お嬢様、ご機嫌麗しゅうございます。
的場でございます。
突然ですが、私の2025年の抱負は「活字を読む」でございます。
遡ること2024年12月。
ティーサロンでは朗読会が催され、私も参加メンバーに入っておりました。
才木演出の元、香川と山岡と4名で出演させていただきました。
その稽古の中でのこと。
才木が香川に「◯◯みたいな、こういう感じで読んでほしいです」という旨の演出を出しました。
私は理解が及ばず「よくわからないこと言ってるなぁ」と思っていたのですが、香川は「あぁ、そういう感じですね」と腑に落としており、むしろ「教え方がわかりやすい」という空気さえ漂わせておりました。
二人に共通していることは芝居に精通しているという事。
言葉や作品に多く触れていることで、造詣が深い者同士のみが理解し合える会話があるのか!
と私は衝撃を受けると共に、活字離れしており無力な己を恥じました。
…このままではいかん!
私は2025年早々に、才木にお願いを致しました。
「才木お勧めの本を貸してほしい。活字離れして長いので、まずは1~2冊でお願いします」
とお願いしたのですが、才木は次の日に何と10冊ぐらいの本を持ってきたのです…!
(と思ったのですが、後日よくよく数えたら8冊でした。お話を盛ってしまいまして大変申し訳ございませんでした。)
紙の本を大量に持つのも久々なのでとても重たい!
山小屋まで運んだら、その日は疲れて一読もしませんでした。
その後も無精な私はなかなか借りた本を読むことができませんでした。
活字は読み始めるまでが大変でございます。
「読み始めたらどれだけ時間がかかるのだろう」
「時間がないんだよなぁ」
「本を読むには部屋が散らかっているかな」
と、傍から見れば言い訳でしかない気持ちが、本人としては切実に生まれてまいります。
読み始めたら始めたで、
「この言い回しが引っ掛かるなあ」
「これってどういう設定なの?」
となかなかエンジンがかかりません。
そんなこんなで、私は300ページ弱の短編集を読み終えるのに半月以上かかりました。
それでも嬉しかったのを覚えております。
「自分はまだ本が一冊読めるんだ…!」
大変お恥ずかしい話ですが私は執務ばかりにかまけて活字などもう何年も触れてまいりませんでした。
集中力がもたず挫折して2026年を迎える未来も想像しておりましたので、読了できた!という事実に達成感を感じました。
その後は第16回公演に出させていただきましたので、そちらに集中いたしました。
と言えば聞こえはいいのですが、私のキャパシティーでは台本と才木に借りた本を同時進行することは不可能だったのです。
事実、伊織は同じ環境でも活字や映画に触れておりました。
それほど読書は私にとって体力のいる作業でございました。
公演も終わり5月。また私は読書を始めました。
才木は私から本の感想を聞くのを楽しみにしてくれておりました。
読書を再開したのは、そこへ向かっての義務感もあったかもしれません。
才木に本を借りて本当に良かった。
また半月に1冊。私は徐々に読み進めてまいります。
アフターイベントが終わった6月。
あれ、本を開くのが苦にならなくなってきたぞ。
自分のペースが掴めてきた手応えがある…。
1週間に一冊。
だんだんペースが早くなってまいりました。
それは最早義務感ではなく、楽しいからハイペースになっているという感覚でございました。
そして7月1日。
才木に借りた本を全て読み終えました!
8冊読むのに半年以上かかってしまいました。
振り返ると怠惰だったなぁと存じますが、私にとっては大事な時間だったことは間違いございません。
先日才木と借りた本の感想戦を行ってまいりました。
同じ本を読んだ者同士でも、
「そこは感じ方が違うのか!」
「そうそう、それは私も思った!」
「インタビュー記事も合わせて読むと印象が変わるのか」
など、フィルターが違えば景色が違うのも、フィルターが違うのに合致するのも非常に楽しい時間でございました。
…近頃は逆の悩みが生じておりまして、活字離れの反動で活字中毒になりそうな事でございます。
眠たくなってもやめどころがわからないので睡眠が短くなってしまいました。
また、小説原作の映画があるとそちらも押さえたくなってしまい余計に時間をかけてしまうこと。読みたい本が既に20冊を超えたこと。
何かを得れば何かを失うもので、なかなか難しい問題でございます。
お嬢様はティーサロンでいかがお過ごしでしょうか?
本は作者のメッセージを感じるのが楽しみのひとつですが、更にそれを受け取った読み手の感想を受け取るのも楽しいものでございます。
お勧めの本がございましたら、また中毒に効く治療法がございましたらこっそり教えてくださいませ。
それでは本日はこれにて。