物語

人間という生物は「物語」を抜きに生きることはできません。
そのようにできていると考えるべきでしょう。

だからこそ何かを理解しようとするとき、その補正を外して極力フラットな目線で向き合う必要があります。

物事を認識する際に、自分が受け入れやすい物語を用意して、そこに沿わせることによって理解した気になる。本当は都合のいいように解釈しただけにもかかわらず。
そういった場面をよく目にしますし、私自身にもその傾向はあります。

例えば、SNSをみてもそうでしょう。
150文字。ツリーとして多くても500文字前後。
その中でいわゆる構文として上手くできて、きれいにオチまで用意されているような文章だと、「内容」よりもその「形式」に引っ張られて納得させられてしまう。
なにか特別なものを理解した気持ちになってしまうということがございます。

「包装紙」として書いてきたことにつながるのですが。
こういった場合、内容に大した価値はありません。物語として納得しやすい様式が整っているかどうかが大切なのです。

溢れかえる情報に対峙して、五感を使ってそれらを認識しようとするものの、人間の認識がいかに不完全かを思い知る日々でございます。