嗚呼、愛しのペンダコよ

むかしむかしの話でございます。

小説を読むことが好きだった私は自然と文章を書くことを覚えました。初めは遊びのようなものでした。空想や妄想の類いを延々と書き連ねては破茶滅茶な展開を書き殴っておりました。キャラクターや世界観、ストーリーの設定を書き連ねるノートは何十冊にも及び、数年前に荷物を整理していましたら不意に発掘されて私を大いに苦し辱めました。いい思い出でございます。すぐに焼却致しました。

物語を綴ることが好きだった私は、原稿用紙に手書きで小説を書いておりました。20文字×20行を埋めると大体300文字から350文字になりますので、長編小説を書き上げると200枚から400枚ぐらいになりますでしょうか。幼少の頃は大旦那様から頂いたお小遣いのほとんどを原稿用紙を買うお金にあてておりました。

ジャンルはその時々で異なり、好きなことを好きなだけ書いておりました。特にその当時好きだった小説家の影響を受けることが多く、やたらと三点リーダーを使う時期もあれば、文章の接続に「~だけれど」と多用していたり、全く関係のないことをクドクドと書いていたり、と。未だに影響を残しているものもございます。

その原稿用紙が山となり、崩れる頃には大きなペンダコがぽっこりと中指に出来ておりました。指が歪になることはあまり喜ぶことではないかと存じますが、私は努力した証としてなんだか誇らしく思っていたのです。

お風呂に入りながら、その日一日酷使したペンダコを撫でて、よく頑張ったね、私はなにも君が憎くて酷使しているわけではないのだよ、言うなれば愛情、愛故にスパルタとなるのだよ、と言い聞かせてあげたものです。

一日中文章を書いていた時の熱も少し冷め、それでもペンダコはずっと私のもとにおりました。筆を握っている限り、ペンダコが私のもとからいなくなるなど考えられませんでした。強く握り締めれば、翌日いつも以上に膨らみますし、そのポッコリは手の中で特別に硬くなって存在を主張しておりますから。

私はもう、ペンダコなしでは生きられない身体になってしまったのです。



ある日、そのペンダコが家出しました。


置き手紙が残されていて、それは私に向けて書かれたものでした。その字には確かに見覚えがあり、それは私のペンダコが書いた文字でございます。


『さようなら』


その短い一文を残し、ペンダコは姿を消しました。

その日からお風呂に入っても話しかける相手はいなくなってしまいました。かつてペンダコがいた中指を撫でて、ため息を吐くのが日課になりました。そこには真っ直ぐに伸びた中指しかなかったからです。

「なんで僕を置いていなくなってしまったんだ」

哀しみを紛らわす為にたくさんの物語を綴りました。ミステリーを、SFを、恋愛物を、ハードボイルドを、コメディを、ホラーを。

それらを読み返すと、何処かにペンダコの姿を探しているように思えました。

真犯人はかつて共に過ごした幼馴染で、宇宙的規模で増殖を続ける愛しい指のポッコリ、ふと気づくと一番大切なのは傍に居てくれた君で、バーカウンターでバーボンを傾ける君は、全力で駆け出す上に裸というアホウな姿、恐ろしい気配に振り返るとそこにいて。

支離滅裂ですが、確かにそれはペンダコでした。

そうして私はペンダコが大切な存在だったことに気づきました。

「愚かなのは僕だったよ。どうか、どうか戻ってきてはくれまいか」

涙を拭った手には、やはりペンダコはおりませんでした。


「私はここにいるよ」


声が聞こえました。
逆の手からです。

「ペンダコ! そんなところにいたのかい」

「残念だけど、私はペンダコではあるけれど、かつて君と一緒にいたペンダコとはまったく別のペンダコだ」

「そんな……」

「君が探している左の手にはペンダコが膨らむことはないよ。だって君は右利きじゃないか」

「嘘だ。僕は利き腕を変えた覚えはない」

「じゃあなんで私は右手にいるんだい?」

「それは……」

「箸を持つ手は?」

「右手」

「ボールを投げるのは?」

「……右手」

「ペンを持つ手は?」

「や、やめてくれ! そんな……いつから僕は右利きになったんだ?」

すると右手の中指にいるペンダコは不気味な笑い声でこう言いました。

「君は元々右利きなんだよ。左手の中指にペンダコが存在するはずがないんだ。君はずっと幻想を見ていたのだよ」

「嘘だ! 僕は信じない!」

楽しい思い出を一緒に過ごしたペンダコ。辛い時も哀しい時も寂しい時も。一緒にペンを握ったペンダコ。妄想を文章として一緒に綴ったペンダコ。美味しい料理も一緒に箸を握ったね。寝る前も起きた後も、君が歯を磨いてくれた。

そのペンダコが、存在しなかった。

私は何が本当であるのか判別がつかず、不敵な笑みを浮かべる右手のペンダコのことを遠ざけようと腕を伸ばすことしかできません。

「そんなことをしたって無駄だよ。君は私がいないと箸を握ることもできない。ボールを投げることも、字を書くことも、ハサミで物を切ることも、歯を磨くことも。何も出来ずに苦しむんだ」

「それでも……確かに、あのペンダコはいたんだ……。僕はペンダコと共に……」

「その全てが幻想だったのだよ!!」


私は、右利きだったのでございます。






という夢を見て以来、少しずつ左手を使うようになった浅葱でございます。

左利きの使用人が意外に多く、いつもふとした瞬間に左手を器用に使う彼らを見て憧れてしまうのです。私もいつかは左利きになりとうございます。

お嬢様、左利きの使用人が何人いるか知っておりますか?

ティーサロンで是非教えてくださいませ。
ちなみに衣笠は左利きです。
彼は彼で右手を使う練習をしておりました。




追記
夢の中では憎たらしい性格の右手中指にいるペンダコですが、本当はとってもいいやつでございます。いつも日誌を書いてくれてありがとうございます、ペンダコさん。


浅葱
Filed under: 浅葱 — 15:00