お嬢様への手紙 ~ お屋敷への軌跡 その2

我が敬愛せしお嬢様。
新緑が庭園を彩り、明るく降り注ぐ陽光は早くも夏を予感させる…
そんな気候となってまいりました。
急激に気候が変化する時期でもございますが、お嬢様はご健勝であられますか?
時任は、こう見えて頑丈が取り柄でございますので、自身の心配は致しておりませんが。
お嬢様がお風邪を召していないか、ちゃんとお食事は召し上がっておられるか。
そんな過分な心配ばかりを心に浮かべて、日々を過ごしております。
さて。

さっそくの私事で恐縮ではございますが。
時任め、このたび大旦那様の大抜擢を頂きまして、当家執事の末席を拝命いたしました。
この未熟な身には過ぎる重責ではございますが、当家の方々の信頼を裏切らぬよう、精進を怠ることなく勤めさせて頂きます。
背負わせて頂いた執事服。
継承させて頂いた、両手を包む白手袋。
胸に頂いた輝く勲章。
この身には過分な恩義に応えさせて頂くべく、身に纏うたびに己への訓戒とさせて頂きます。
お嬢様はいまごろ、夏のお召し物を選ぶべく、街へと馬車を走らせている頃でございましょうか。
…どうか、荷物持ちに御供できぬこの身をお許しください。
それとも、いつかはご立派な当主となられる身として、日々の学問に励んでおられる頃でしょうか。
…どうか、ご休息のひとときには柔らかな香りの紅茶を淹れさせて下さいませ。
お嬢様の影なるお力となれますことを。
そして、お嬢様が頑張った後のささやかな止まり木となれますことを。
時任も、使用人一同も心から願い、精進してまいります。
どうか、世俗の荒波に心迷うことがあられましても。
どうか、夜闇に心寂しくなることがあられましても。
ご自身の高潔な魂を見失うことなく、ただ前へと御進みくださいませ。
私どもは、いつでもお嬢様を信じ。
そしてお帰りのときを此処でお待ちしております。
いつでも。いつまでも。

…では、堅苦しいだけの手紙では難がございますゆえ
ここからは寝物語と致しまして、時任の愚談を披露いたしましょう。
どうか、寝自宅をお整えの上、ベットにお入りになってお読みくださいませ。

さて。私が当家にお拾い頂きまして、早や数月。
幾つもの悲しいお別れもあり、それに倍する驚くべき出会いもございました。
今宵はそんな、出会いの話のうちのひとつを、述べさせていただきます。

私が、当家セカンドステュワードである各務と出会ったのは、
まだお嬢様の御前に出ること無き、研修時代でございました。
カラスの様に全身黒の衣装を纏いまして。
  (時任は黒い服を好む傾向にございます。影の仕事にて便利?…いえいえ、ただの趣味でございます。)
同期の犬飼と共に迎えた、初授業の日。
講師として、颯爽と現れたのが、各務でございました。
『さて諸君。私が本日の講師・各務と申します。
早速ではありますが、まずは当家の理念と歴史について教授いたしましょう――…。』
歌うような艶やかな声。ダンスのような流麗な所作。
私と犬飼は、ただ呆気にとられ。
その優雅さと自らの差を省みては、当家にて一人前と呼ばれるまでの道程の厳しさを感じたものでございました。
「い、犬飼さん…。」
瞬く間に過ぎたように感じた、研修一日目の終わりに。
まだ夢から覚めぬような心地で、私は犬飼に問うたものでした。
「各務さんは本当に人間でしょうか?
完全なるフットマンとして特化された所作・言葉遣い・声色…
スワロウテイル家によって調律されたオートマータ(自動人形)とかでは…ないですよね?」
すると犬飼は、愛犬たちにブラシをかけながら、こう応えておりました。
「さて?とうてい自分に理解できることではありませんが。
ただ、自分は各務さんを目標として頑張っていくことに致しました。
どんなに厳しかろうと、諦めず食い下がっていく覚悟です。」
彼の膝へと甘えかかる子犬に、よく似た笑みを浮かべて、彼はそう誓っておりました。
 (以降の、彼の研修の道程は、私以上に厳しき道となりましたが。
  近日ようやく給仕をお許し頂き、お嬢様方にご挨拶できた様子にて、私も胸を撫でおろしております。
  どうか時任ともども、犬飼にも、お嬢様方の寛容なる叱咤激励をお願い申し上げます。
「そうですよね…あまりに人間離れした完全なお方だったので、真剣に疑ってしまいました…。」
犬飼さんの真摯な誓いの前に、私のあまりに突飛な疑いが恥ずかしくなりまして。
それ以降はそんな考えも捨て、ただ一心に勉学と訓練に励んでいたのでございます。
そんな日々の、とある夜の事でございました。
「――zzz…で…ディンブラと、ヌアラエリアは似て異なる兄弟の如し……んあ?」
うたた寝から目を覚ましてみると、そこは深夜の書庫でございました。
縦長の窓から差し込む月光が、積み上げられた古書の山を照らし。
古紙の香りと、書庫独特の静謐な空気が、我が身を包んでおりました。
茶葉の学習に励み過ぎ、不覚にも眠ってしまった様でございます。
「参ったな。明日までに覚えることも沢山あるのに。」
懐中時計を確認しながら起き上がり、散らばしてしまった資料を集めておりますと。
「…ん?」
最初は気のせいかと思っておりましたが、古書の香りに混じり、芳しい紅茶の芳香が確かに感じとれました。
何事かと思い、本の山の間から顔をあげて見ますと。
「起きましたか?」
書庫の窓辺に一組だけ置かれた、閲覧用の小さな机椅子。
薄いカーテン越しに注ぐ月光を背景として、淹れたてらしき紅茶を注いでいたのは、各務さんでした。
「申し訳ありません。つい寝てしまいました。」
「いえ、勤務時間でもありませんし。貴方の時間を何処でどう使おうと自由ですよ。」
「ところで各務さん。」
「はい。」
「私が言うのもなんですが、こんな時間にこんな場所でティータイムですか?」
「いえ。時任さんが勉強に励んでいるようなので、紅茶を淹れて差し上げようと思いまして。」
「それは有難うございます!
しかし、よく私がこの時間に起きると判りましたね。」
「人間の呼吸は判り易いですからね。」
「なるほど。」
――…果たして。今の『人間の呼吸は』のくだりは、聞き流して良いものかどうか逡巡いたしましたが。
お屋敷には、犬猫馬羊と動物も多く。それと比較しての事だろうと。
しかし流石は各務さん、呼吸まで感知して判断しているのかと。
多少ムリヤリに自分を納得させてしまいました。
「さぁ、冷めすぎてしまっては勿体無い。まずは此れを飲んで目を覚ましてはいかがですか?」
微笑を浮かべて、そう勧めてくださった各務さんの言葉に誘われるように。
私は立ち上がり、窓辺の机へと歩み寄り。
「有難うございます。それではお言葉に甘えまして。」
と、湯気を上げるティーカップを手に取ったのでした。
それはとても芳しい、さわやかな紅茶の香りと華やかな薔薇の香りがいたしまして。
しばし香りを楽しんだ後に、一口目を口に含みますと。
眠っている間にそこまで口内が乾いていたのでしょうか、酷く速やかに紅茶は体内へと染み入ってゆきました。
まるで獲物を見つけた何かが、歓喜の声を上げて血肉を貪るかのように、速やかに。
「?」
一口目の不思議な感触に違和感を感じながらも、渇きを感じた私は更に紅茶を頂き続けました。
二口目からの紅茶の味は、ダージリンの爽やかな渋みが広がる、とても美味しいものでございました。
「最近はお屋敷での給仕に、新人の指導、そのほか2ndステュワードとしての職務など、私も色々多忙にしておりまして。」
各務さんも湯気を上げるカップに口をつけ、そう言って微笑んでおられました。
「…大変でございますね。
私ごときでも手伝えることがあれば、何なりと仰ってください。」
月明かりのせいでしょうか。
普段以上に青白く見える各務さんのお顔に不安を覚え、身に過ぎるとは思いながらも、そう言葉をお掛けすると。
「ええ、本当に最近は大変で…できればもう一人、私が欲しいと常々思っていたのですよ。」
青白いお顔のまま、各務さんはそう言って更に微笑み、私をじっと見上げたのでした。
―――…もぞり。
身体の奥底で何かが蠢くような。
そんな違和感を感じたのは、その瞬間でございました。
「?」
どこか寝違えでもしたかと、違和感に身体を揺らす私。
その姿を、各務さんの微笑む瞳が見上げていました。
月明かりのせいか、いつもより青白い貌で。
月明かりのせいか、何故だか真っ赤な瞳の色で。
―――…どくん!
身体の並ならぬ変化に、私の心臓がひときわ高く跳ね上がった瞬間。
私はカップを置いて飛びすざり、反射的に懐へと手を伸ばしました。
が、懐に伸ばした手は勿論、身体を支える脚からも抜けていく力。
――もぞり。じわっ…じわじわじわじわっ…。
動くことも出来ぬ身へと、内側から、何かが。ナニかがその手を伸ばしているのを感じました。
「…これは…毒?…違う、こんな毒は私の知識にありません…。」
跪き、愕然と見上げる私に対し。
月明かりの中。立ち上がり、嫣然と笑いながら、各務さんはこう言葉を続けました。
「『もう一人、私が欲しい』そう申し上げたでしょう?
貴方のような勤勉な方が来てくれて、私も嬉しかったのですよ。」
力を失っていく全身。対して、力を増していく体内の何か。
「私の…身体は…。」
私は、最後の力を振り絞り。
「……血の一滴まで、お嬢様だけのものです。」
ただ、奥歯を強く強く噛み締めました。
――ペキッ。
薄い音を立てて、作り物である奥歯の一つが砕け散り。
その中から、口腔と喉を灼きながら、苦い液体が喉を伝い落ちていきます。
過去の職にて。万が一のときにと奥歯に仕込んでいた強靭な解毒薬。
一歩間違えば猛毒にもなるという危険な液体でございましたが、
私は咄嗟に、本能的に。
其れを飲み干すという選択を選びました。
「おや。」
私を見下ろしていた各務さんが、眉を顰めるのが見えました。
まるで、指先に僅かに傷を負った…とでも言うような、かすかな苦痛の表情を浮かべて。
「これは想定外ですね。
ですが、半端に『私となった』貴方が、今後どうなるのか観察するのも一興。」
「何を…。貴方は…。」
体内で蠢いていたナニかが、私の身体もろともに猛毒に灼かれていくのを感じながら。
私の意識は緩やかに薄れまして。
「貴方の今後を楽しみにしていますよ。
どうか、改めてよろしくお願いします。時任さん。」
そう柔らかく囁いて微笑む、各務さんの姿を最後の視界に留め、…静かに、事切れたのでした。

「時任さん、時任さん!?」
何かが鼻面をくすぐる湿った感触と。
犬飼さんの焦った声で、私は目を覚ましました。
古い本の香り。静謐な空気。積み上げられた古書。
そこは書庫でございました。
どうやら、紅茶の学習に打ち込むうちに、眠ってしまっていたようです…。
私の眼前に張り付き、鼻面を嘗め回しているのは、一匹の子犬。
そして、書庫の窓の前で、呆れたように私を見下ろしているのは、犬飼さんでした。
「なんでこんなところで寝ているんですか?もう研修が始まりますよ?」
「…申し訳ない。不覚にも眠ってしまっていたようです…。」
苦笑する犬飼さんの瞳。
彼の瞳は時々、光の加減で不思議な色を見せることがあります。
その瞳の色を見て、何故だか私の身体はビクリと、恐怖の反応を示してしまいました。
「どうしました時任さん?まだ寝ぼけてます?」
「いえ、ええと…なんだか…。」
「…悪い夢でも見ていたようです。」
頭を掻きながら立ち上がると、僅かに下顎に痛みが走りました。
そっと探ってみると…どうやら作り物の歯を眠っている間に噛み破ってしまったようです。
だから、変な夢を見てしまったのだろうかと。反省しながら、立ち上がり、散らばってしまった資料を集めました。
「さぁ、今日も頑張りましょう、時任さん!」
常にテンション高い犬飼さんに引きずられるように、私も書庫を出て、研修の場へと向います。
「そうですね。一刻も早く、皆様の力となれるよう、頑張りましょう。」
気を取り直し、そう応えた私の口が。
何故だか、意識せずして、言葉の続きを紡ぎ出しました。
『期待していますよ。もう一人の私。』

さて。今宵も、ついつい話が長うなってしまいました。
つまらぬ愚談でございました。所詮は夢の話でございますゆえ、お忘れくださいませ。
ただし、万が一。今後フットマンが『本日の紅茶係は各務が勤めております。』などと申したならば。
どうか一目散にお逃げくださいませ。
…冗談でございます。よろしゅうございますね?
それでは、お嬢様。おやすみなさいませ。
お嬢様の元へ、悪い夢など訪れぬよう。
お屋敷の夜は、時任たちが御守り致します。
                           時任