ろから狼のように目を血走らせた紫音さんがナイフで襲ってきていたのでした。
ドンっと衣笠の身体が揺れます。
やめろ!と浅葱は次の瞬間に紫音さんのことを蹴り飛ばしていました。

「衣笠っ! 大丈夫か!」
「あ、ああ、まあな。それより早く脱出しよう」
「そうだな。……へへへ、そういえば人を蹴るのは初めだったよ。足がガクガク震えるよ」
「アホウ、そんなこと言わなければカッコよかったのに……」
お嬢様のことを庇いながら浅葱と衣笠は外に向かいます。


ようやく出口を見つけ、外に出た瞬間。

屋敷は炎に包まれていて、全てが燃えていました。崩壊が始まっていて、先程私達が出てきた出口も数秒後には崩れておりました。
悲劇はついに終わらなかったのです。
自分の無力を嘆くよりも、この状況に生き残れたこと、そしてお嬢様が無事であることが何よりも幸いでした。

「衣笠、お前……」
倒れ込むように衣笠は眠っていました。
脇腹から血が出ております。きっと私達を庇った時に紫音さんのナイフが刺さっていたのでしょう。こんな状態で……。
浅葱は懸命に止血をしました。

「おお神よ、迷える子羊を救いたまえ」

浅葱はそう唱えていた人を思い出していました。頼れるものがいるのであれば、神様だって、なんだって頼りたい気持ちでした。

けれども、衣笠の命を救えるのは私しかおりません。

浅葱がなんとかしなくては!

心配そうに不安げな表情を浮かべるお嬢様に、浅葱は必死に笑顔を浮かべました。

「きっと浅葱が救ってみせます!」


***


シトシトと雨が降り始めました。

燃え尽くした犬吠島の屋敷の前で目覚めます。
隣には衣笠が寝ていました。
私の止血によって大事には至らなかったようです。
雨に濡れない場所で安らかに眠っているお嬢様のお顔を見て、私は安心しました。

惨劇は終わったのです。

浅葱は疲労で重くなった頭で、もう一度この一連の事件について考えてみました。
すると、真相は驚くほど簡単にひらめいたのでした。

「ああ、狼なんて……」

私はそう呟き、瞼の重さに抗うのをやめました。


羊が一匹……羊が、二匹……ひつじが……さん……。


数えるまでもなく、浅葱は深い眠りへと埋没していきます。


***


「それで、狼は結局のところ誰だったんだよ?」

衣笠は私に問います。

「ん? 狼……ああ、西尾さん……かな」

強いて言うならば。

衣笠は病室のベッドの上で上半身を起こしています。私は横にある椅子に腰掛けて、お見舞いの林檎の皮を剥いていました。
「ウサギで頼むよ」衣笠は真顔でそうねだってきます。
「ワガママなやつめ」と言いながらも可愛いのを作ってやりました。

「しかし、西尾さんは一番最初の犠牲者だぞ? どうやって……」
「その後の事件については西尾さんは直接的なことは何もしていないよ。だって亡くなった人が夜な夜な生き返っているとしたら、それこそ怪異譚だ」

「じゃあ、あの暗号は?」
「WHO IS THE wolfってやつ?」
あれは自作自演なのでしょう。
自分自身の血と絵の具を混ぜたインクであの文字を書き切ると、最期にwolfのWの字の左下を指で指しながらこと切れました。
それは次の事件に繋げるためのトリックです。

「単純だったんだよ。wolfという字を書くことで屋敷にいた全員に不安感を募らせて、ある人物に自分を殺した狼が他にいると思わせたかった」
「ある人物?」


それは、ルルウ様です。


外界から隔絶された犬吠島で、ひとりのルルウ様にとって、外界からやってきた異性の西尾は憧れの存在でした。二人は恋仲になり、西尾は「この島に狼がいるんだ」と刷り込ませます。そして、自分の命が狙われていることも。
ルルウ様が本気にしていたかは判りませんが、現に西尾が殺害(と見せかけた自殺)をすることによって仇討ちさせることに仕向けました。

「けれども二日目の犠牲者はそのルルウ様だぞ」
「そう、事件がこれほどにも連続したのはその誤算があったからともいえる」
ルルウ様は返り討ちにされたのだ。
wolfの示す人物に。

wolfを筆記体で書き、反転させる。
そしてWの字の左下で西尾さんが書き切ったと仮定すると、そしてWとFの字が書き加えられたとすると、その人物の名前が解る。

wolf→SION

つまり紫音さんが犯人だというダイイングメッセージだと気づいたルルウ様が次の夜に敵討ちをしようとしたのだが、返り討ちにあい、逆に殺されてしまったということ。

紫音さんは襲われて必死に反撃した末、ルルウ様を殺害してしまい、気が動転した結果、狼の仕業にする偽装をしました。
それが首吊りのトリック。
青坂さんのロープ、そして赤森さんの絵の具を使い、あたかも二人のどちらかがルルウ様を殺害したように仕組んだのです。

しかしルルウ様が亡くなったことで、両親の万城目氏とエラリイ様が今度は敵討ちをしようとしました。
万城目氏は青坂さんを。
エラリイさんは赤森さんを。
それぞれ亡き者にすることで、復讐を遂げたかと思われましたがーー
翌日、互いに知らない犠牲者が。
つまり、まだ狼はこの中にいるということ。

次の夜に、万城目氏はエラリイ様を。
エラリイ様は万城目氏を殺そうとします。
そして、それに気づいた浅葱と森見さんが二人を止めようとしました。正気に戻った二人は自身の罪からルルウ様の亡骸と共に燃え上がる屋敷に留まりました。

また別として、紫音さん。
彼女はルルウ様に殺されかけ、そして身の回りの人間が次々と殺されて、被害者は後を絶たない。そんな状況でおかしくなってしまったのか、自分以外の人間を敵とみなしていました。
佐藤さんが心配になって声をかけたとき、紫音さんはついてに持っていた刃物で佐藤さんを殺害してしまったのでしょう。そしてご存知の通り、目撃したお嬢様と衣笠を亡き者にする為に追いかけてきたのです。
そして、屋敷に火を放ち、燃え上がる屋敷の中で浅葱と衣笠がなんとか撃退。彼女は火の中で彷徨いながら、屋敷と運命を共にしました。
衣笠が刺されていたのは、その時でした。

幸い軽傷で済み、今は入院しておりますがすぐに退院するとのことです。まったく人騒がせな奴でございます。

「……西尾さんはなんでそんな惨劇を演出したかったのだろう?」
「これは後になって調べた話なんだが、50年前に殺人事件が犬吠島であったことは知ってるかい?」
「西尾さんが言っていたね」
「その被害者に西尾さんの祖父がいたらしい」
「……敵討ち、ってことかい?」
「シェフの伊坂さんも親族がいたらしい」
「伊坂さんも?」
「西尾さんがよく島に忍び込んでいたって言ってたけれど、それには協力者がいたんだと思う。伊坂さんがその協力者で、島の連絡手段などを遮断してクローズドサークルにしたのもきっと彼の仕業だろう」
「浅葱は伊坂さんが屋敷に火を放つのを見かけたんだろう?」
「それが、西尾さんとの約束だったんだろうね。狼がいなくなるように、最後は何もかもを幕引きにする役目を担っていたんだ」
「それも、復讐……なのか」
「そうだね。更に昔の文献を調べていくと、その前にも凄惨な事件があの島では起きているんだって。これは……あくまでも推測でしかないけれど、復讐が復讐を呼び続けた結果なんじゃないかなって私は思うんだ」
燃え尽きたお屋敷には十人の遺体が見つかりました。伊坂さんも屋敷と運命を共にしたのでしょう。
浅葱はこの島に狼がいるとは思えませんでした。
今も、遥か昔からも。


「狼はいなかった」


狼はいなかったけれど、人は時に狼になってしまうんだ。
そう教えられたような気が致します。

「西尾さんは……なんで、救いを求めていたんだろうな?」
衣笠は病室の天井を眺めて、ポツリと言った。私達が犬吠島に着いた時、西尾さんは「おお……よ、迷えるこひ……を……いたまえ」と唱えていました。

「おお神よ、迷える子羊を救いたまえ」

と言っていたように聞こえました。
これから惨劇を起こすことを知っていて、西尾さんは救いを求めていたのかもしれません。
もしくは、こう言ったのかもしれません。


「狼よ、迷える子羊を食いたまえ」


彼がどちらの言葉を呟いていたのかは、もうわかりません。

「この事件、忘れちゃダメだな」
しみじみと衣笠は言いました。
「そうだね。でも、私は絶対に狼にはならないよ」
「それは……執事(羊)だからか?」
そうです。実にくだらないですが、その通り。
「神が救うのが羊なら、お嬢様を救うのが執事だから」
「違いない」

浅葱と衣笠は、ウサギの林檎を齧ります。
甘いけれど、少しだけ酸っぱい味でした。


終わり
Filed under: 浅葱 — 21:30

孤島に潜む狼は何匹?前編~浅葱のお屋敷事件簿②~

羊が一匹。羊が二匹。
羊が三……びき。
ひ……つ、じ……が。
すーぴー、すーぴー。

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