歌劇団の皆がTwitterに報告の場を移して数ヵ月。
なんの違和感もなく、むしろ羽を得たように自由に振る舞っているところをみると時代に適した判断だったのでしょう。
そこで私も、Twitterなるものを始めてみるかと数ヵ月いじってみたのですが、これがなかなかに難しく、多くの問題に直面してしまいました。
まず第一に150字では伝えきれない。
一度何かを口にしますと、いくつものツイートが連なり、結局ひとつの話題で500字を越えることがざらです。
古来より、ミニマルな表現の極致である俳句や短歌に美しさを感じていた日本人とは思えない体たらくです。
また第二に表現に感情が伴わない。
150字という制限のなかで感情の機微を伝えることが難しく、どうにも心のこもらない、事実と意見を述べるだけの硬い文章になってしまいます。
そう、文章ですね。ツイートにならないのです。
正直、Twitterで交わされる、特有の言葉の文化には品性を感じないと思っていたのですが、これは環境に適応するために進化を遂げた結果であり、むしろ自身の古い感性がそこに追い付けていないのだと気づかされました。
とくに発信者の表情まで感じ取れるような感情表現を数文字でまとめる技術には舌を巻くばかりです。
やはり私も変わらなければなりませんね。
たとえば飲んだワインの感想も長々とだらだらと綴るのではなく、感情をストレートに。
「ねえちょっとまってジャン・フランコ・ソルデラのラストヴィンテージカーゼバッセ尊いつらい無理ぴえんぴえん」
これですね。