釣り 明石太郎編2

「この暑さは一体どういうことだ!」

今年は太陽が無駄にやる気を出したのか、6月中旬だというのに気温が30℃を超え、降り注ぐ日差しにも一切妥協が見て取れなかった。

さらにこの暑さは10月下旬まで続くという……ふざけるのも大概にせい!

 

そしてこの日はもう一つ私の体感気温を助長する”事柄”……いや、”人物”の存在があった。

 

「しかしなぜ”あいつ”はあんな格好で釣りをしているのだ」

 

今回釣りをしに来ている場所は家族連れにも人気の真っ直ぐと伸びた防波堤であったが、この日は”我々”以外の釣り人がほとんどいなかったため、30メートルほど右側に鎮座して釣りをしているウエスタンルック姿の男の存在が嫌でも目に入った。しかも昔ながらのカントリースタイルだ。

 

「おい、れい坊」

私はその男に近づきながら声をかけた。

「調子はどうよ?」

 

「ん?」

その男はちらとこちらに視線を向け、またすぐウキに目をやった。

そしてニヤリと笑みを浮かべ口を開いた。

 

「太郎君。釣りは待つことが肝心だよ」

 

「むっ」

恐らくこの男は質問に答えているのではなく、私の悲惨な釣果について話しているのだろう。こいつはこういうところがある。

 

「そういう君……」

 

「まあ、しいて言えば上の下の中と言ったところかなぁ」

今度はわざと私の話にかぶせるように口を開いた。

 

(こいつ…)

「ふーん…そのわりにはあまり釣れているようには見えなかったが?」

彼の隣に置いてあるクーラーボックスからも魚の気配がしなかった。

 

「そうかい?」

 

「じゃあ、箱を開けてみんしゃい!」

 

「んー、まだそのタイミングではないかな~」

 

(やっぱり釣れていないな)

 

「太郎ちゃんの調子はどうだい?」

 

「釣れていないのは君も知っているだろう!」

 

「いやいやそっちではなくて、五月病の方さ」

 

「ああー」

私は少し不意を突かれた。

 

「気分転換にはなるが、この暑さでは治っても今度は日射病に罹りそうだよ。君はその格好でよく平気だね」

 

「私は影響されやすいタイプだからね」

 

(答えになっていない気がするが……)

久しぶりに彼に会ったが、やはり”廻令蔵(まわり れいぞう)”は少しずれている。

 

 

廻令蔵……染瀬清一と同じく小学生時代に知り合った友人だ。

彼は昔から様々な作品や人物に影響を受けていた。登校時にはランドセルの代わりに薪を背負い、下校時にはエルヴィス・コステロのような足取りをし、青春ドラマが放送された次の日には必ず授業をさぼって屋上に足を運んでいた。

また、定期的に彼の中の流行が変わるため、次第にクラスメイトからは「次はどんな阿呆な姿が見れるのかな!?」と、面白がられていた。

だが彼は周りの目など気にせず我が道をずむずむと進み続けた。

「中々骨のある男だ」と、小学生ながら思ったものである。

 

そんな彼も今ではきっちり定職についているという。それだけでも過去を知る者からすると驚くべきことだが、染瀬が言うにはどうやら”人に何かを教える仕事”をしているらしい。さらに受講者からは中々評判が良いときたもんだからよく分からないものだ。

こういった変人が意外とカリスマ性を持っているのかもしれない。

 

 

「しかし太郎殿、五月病を甘く見てはいけないよ」

廻令蔵は釣り竿を傍らに置き、話し始めた。

「太郎氏は中華料理屋の厨房といったらどういった想像をするかね?」

 

「……は?」

一体何を言いたいのか皆目見当つかなかった。

「いやまあ、バタバタと忙しそうなイメージが浮かぶが……」

 

「ふむふむ」

「では、例えばペンギンが経営している中華料理屋があるとしよう」

 

「……」

(取り敢えず考えて聞くのをやめよう)

 

「まあ考えなくてもよいが、想像は続けてくれ!」

 

(なんだこいつ!)

 

「では話を戻すが、ペンギンが経営しているのだからシェフやウェイターもペンギンのはずだな?」

 

「……ま、まあそうなのかな?」

 

「そして中華料理屋は忙しいのだから、きっとそのペンギンたちは”忙しい忙しい”と、慌ただしく駆け回っているはずだ」

 

(それは少し可愛いかもしれない)

 

「そう、それだ!その”可愛い”というイメージが大切なのだ」

 

「いやだから、心を読むな!」

 

「いやいや心を読んだのではない。太郎丸の微妙な表情を読み取ったのだ」

「ほんのりニコリと良い表情をしていたぞ」

 

「……」

「そりゃまあ可愛いものをイメージすれば少しはにやけるさ」

 

「しかしだ、考えてみるとそれは不思議なことではないかい?」

 

「と言うと?」

 

「実際に明石殿に何か良いことがあったわけではないだろう?」

「宝くじが当たったわけでも、素敵な恋人ができたわけでもない。ただ可愛いペンギンを想像しただけで笑みがこぼれ幸せな気持ちになった」

 

「まあたしかに……」

 

「そして太郎君が罹った五月病だ!」

「五月病は軽く見られがちなところがあるが、その実不安感や焦燥感、または無気力といった症状があり、またそれらから引き起こされる食欲不振や吐き気、めまいといった…………」

 

なるほど。

話の構成が滅茶苦茶で分かりずらかったが、つまり彼は〈病は気から〉と、言いたいのだろう。気持ちや考え方次第で良い気分にも悪い気分にもなれると。

 

「と、五月病は侮れないところがあるが、たろっちなら乗り越えられるさ!」

 

「そうだな!」

私は少し気が楽になっていた。ただ今の話を聞いてと言うよりも、呼称も統一しない彼と話していて、気を落としているのがなんだか馬鹿らしく思えたからである。

 

「では太郎さん、少し遅めのお昼休憩としよう!」

「お菓子もたくさん持ってきたからな!」

 

 

既に日は傾き、再開してから2時間が経とうとしていた。

 

 

昼食休憩を終えて彼から釣りのコツを聞いているうちに、私の中の彼の評価が変わり始めていた。確かにこの男は物を教えるのが上手なのかもしれない。

面倒な話し方も、こちらがある程度の理解力さえあれば実はそんなに難しいことでもなく、むしろ普段の会話よりも考えて聞かなければならないため、より言葉が整理されて頭に残る。

現に教わってから釣果が飛躍的に伸びているのだ。

 

ただ……。だからこそ気がかりなことが一つあった。

 

奴の魚を釣り上げた姿を一度も見ていない!

 

廻令蔵が掲げる魚へのアプローチは非の打ち所がなく、釣り竿の扱いも惚れ惚れする腕前だ。そんな彼が一匹も魚を釣っていないことはどう考えてもおかしい。

私は、今は30メートル離れたところで釣りをしている彼を今一度観察してみた。

 

ふむ、餌はしっかり付けているようだ。そして何度もデモンストレーションで見せてくれた完成された釣り竿の動き。しっかり海中に餌が沈んでいく。ここまでは特に不審な行動はない。

 

そして竿を投げてから30秒ほど経ったとき、ピクピクとウキに動きがあった。

(ん!?ついにきたか?)

その瞬間、彼はこれまた完成された動きで釣り竿を振り上げた。が、しかし、そこに魚は掛かっておらず、針だけが宙に浮いていた。

その後何度も彼を観察していたが、魚が釣れることはなかった。

 

もしかしてわざと釣らないようにしているのではないか?

そんなことが可能なのか分からないが、餌だけを魚に食いつかせ針に掛からないようにしている……とか?

しかし一体何のために?

 

そうなると気になってくるのは、彼の隣に置いてあるクーラーボックスである。

どうせ彼に聞いても、のらりくらりとかわされるのがオチだ。

やはり隙を見て直接開けるしかない。

 

すると、そんな私の考えを察したのか彼が突然立ち上がりどこかへ歩き始めた。

「お、おい、れい坊どこへ行くのだ?」

 

「ん?ちと厠へ」

「すぐ戻ってくる」

彼がそう返事をしたとき、ちらとクーラーボックスに目をやった気がした。

 

まさか、気づいたか……

いや、だとしても。むしろ上等よ!

私は彼が少し離れたトイレに入ったのを見計らい、素早く彼のクーラーボックスに近づいた。

 

「よ、よし。落ち着け私よ」そう自分に言い聞かせ私は彼のクーラーボックスをパカリと開けて、中を覗いた。

 

するとそこには魚の代わりに一匹のペンギンの人形が横たわっていた。

「なんだこれは!」

ん!?その横に何か書いてある

 

{はっはっは!見ると思ったぞ}

 

ご丁寧なことに、吹き出しの形に切り取られた折り紙にそう書かれ、ペンギンがあたかもしゃべっているように張られていた。

 

なんだこの男は!

私は彼と真面目に接することにまた阿保らしさを覚えた。

 

と言うか、彼は今日一日釣りをするフリをして、ずっとクーラーボックスの中にこれを仕込んでおいたのか?もっともらしい含蓄を話しているときも……

この折り紙の吹き出しだって昨夜せっせと作っていたのだろう。

阿保らしさを通り越してむしろ彼が可愛く思えてきた。

 

数分後、彼が戻ってきた。

 

「たろっぺよ、そろそろ日も暮れそうだし、帰るとするか」

いつもと同じテンションで彼はそう口にした。

 

(……触れてこないな。いや、この男のことだ間違いなく開けたことに気づいている)

「私は構わないが、君は一匹も釣れていないのではないか?」

 

「何をおっしゃる。大物を釣り上げただろう」

 

「いやいや、何を言って……」

「!!」

(まさか、彼が釣ろうとした”もの”って……)

 

「はっはっは!やはり釣りは面白いな!」

 

(ぐぬぬ!)

一瞬、とても腹が立ったが、すぐに彼のせっせと吹き出しを作っている姿が脳裏をよぎり、私は彼を許してやることにした。

「まあ私も今日は楽しかったよ。また誘ってくれ」

 

我々は後片付けをし、帰りの準備を始めた。

私が釣った魚は、大きめの魚を数匹だけ持って帰ることにした。

(今回企画してくれた染瀬にも魚料理を振る舞ってやらなきゃだな)

 

 

かくして、長い一日は終わりを迎えた。

暑さや隣にいた変人に苦労したところもあったが、終わってみれば意外と充実した一日だった気がする。

きっと今の私の表情からは、晴れ晴れとした気持ちが読み取れることだろう。

 

もちろん五月病が完治していたことは言うまでもない。

 

後編完

 

 

おまけ1(感謝)

 

お嬢様、最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。

 

無事〈釣り 明石太郎編〉シリーズを完結することができ、心からほっとしております。

 

 

おまけ2(謝罪)

 

〈釣り 明石太郎編1〉のおまけ2で「しかし、そこはご安心あれ!」と、胸を叩きながら宣言したにもかかわらず、楽しみにしてくださったお嬢様を3ヶ月以上待たせてしまい、誠に申し訳ございませんでした!

 

そこでお詫びのお品として、私が8月に釣り上げた可愛らしいお魚の写真を献上させていただきます。

 

 

おまけ3(お詫びのお品)

 

 

名前…ハコフグ

 

特徴…硬い骨格で箱のような形をしている。

 

注意…体表に毒がある。釣り上げたハコフグを斜面に置くと、ごろごろと転がって海に逃げてしまうため注意が必要。

 

雑学…とある大学客員教授が愛用している帽子のお魚は、ハコフグである。

 

 

おまけ4

 

今度、久方ぶりに海へ足を運べそうでワクワクしております。

よきお魚と出会えたら、またお嬢様にお写真を献上いたします!

 

 

終わり。