初心

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様方。

香川でございます。

 

慌ただしさの中でも、季節を教えてくれるお屋敷の木々たちに目を奪われる頃合いとなって参りました。

お嬢様におかれましては如何お過ごしでしょうか。

 

この時期はティーサロンのアニバーサリー期間でもございます。

普段とは異なる特別なお品の数々。

 

一年はあっという間、と言いながらも、

この期間をあらためて迎えられることは感謝以外の言葉では表現できません。

 

お嬢様が気兼ねなくお戻りになれる場所をお守りする為に。

一日一日積み重ねたく存じます。

 

お早いお帰りをこころよりお待ちしております。

究極のパン

ご機嫌麗しゅうございます。
環でございます。

前回パンの話をさせていただきましたが、今回もパンのお話でございます。

最近はクリームや具ではなく、小麦粉とバター、砂糖だけで勝負しているパンにハマっており、気がつけばシンプルなパンばかり食べているという話でございましたが、その中で究極とも言えるパンと出会いました。

それが、クイニーアマンでございます。

名前や姿は知っておりましたが、実際に食べるまでには至っておらず長年スルーしておりました。

そんなクイニーアマンをこの間食したのですが、なんと申しましょうか…罪な美味しさでございました。

バターと砂糖をふんだんに使っていたらそれは美味しいに決まっております。

反則的な美味しさでございました。

ただ、これを頻繁に食べるのは危険と判断いたしましたので、クロワッサンや食パンの合間に、たまにいただく贅沢としてクイニーアマンは食べたいと思います。

まだまだ美味しいパンを探す旅は続きそうです。
それでは。

古谷でございます

今月でティーサロンも開館16年でございますか

この長きに渡る伝統に

若輩者ながら短くはない月日を過ごすことが叶いまして光栄の限りです

なかなかどうして時代は常に変わってしまいますが

貴女の為に。

変わらずに大切にしたいもの

守り続けられますように更に励んでまいります

今年も。

司馬でございます。

皆様、お健やかでいらっしゃいますか?

 

 

 

ようやく、春本番の温かさを感じられるようになってまいりました。

“春眠暁を覚えず”という言葉のように、午睡の誘惑に敗北してしまいそうですが、お嬢様方と同様、私も日々の紅茶で目を覚ましていきたいと存じます。

とはいえ、冬の寒さが不意に戻ってくることもございますので、まだまだご油断なく冬の名残に立ち向かってくださいませ。

 

 

 

3月、といえば今年もスワロウテイルの開館記念日が訪れてきます。

ここ数年、いろいろと困難な時勢が続いておりますが、また無事に記念日を迎えることができ、ただただうれしく、感激を言葉にすることも難しゅうございます。

 

 

 

お嬢様やお坊ちゃま、そして奥様と旦那様。

心より感謝の想いをお伝えいたします。

ありきたりな言葉ではございますが、いつもありがとうございます。

皆様方がサロンにて憩いの時間を過ごされていらっしゃるのを、司馬はいつも見守ってまいりました。

いつも絶えることなく笑顔を浮かべていらっしゃる、お優しい主にお仕えできる幸いは、とても得難いものなのだと、しみじみと思い返しております。

 

 

 

良き香りと深い味わいの紅茶、おいしいお食事、そして楽しい語らい。

そんな日々をこれからも積み重ね、また輝かしい記念日につなげていきたいと存じておりますので、どうぞこれからも末永くスワロウテイルをよろしくお願いいたします。

 

 

 

では、アニバーサリーのお食事と趣向を、どうぞ本年もご期待くださいませ。

 

日誌

ご機嫌麗しゅうございます。
山岡でございます。
今月は雛祭り、そしてお屋敷としてはアニバーサリー期間となりますね。
私個人としてはまだティーサロンに携わらせて頂いて2年と少しという期間しかお屋敷の歴史を歩んでおりませんが、
大旦那様が愛する、そしてお嬢様が愛してくださる執事喫茶スワロウテイルのお誕生日を、私もご一緒にお祝いさせて頂きたく存じます。
今月も沢山、お屋敷での思い出をお作りになられて下さいませ。

山岡

メッセージカードのご依頼につきまして

ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様、お坊ちゃま。
執事喫茶スワロウテイルの諏訪野でございます。

当家フットマン、絢辻へのメッセージカードのご依頼は3月20日20時迄とさせていただきます。

尚、本人からの手渡しが叶わぬ場合もございます。
誠に恐縮ではございますが、ご了承のほどよろしくお願いいたします。

懐メロ

お嬢様は音楽を聴きますか?

伊織でございます。

 

わたくしは私的に音楽を聴くことはおおよそありませんが、ふと耳に入ってくる音楽というものは存在します。街中の至る所で流されている音楽は、聞く側の好みを問うことなく投げ続けられるものです。

流行っているのであろう音楽の種々は、国内外を問わず意識しないうちに記憶にすり込まれているのでしょう。

 

ごくまれに、急に古い音楽が耳に入ってくることがあります。

古いと言ってもクラシックや60’sなんていう古さではなく、絶妙にくすぐったさを感じさせる80~90年代のものです。

なぜこんなにもくすぐったさを、原因不明の気恥ずかしさを感じなければならないのか、いまだにわたくしには分かりませんが、どうもこのあたりの音楽が有線なんかから聞こえてくるとむずがゆくなるのです。

お嬢様はこのような体験はございませんか?