ピアノ磨き

立春の候、ご機嫌麗しくお過ごしのことと存じます。
わたくし聖が御嬢様にお仕えするようになってから、早くも一ヶ月が経ちます。
寒さは最盛期を迎えようとしており、連日、早朝の厳寒のうちに目覚めては震える手で支度を整える有様でございます。
さりとて「冬はつとめて」と謳われるだけに、寒さの中にも冬らしい美しさを見出せることもございましょう。
殊に御嬢様のように紅茶好きのお方にとっては、極まる冬の寒ささえも茶に興を添えるものと存じます。

閑話休題、私が御屋敷に参ってからの務めと申しますと、御嬢様のお世話は当然のことながら、しばしば音楽室のピアノ磨きを仰せ付かります。
「一流の人は自分の使う道具を常に綺麗に磨いておくものだ」と、物の本で読んだのを思い出します。
今ではぴかぴかに磨かれた大旦那様の靴を見るたび、また、ピアノ磨きを仰せ付かるたびに大いに納得する次第でございます。
そこで私は、なにか自分にも磨けるものがなかろうか、と考えたのでございます。
その日、宿舎に戻った私は、私物のティーカップにうっすらと茶渋が付いているのを見つけ、大慌てで磨き上げました。


先日お休みを頂いた折、久しぶりに実家に帰ってみますと、無沙汰しておりましたバイクが土ぼこりを被っているではありませんか。
以前は何千キロ、何万キロと共に旅をした大切な仲間でございます。
到底このままにはしておけない、と水を浴びせつつ布で磨き、最後に跨ってエンジンをかけてみると、上機嫌に吹け上がります。
嬉しくなった私は用事も無いというのに、ついそのまま町の方へと走り出してしまいました。


風の便りに聞いていたアンティーク店に立ち寄ってみると、山積みになった箱の奥から女主人が見えて「イギリスでの買い付けから帰ったばかりですみません」と挨拶をして下さいます。
折角伺いましたので、ケーキを食べるのに良いフォークがないか尋ねてみますと、積まれた箱の中から一本の純銀のフォークを取り出して下さいました。
1902年のイギリス製、古いだけあって流石にくすんで年季の入ったフォークでございました。
それを拝見して、はて、どうしたものかと悩んでおりましたら、女主人が「こうすると綺麗になります、いかがでしょう」と慣れた手付きで磨き上げたのです。
磨かれた純銀の光輝燦然たる煌めきに魅せられた私の手元には今、その時のシルバーフォークが置かれています。


純銀は使わずとも硫化により黒ずむため、定期的な手入れが必要とされております。
教えていただいた限りでは、3箇月に一度は磨くとよい、とのことでございました。
となると、次に私自身で磨かねばならないのはまだ2箇月以上も先の事。
ああ、早くこの銀を磨いてあげたい。
そんなことを考えながら本日も、音楽室のグランドピアノを磨く手に力が入るのでございます。


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