お月見

お嬢様。
夏も盛りと思うておりましたが、気が付けば暦も流れ、秋の香りが日に日に強くなっております。
それに伴い、夜が纏う香りも変化しつつ御座います。

おやおや。
夜に、香りなどが在るのかと仰せですか?

勿論、御座いますとも。

夏の夜が纏う香りは、例えるなら終わることがない祭。
存在する全てが、生命を燃やしているかのような熱気。
夜闇の中に踏み出すたびに感じるのは、旅に出る前の子供のように胸を躍らせる、根拠なき期待感。
夏と聞くだけで、胸の中に疼くこの歓喜は……おそらく、幼き日に刻まれた「夏休み」という日々への、永遠の憧憬なのでございましょう。

対し、秋の夜が纏うのは、静寂の香り。
頬を撫ぜる夜気は、優しく柔らかく、心地よい羽毛に包まれているような安心感が、秋の夜には御座います。
耳を優しく擽るのは、鈴虫の音色。
柔らかな闇と美しい音色に囲まれる夜は、月を眺めるに一番良い時期で御座います。

そう、秋といえば月。夏の月も良うございますが、静かに冴える秋の月は格別でございます。
こんな夜には、皆が寝静まった後。
そっと窓を開き、お屋敷の屋根の上へと歩み出て。
大きな大きな夜空の中に、静かに輝く月を独り占めにして、たっぷりと月光を浴びるので御座います。

おや。
独り占めはズルイと仰せですか?

それでは、もっとも月の綺麗な夜に、密やかに、お迎えに上がりましょう。

お嬢様の部屋の窓をノックし、月夜の到来をお知らせ致します。
足音を忍ばせて、窓辺へとお寄りくださいませ。
窓を開き黒手袋の手を差し伸べ、月下の世界へお迎え致しましょう。
――さぁ、お出掛けで御座います。

お足元にお気をつけて、こちらへお進みくださいませ。屋根に上るのは初めてで御座いますか?
誰も知らぬ夜の楽園。屋根も尖塔も眼下に広がる薔薇園も、眩しいほどの月明かりが蒼く照らして御座います。
ロイヤルアルバートの“ムーンライトローズ”そのものの眺めで御座いますね。
さぁ、庭園も美しゅうございますが、どうぞお顔を空へとお上げくださいませ。

何処までも漆黒に広がる夜空。振り撒かれた白砂のように輝く星。
そして、その中央で輝くのは、驚くほど大きく夜空を占める、銀色の月でございます。
さぁ、こちらのクッションにお掛けくださいませ。お茶のご用意は整っております。
風邪などお引きになりませんよう、こちらのブランケットをお掛けくださいませ。

カップは勿論、ムーンライトローズをご用意いたしました。
紅茶は……今宵のみ特別でございますよ?水上にお願いして取り置いていた、最後の“アルテミス”で御座います。
おやおや。余りはしゃいではいけませんよ?他の執事に見つかったら大目玉で御座いますからね。
デザートにはアポロをご用意いたしましょう。やはり月見には兎と稲穂、そしてお菓子が欠かせませんからね。

―――この月夜、お気に召して頂けましたか?

もしお喜び頂けたなら、どうかお嬢様のその輝く笑顔をお見せ下さいませ。
お嬢様の笑顔を映せるなら、月もまた本望で御座いましょう。
勿論、このような良き月夜に、お嬢様の笑顔を賜れた時任も、誰よりも幸せ者で御座います。
ええ。その笑顔の力だけで、一週間ほどは辛い陽の光の中でも生きていけそうで御座います。

さて。月の模様を見て、兎が餅つきをしていると表現した方は、素敵な感覚をお持ちですね。
異国の方々は、獅子や狼、ワニや蛙、編み物をするお婆様や酔いどれた神様などを、あの月影に見るそうですよ。
――え?時任にはあの月が何に見えるのか…ですか?
……何にと言われますと………あぁ、やはり月見団子もご用意いたしましょうか?食べたくなってきました。

―――…おや。もう、斯様な時間でございますか。

夜も深くなって参りました。そろそろ、ベットにお戻りになる頃合で御座いますね。
もっと夜を眺めたいと仰せで?…しかしながらお嬢様、私は幾度かお教えしたはずでは御座いませんか?
『楽しくそして美しい。そんな夜の過ごし方は数あれど、最高の夜の過ごし方はただ1つ』…と。
それは、暖かなベッドの中で安らぎ、良き夢の中で遊ぶ。健やかなる眠りという時間だと。

さぁ、お足元にお気を付けて。誰にも気付かれぬよう、そっとベットへお戻りくださいませ。
柔らかな枕と羽毛に包まれたなら…ほうら、まどろみの時が参りましたよ。
……また、月夜のお茶を楽しみましょう。いつでもお迎えに参りますよ。
瞳をお閉じになり、どうかお安らぎ下さいませ。今宵もきっと楽しい夢が、お嬢様を待っておりますよ。

…ご安心してお休み下さいませ。
お嬢様の安らかな眠りと、良き夢をお護りする事が、時任の務めで御座いますれば。
何人たりとも、たとえ夢魔や幽鬼の類にすら、お嬢様の憩いの時に近づけはさせませぬ。
空に月がある間は、お嬢様は時任がお護り致します……………太陽がある間は、自力でお気張り下さいませ。

それでは。
今宵のお嬢様の元に、よい眠りと、良い夢が訪れますように。

月下より、お祈り申し上げます。
                                        時任

お嬢様への手紙 ~ 6.5通目

拝啓、お嬢様。時任でございます。
夏もそろそろ終わりを迎え、空に照り輝いていた太陽めもどうやら和らぎを見せようとしております。
太陽を苦手とする時任は、あやうく灰になるところでございました。夏を乗り越えられほっとしておりますが、来年も乗り越えられるかは怪しいものです。
今年のうちに、対陽光シェルターを地下に建造しておくことと致しましょう。
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お嬢様への手紙 ~ 6通目

我が敬愛せしお嬢様、真夏の日々が続くこの頃でございますが、ご健勝であられますか?
お久しゅうございます。きっぱり太陽を天敵と見做しました時任でございます。

陽に当たらぬ日々が永過ぎたせいでございましょうか。
先日、昼日中に街へと買い物に出かけました折、あまりの眩しさと、身体を灼く陽光に辟易といたしまして。
このような真夏日の陽射しなど、お嬢様の肌を焼く不埒者、一生仲直りするものかと決意いたしまして。
時任は、お屋敷の地下の地下。最下層の地下室を住処とさせて頂く事に致しました。

さて、そんな日々でございますが、お嬢様はもうティーサロンの『ジュレセット』はお試し頂けましたでしょうか?
お出掛け先や別宅でお楽しみ頂けますよう、コンパクトにまとめました紅茶・マンゴー・グレープフルーツのジュレでございます。
また、時任が更にお勧めいたしますのは、ジュレと一緒にご用意させて頂きました、水風船でございます。
掌で弾ませてお遊び頂きますと、涼やかな音を立てて、風船の中で涼水が踊る逸品でございます。
実は一つ一つ、時任やフットマンたちがせっせと膨らませた、心を込めたハンドメイドでございます。
夏の思い出に御供させて頂ければ幸いでございます。

それではお嬢様。花火や夏祭りなど華やかな楽しみも多い季節、ぜひお楽しみ頂きとうございます。
ですが、夜遊びを過ごしたり、夏風邪を召されたりなさって、爺やたちに心配をかけぬようお願い申し上げます。

さて、それでは堅苦しいのはここまでと致しましょう。
お手紙二枚目はいつものように、時任めの戯言を記させていただきます。
寝付けぬ夜の寝物語なぞに代えて頂けたら幸いでございますが、だからといって寝不足にはならぬよう、お気をつけ下さいませ。

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お嬢様への手紙 ~ 5通目

(表)

拝啓 お嬢様

雨の季節も過ぎました。
地を焦がすほどの陽光は、早くも夏の盛りを思わせております。
お屋敷も漸く生まれ変わりまして、執事・フットマンの皆も、再びお嬢様をお迎えする栄誉に浴せそうでございます。

一月の別宅暮らしでございましたが、いかがでございましたか?
お仕事や学業、お疲れ様でございました。
どうか、いつものお席で御寛ぎ頂き、マイスターたちが厳選してまいりました新茶をお楽しみくださいませ。
そして、フットマンたちに、この一月の事などお話頂ければ、さぞ喜ぶことでございましょう。

そう。気が付けば世は真夏。
まばゆいばかりの陽光が満ちたる世界は、時任には少々酷でございます。
お嬢様方、日焼けにもお気をつけ頂きとう存じますが、それ以上に日射病や夏疲れなどなさいませぬように。
お嬢様のご健康こそが私どもにとっての第一でございます。

夏休みやバカンスに入られるお嬢様も居られましょう。
たまには緩やかに羽を伸ばすのも必要でございます。
さりとて、羽目を外しすぎて爺やたちをあまり心配させませぬよう、お願い申し上げます。

それでは、お嬢様方の変わらぬ笑顔を思い、それが永遠であることを祈りながら…。
時任は夜闇に潜むことに致します。

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拝啓 お嬢様へ

夏も近づき、窓から吹き込む風も心地よい季節となってまいりました。
お屋敷の休館をお許し頂き、お側を離れまして、はや半月が過ぎようとしております。

目覚める朝にも眠る夜にも、お嬢様がきちんとお食事を召しておられるか、お風邪を召していないかと、
御身を案じぬ日はございません。

間もなく雨の季節も明け、再びお目通り叶う日も近うございます。
より一層の気品を身に付けられたお嬢様との再開を心待ちとし、
そんなお嬢様方に仕えるに相応しき執事として、その日を迎えられるよう、私どもも努力を惜しみませぬ。

どうか今ひとときの間、お側を離れること、お許しくださいませ。
そして口煩いようでございますが、くれぐれも身体にはお気をつけてお過ごしくださいませ。
お元気な笑顔に再会できるその日こそが、私どもの心の支えなのですから。

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お嬢様への手紙 ~ お屋敷への軌跡 その2

我が敬愛せしお嬢様。
新緑が庭園を彩り、明るく降り注ぐ陽光は早くも夏を予感させる…
そんな気候となってまいりました。
急激に気候が変化する時期でもございますが、お嬢様はご健勝であられますか?
時任は、こう見えて頑丈が取り柄でございますので、自身の心配は致しておりませんが。
お嬢様がお風邪を召していないか、ちゃんとお食事は召し上がっておられるか。
そんな過分な心配ばかりを心に浮かべて、日々を過ごしております。
さて。

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