拾われた 借り返すなり 骨埋めて 千代に八千代に ここに根を張る

霞立つ春、御嬢様はご機嫌麗しく御暮しのこととお慶び申し上げます。
ふと思い立ちそぞろ歩きにお外へ参りますと、季節の移り変わりを告げるが如き陽気を感ずる今日此の頃。
おや、春かな、と外套を振り捨て打ち出でてみれば一転、翌日には冷たい風が吹き荒び、春雪降ってさもありなんといった冬の日に舞い戻る始末。
かように三寒四温の時節柄、御嬢様には何卒御身お大切にお過ごしいただきとうございます。



如月は過ぎて弥生、この季節になりますと、決まって様々な物が飛び交います。
人に依っては至極厄介な花粉のみならず、今年は良からぬ物も大分飛んでいるようではございますが、早春に飛ぶと言って私が真っ先に思い出すのはある詠。

東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな

無実の罪で西へ左遷された菅原道真公が、都で大切に育てていた梅へ詠んだ別れの句。
しかし大事にされた梅は菅公を慕い、遂には太宰府へ飛んでそこで再び根付いた、これがかの有名な飛梅伝説でございます。
京から飛んできた梅はこの時期になると、太宰府天満宮の梅の中で最初に花を咲かせると言われ、今でも福岡の名所のひとつでございます。
ついでながら関東に於いて梅の名所と申しますと水戸の偕楽園、梅の木までは飛ばずとも、梅の花の舞いを眺めるも一興にございましょう。


もう一つ、今時分飛ばずにおれぬのは雁(かり)でございましょう。

春来れば 雁かへるなり 白雲の 道ゆきぶりに ことやつてまし

凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)が、出来ることならば北へ帰る渡り鳥(雁)に北方の友人への言伝を頼みたいものだ、という気持ちを詠んだ句。
この詠に私は誠に共感致します。
去年までの旅の道中に出会ったあの人は、今頃いかに過ごしているだろうか。
北海道や青森に住む大切な友人は?
山形や秋田で御世話になったあの恩人は?
関西や九州へと帰って行った仲間たちは?
何もかも、今の私には遠すぎることでございます。
かつては雁の如く北へ南へ飛び回った私も、今では大旦那様の御恩に報いるがため梅の如く根を下ろし、飛び立つ渡り鳥を見上げる側となりました。


慣れ親しんだ同窓との別れを惜しみつつ着物姿で街歩く艶やかな人々も、ゆくゆく新たなる活躍の場へと飛び立ちます。
春は終わりと始まりの季節ゆえ、御嬢様の周囲に於かれましても、種々の変化があろうかと存じます。
それ故に私、差し出がましいようですが、御嬢様の頑張り過ぎが心配でなりません。
毎年何千キロと旅を重ねる渡り鳥さえ不眠不休に飛び続けることは適わず、水鳥は海に浮かんで羽休め、小鳥ならば船や流木に留まって少憩致します。
ですから御嬢様にも、空を飛ぶあの渡り鳥と同じように、時にはこのスワロウテイルという止まり木にて羽根を伸ばして頂きとう存じます。
そして私は義理堅きあの飛梅と同じように、どれほど離れてもせめてこの心だけは、いつでも御嬢様の御側に寄り添っていく所存にございます。

拾われた 雁返すなり 骨梅て 千代に八千代に ここに根を春




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