カヴァロット

BAROLO RISERVA BRICCO BOSCHIS 2004 / CAVALLOTTO
ブリッコボスキス カヴァロット
最近ワインから遠ざかっておりましたので
久しぶりに美味しいものをと思いましてこちらを。
そもそも優良な2004。畑違いで3本目ですが一番長熟そうなブリッコボスキスを最後にいたしました。
さすがに早いかなと思いましたが飲み頃に入りかけている感覚。
なにより抜群のコンディションです。素晴らしい。
正解でございました。
立体感のあるリムでこの美しさこそバローロです。
紅茶などもそうなのですが、一定のレベル超えると液体に立体感がでて輝きが違ってまいります。
やはり毎月出しているプレミアムの紅茶は輝きが違うものが多くございますね。
こちらのワインもまだまだ熟成できますが、5年前にいただいたときの硬さを思うと感動いたしますね。
最後の一本でカヴァロットのポテンシャルを存分に感じることができました。

ジャンゴ

我ながら恥ずかしい限りなのですが。
今年の春。ゴールデンウィーク明けだったでしょうか。
休みを多めにいただけた時期がございました。

そこで意を決してついに!
「歯医者」へ行けました!

ここ数年。お正月に立てた目標は毎年「歯医者へ行くこと」
そう思いながらも、なんやかんやと言い訳を重ねて結局かなえられなかったのですが。

実に〇〇年ぶり!!(印象が悪くなるのであえて伏せさせていただきいます)

 

結果から申しますと奇跡的に虫歯はなかったのですが、
親知らずを二本抜くこととなりました

それにしても。
毎回歯が痛いと感じていたのは何だったのでしょうか。
病は気からといいますがそれを実感した日でもございました。

また、私がよく見る夢の定番として「歯がぼろぼろと抜け落ちる夢」があるのですが。
歯医者に行ってからというものまだその夢を見ていません。

お嬢様。
歯医者。行ってますか?
サボっているようでしたら予定を空けて予約もしておきますのでお任せください。

労働者

デニム。ジーンズ。

このような話題を認めようと思い筆を執ったのですが、
おそろしい量の情報が集積した分野であり、私が扱うにはあまりにも難しい内容です。
以下は、私の浅い経験と知識の中での思い出話、とでも受け取ってください。

 

デニムは現代の服飾には欠かせない素材であり、
本当かどうかわかりませんが、サンローラン本人を以てして「私の唯一の後悔は、ジーンズを発明できなかったこと」といわしめたほどです。

さて、そのようなデニムですが、私の印象はと申しますと。

若い時分。
今思えば本当に常識知らずで恥ずかしい限りなのですが、
当時お世話になっていたお筝の先生を訪問する際に、デニムパンツを履いていったことがございました。
その場では何もなかったのですが、後日、一緒にいた先輩が「作業着を着てくるなんて変わった子ね」とチクリと釘を刺されていたそうです。

まあそのような経験もあり、デニムは私にとっては労働着。
ストリートでも、ロックでもない。ワークに属する服だと認識しております。

しかし、現代社会においては、モノが持つそういった情報は希釈され、
「全体をカジュアルダウンする素材」
という認識になっているのでしょうか。

 

我々も年間350日は燕尾を着ておりますので、他の使用人の燕尾以外の姿をみることは稀なのですが、

 

個人的には乾がデニムのベストドレッサー、ベストジーニストではないかと感じています。

生地が余らないぴったりのフィッティングのヒップから、ジャストの腿、ひざ上から少しゆとりが出る細めのストレートにワンクッションする丈。
永遠の定番ですが、ここまでキレイに穿けるのは、乾のスタイルと空気感、体型維持の賜物でしょう。

 

私も見習いたいものです。
まずはやはりデニムの燕尾からでございましょうか。
大旦那様是非ご一考を。

物語

人間という生物は「物語」を抜きに生きることはできません。
そのようにできていると考えるべきでしょう。

だからこそ何かを理解しようとするとき、その補正を外して極力フラットな目線で向き合う必要があります。

物事を認識する際に、自分が受け入れやすい物語を用意して、そこに沿わせることによって理解した気になる。本当は都合のいいように解釈しただけにもかかわらず。
そういった場面をよく目にしますし、私自身にもその傾向はあります。

例えば、SNSをみてもそうでしょう。
150文字。ツリーとして多くても500文字前後。
その中でいわゆる構文として上手くできて、きれいにオチまで用意されているような文章だと、「内容」よりもその「形式」に引っ張られて納得させられてしまう。
なにか特別なものを理解した気持ちになってしまうということがございます。

「包装紙」として書いてきたことにつながるのですが。
こういった場合、内容に大した価値はありません。物語として納得しやすい様式が整っているかどうかが大切なのです。

溢れかえる情報に対峙して、五感を使ってそれらを認識しようとするものの、人間の認識がいかに不完全かを思い知る日々でございます。

 

Wrapping Paper

先日「包装紙」というお話は
要するところはキャンプという感覚に集約されるのですが。

衣食住。生活を取り囲むものの中から、私自身が愛するものをかき集めて眺めた結果、そこにあるものにぼんやりと共通点は感じるもののその共通点を言語化する術がございませんでした。
しかし、あるときにそれらがおおまかにキャンプという単語で表現されること知り妙に納得した経験がございます。

物事がどれだけ様式化されているかを測る基準とでもいうのでしょうか。
言語化できないものを言語化しているので、共感できるかどうかでしかないところが難しいのですが。
きっとそういったところがキャンプであるということなのでしょう。

そしてまた俯瞰して観たときに、我々使用人の存在もしっかりその範疇に含まれているということも大きな発見でした。妙に納得した、オチとしてよくできた話だと自虐的に笑ってしまいました。

包装紙

形式 と 内容
どちらが優先されるべきでしょうか?

 

「形式的すぎる」
「中身が大切」

そういった言葉もよく聞かれます。
各々の環境や立場によって変わるとは思うのですが、

私個人としては、内容よりも形式、様式、スタイルこそが優先されるべきだと常々感じております。。

上記のように、内容を重視する発想はあまりにもビジネス的で、それが当然という生活は少し寂しいように思われます。

伝えたいことをどのように包み、どのように装飾し、どのように伝えるのか。

自分自身をどのように表現するのか、服ひとつ、髪型ひとつでかわります。
「ありがとう」というその言葉をどのように伝えるのか。

それこそが語られるべきであり、物事をより面白いものにしているのではないでしょうか。

シェリー酒とりんごのアイス

今月は私が携わったアイスを用意していただけることとなりました。

アモンティリャードというシェリー酒を主役に据えたアイスです。

シェリー酒はワインの一種なのですが、特殊な熟成を経て作られるため、非常に豊かな風味を含みます。
今回のアモンティリャードは特に熟成の期間が長く、柔らかくなった酸味にドライな味わい、複雑な香りを楽しめます。

そのアモンティリャードの古酒然とした風味を活かすために、りんごのピューレとの組み合わせを提案いたしました。

上質なアルコールと角の取れた酸味のなめらかな口当たり。
そして口の中で温度が上がることによってあとからシェリーの香りが華やかに広がるはずです。

仕上げにはローストしたアーモンドを落としております。
こちらも食感のアクセントになるとともに、シェリー酒がもつアーモンドの香りを引き立てるはずです。

 

手前味噌ではございますが大変素晴らしい味わいに仕上がっておりますので、お召し上がりいただければ幸いです。

 

最後に。私のわがままを形にしてくれた当家のパティシエに大きな感謝を。