孤島に潜む狼は何匹?後編~浅葱のお屋敷事件簿②~

ご機嫌麗しゅうございます。
雨が降ってまいりました。
浅葱でございます。

最近の浅葱は、毎日雨を眺めながらメランコリックな気分に浸り、書庫整理という名の読書タイムを雨粒の音と共に楽しんでおります。
ちゃっぷ、ちゃっぷ
ちょっぷ、ちょっぷ
らんらんらん。
鼻唄を歌いながら。

最近、ふとフットマンになりたての頃の思い出について考えることがあります。それは後輩の姿を見てみていて、園田のように個性があっただろうか、青葉のように人当たりが良かっただろうか、汐見のように楽しげにお話できていただろうか、風祭のようにアホでいられただろうか、と。

去年の今頃、何をしていたのかと思い出しますと……浅葱は何をしていたでしょうか? んー、どうにも思い出せません。お給仕を頑張っていたとは思いますが、それは最初から今に至るまで変わりませんし……。

日誌を読み返してみました。
去年の浅葱が綴った日誌。
懐かしい心持ちで、懐かしい友と、そしてまだまだ未熟なところも少し恥ずかしい。そんな日誌。
来年の浅葱は、この日誌を見てどう思うでしょうか?
恥ずかしさと共に、お嬢様、そして衣笠と乗り越えたこの事件のことを思い出して、きっと困難を乗り越えられるーーと信じられるといいのですけれど。

では、ご覧くださいませ。
先月からの続きの物語です。


***


四日目の朝。
昨晩までの推理をまとめていた私の下に衣笠が神妙な面持ちでやってまいりました。お嬢様はまだ寝室で寝ていらっしゃるようです。
「なあ衣笠、昨日の推理を私なりにまとめてみたんだがーー」

「浅葱」

衣笠は制するように言いました。
「……やっぱり、また出たのか?」
「ああ」衣笠は頷きます。

四日目の犠牲者。
青坂さん、そして赤森さん。
二人が別々の場所で殺害されているのが発見されました。
青坂さんは屋敷に併設している礼拝堂でロープに首を絞められた状態で。
赤森さんは庭園にある噴水広場の池に顔を突っ込むような形で。
殺害方法は青坂さんが絞殺、赤森さんは広場の池で溺死ということが判りました。

「被害者が二人、か」浅葱は顎に指を当てます。ほぼ同時に違う手段で、ということが気になります。
「これで四人が亡くなってしまった」衣笠は目の下に深いクマが出来ております。

「お嬢様は?」
「お部屋で休まれているよ。憔悴していらっしゃることは間違いない」
「そうか。早く、なんとかしなくちゃ……」

衣笠は赤森さんと青坂さんの死亡状況を詳しく教えてくれました。

まず赤森さんですが、犯行現場はお屋敷に併設された礼拝堂の中でした。祭壇近くに倒れた状態で発見され、首にはロープが掛かったままだったということでした。
気になるのは首の絞め痕。
床に倒れていたということでしたが、斜めになっていました。ルルウ様が首を吊っていた時に付いた痕のように、上の方向に絞められた証拠でしょう。
最後に生きている赤森さんを見かけたのは森見さんで、礼拝堂の鍵を貸して欲しいと頼まれたということです。
夜間の外出は控えることを言ったのにもかかわらず、赤森さんは調べたいことがあると言って聞かなかったということでした。
使われていない空き部屋や礼拝堂などの施設には普段施錠されており、鍵は森見さんが管理しています。マスターキーは万城目氏が持っているということでした。

そして青坂さん。
小規模ではありますが公園ほどの噴水広場には中央に池があり、動物の彫刻があります。その縁に顔を突っ込む形で発見されたということです。手足はロープで縛られており、誰かが殺害したということは一目瞭然です。
彫刻は青坂さん自身の作品であり、熊や猪、鹿に鷹、そして狼が立体的に配置された構造をしています。タイトルは『種の審判』。
青坂さんが以前作った作品ということでした。
エラリイ様が特に青坂さんの作品を気に入っていたらしく、娘のルルウ様が生まれてから毎年誕生日には彫刻の作品を作っているということでした。今回の島の崖に彫っている作品も誕生日に送るものらしいです。
……ルルウ様は誕生日が、近かったのですね。


「浅葱、さっき推理がどうのって言っていたよな? あれは何を言おうとしてたんだ?」
衣笠にそう問われ、私は渋い表情を浮かべました。
「衣笠、昨日は解らないと言ってしまったけれど、本当はルルウ様を殺害した人物は見当がついていたんだよ」
「なんだって! なぜ皆の前で言わなかったんだ?」
「それは……犯人を詳らかにすることによって、狂気が続くことを避けたかったから」
「どういう……?」
「けれども、黙っていたことで狂気は続いている。むしろ誤解が最悪の結果をもたらしているんだ」
「なあ浅葱、もっと判りやすく説明してくれないか」
衣笠は不満げに言いました。

「ルルウ様を殺したのは赤森さん、そして青坂さんだよ」


***


浅葱はルルウ様の遺体を検分してあることに気がついていたのです。それはルルウ様の首筋についた紐の正体、そして爪の絵の具でした。

ルルウ様お一人の身体を支える強度が必要であり、首を吊るロープは頑丈でしっかりとした物がいります。その時、ロープを持っている人物は島の壁面に彫刻をするのに必要なクライミングロープが使われていました。固定するロープの結び方などもシャンデリアと窓枠、壁面という三点に支点があり、専門的な知識があるという証左でしょう。

そしてルルウ様の手の爪には絵の具が原因と見られる痕跡がありました。おそらく犯人と乱闘になった際、犯人に付着した絵の具がルルウ様の爪に残ったのでしょう。

この証拠により、犯人は二人の客人によるものと推理できます。

けれども納得のいかない点も多々あります。
・なぜ二人がルルウ様を殺害したのか?
・どうしてルルウ様の首を吊ったのか?
・二人が西尾さんを殺害した犯人なのか?
などなど、疑問は尽きません。
この疑問があったことも、犯人だと言わなかった理由の1つでもありました。
状況証拠をあえて取り上げなかったのはこの為です。

西尾さんを殺害した方法ですが、あのナイフが実際に使われたという証拠はありません。確かに浅葱は傷口や凶器についた血痕を見てそう断定していましたが、凶器を別にすることは可能です。

例えばナイフよりも刃先が小さい物。
そう、彫刻刀などはナイフよりも小さい刃を持っています。大きなものであれば、殺傷能力もあるでしょう。

しかし彫刻刀が凶器であると判れば犯人は青坂さんだとすぐにバレてしまう。
そのことを隠すために傷痕を再びナイフで傷つけ、凶器がナイフであることを偽装したのでしょう。

犯行に至ったのは青坂さんです。

そして「WHO IS THE wolf」の文字ですが、あれは後々に調べてみると血液だけで書かれたものではありませんでした。
赤色の絵の具。
そもそも血液は時間が経つと空気で酸化して赤黒く変色していきます。翌日、そして翌々日と変わらない鮮やかな赤色にするためには絵の具を混ぜていることが考えられます。鮮やかな赤色にしておくことで、ダイイングメッセージを印象深く記憶させる狙いなのではないかと。
窓が開けられていたのは絵の具のシンナー臭を隠すためでしょう。

大量の絵の具持っていて、尚且つ色の効果にまで知識を持つ赤森さんが偽装をしたのです。

しかし引っかかるのは、次の犯行です。
ルルウ様の殺害ですが、今度はお粗末過ぎるのです。
明らかに青坂さんが使ったと思わせるようなクライミングロープとルルウ様の爪に残された絵の具。まるで証拠をわざと残しているかのようでした。

そして犯人の二人が殺害されました。
青坂さんと赤森さん、それぞれ別の場所で、そして別の手段で。
青坂さんを殺害したのはきっと……。
では、赤森さんを殺害したのは。

それぞれの犯人はすぐに判りました。


***


浅葱はその夜、狼が動くのを待っておりました。もうこんな悲劇を続けさせてはいけません。
ギィィ、と扉を開けて這入ってくる狼に浅葱は言いました。

「もうやめましょう、万城目さま」

手にはロープを持ち、大柄な身体をしているこの屋敷の主人、万城目氏に浅葱はそう言ったのでした。

ここはエラリイ様の寝室です。

私の横には森見執事がおり、後ろにはエラリイ様がおられます。

「そして、エラリイ様も手に持ったナイフを離してください」

ハッとした表情をしてエラリイ様は浅葱を見ます。手に持ったナイフが鈍く光っておりました。

浅葱が導いた犯人は二人おりました。
青坂さんを殺害したのは万城目氏。
赤森さんを殺害したのはエラリイ様。

つまり昨晩に亡くなった二人の被害者。
それは別の場所で別の犯人が、
同じ頃に起こした殺人なのです。

「赤森さんが鍵を持って礼拝堂に行った時、それを知っていたのは執事の森見さん。しかし森見さんはご覧の通り小柄な体格ですので、首を絞めたとすると斜めに痕が残ることは難しい。赤森さんより大きい体格、そして礼拝堂に出入り出来る人……それはこの屋敷の主人である、万城目氏。あなただけです」

万城目氏は身長2メートル近い体躯を持っていました。

「そして青坂さんはエラリイ様、あなたが殺害したのでしょう。ルルウ様の首を吊っていたロープが自分のものだということを知っていた青坂さんは、唯一知っているエラリイ様に弁明しようとしました」

「なぜ私が知っていることを?」エラリイ様はそう尋ねられました。

「それは……勘に近いですが、エラリイ様は青坂さんの作品を心から愛されているのではないかな、と思ったからです」
「なぜ?」
「噴水広場で溺死させる理由は、青坂さんの作品の側でわざわざ殺害する理由は、そのくらいじゃないかなと思ったからです」
赤森さんとの違いはそこなんじゃないかと思ったのです。

「青坂さんに問うたのではないですか? あの像は確か『種の審判』というタイトルでしたね。青坂さんが目を覚ました時、あの像の前でルルウ様を殺したことを認めれば殺さなかったのではなかったのですか?」
「そうね」
「けれども、青坂さんは最期まで認めなかった」
「だから審判を下したのよ」
エラリイ様は自嘲気味に笑って言いました。
「本当に、青坂さんは殺していなかったのではないでしょうか?」
「え?」

「浅葱は最初、ルルウ様を殺害したのは赤森さんと青坂さんだと思っていました。証拠は確かにありました。けれども、あまりに短絡的な推理ではないだろうかと疑問はずっと残っておりました」

そして浅葱は二人にこう言いました。

「ルルウ様を殺したのは青坂さんでも赤森さんでもありません。犯人は別におります」
その事実を聞いて、万城目氏とエラリイ様は驚愕の面持ちでありました。
「勿論、万城目氏もエラリイ様も違います」

浅葱は万城目氏とエラリイ様が今回の犯行に至った経緯は、ルルウ様殺害の復讐であると気づきました。
森見執事にそのことを告げると、薄々感づいていたのでしょう。何も言わずにエラリイ様の寝室に案内してくださいました。そして説得も。これから行われる狂気の事件に歯止めをかけるためでした。

お互いに浅葱と同じ理由から万城目氏は赤森さんを、エラリイ様は青坂さんのことを犯人だと推理して復讐することにしたのでした。けれども、朝目覚めると新たに自分の知らない被害者が出たのです。
つまり、狼はまだいる。
別々の事件であるにも関わらず、二人は誰か一人の犯人の犯行であるということに固執して復讐を続けることにしたのです。
そして、今に至ります。

「では私たちは何の罪もない者を手に掛けていたのか」
「なんて残酷なことをしてしまったのかしら……」

二人は目から大粒の涙を流してその場に崩れ落ちました。

その時。

パチパチと燃える音が聞こえました。
煙と共に焦げ臭い臭いが漂ってきます。
火事です。
この屋敷が燃えているのでしょう。
何が起こっているのか判りませんが、浅葱はお嬢様と衣笠のことが心配でした。急いでお側に行かなくては!
万城目氏とエラリイ様は幽鬼のようにふらふらと立ち上がり、何処かへと歩いていきます。あちらは屋敷の奥の方です。
「森見さん、早くお二人を!」
「いえ、お二人はもう……この屋敷と共にするお覚悟なのでしょう。あちらはルルウ様が眠るお部屋の方向です」
「そんな……止めなくては」
「いえ、森見は主人様、そしてエラリイ様とルルウ様の意思を尊重するつもりでございます。浅葱さん、貴方は貴方の仕える人の下へ向かいなさい」
「森見さん、あなたは……」
「私は、私の仕える人に添い遂げるだけです」

火の手が回って、本格的に屋敷が崩れ始めました。

「最期に聞いてもいいかい?」
万城目氏は振り返って私に尋ねます。
「ルルウを殺したのは誰なんだ?」

私は、大きく頭を振りました。
浅葱は無力でした。最期の願いですら答えられないなんて、探偵失格です。

「いいや、いいんだ。知ったところで私たちには罰する資格はないよ」
「そうね、せめてあの子の顔を見ながら最期を迎えましょう」

万城目氏とエラリイ様はお互いに支え合うように奥へと消えて行きました。

浅葱は万城目氏とエラリイ様の後を追って付いていく森見執事の後ろ姿を見ていましたが、ついに止めることはできませんでした。それは使用人としてはある意味、理想的な最期なのかもしれません。

浅葱は浅葱にしか出来ないことがあります。
お嬢様を守らなくては、なりません。

身を低く屈めて、燃え盛る火の手をかい潜り、そしてお嬢様のお姿を探します。

「おじょうさまっ! いがさっ! どこにいるのですか!!」

途中、メイドの佐藤さんが倒れておりました。
「佐藤さん!」
すでに事切れておりました。胸から大量の血があふれていて、刃物で刺されていました。見開かれていた瞼を閉じて、仰向けに安静な体勢にして「ごめんなさい」とその場から離れました。

火の手は激しく、この燃え方は屋敷の中央から燃えたのではないかと思いました。外側に向けて火の手は緩やかになっていましたが、崩落が激しく真っ直ぐ外には向かえません。

屋敷の中央には確か、厨房がありました。
そういえばシェフの伊坂さんの姿を見ていません。彼はどうしたのでしょうか?

足下の床が崩れて一階下のフロアに落ちました。幸い怪我はありませんでしたが、また遠回りをしなければならないでしょう。
目線を上げた浅葱の前には驚きの人物がおらました。
目の前に伊坂さんがおりました。
「何をしているんですか?」
「火をつけているんだ」
「この火事はあなたが……」
「この屋敷がある限り、狼はいなくならないんだ」
「なにを……くっ!」
また壁が崩れて、浅葱と伊坂さんの間に瓦礫がなだれ込んできました。私が止めようとしますが、伊坂さんは何処かへと消えていきました。

私は彼の行方が気になりましたが、それよりもやらなくてはいけないことがあるのです。

必死に叫んで。
駆け回って。
火の手から逃げながら。
崩落を避けながら。
そして。

「お、おじょうさま! ああ、よかった!」

目の前にいる衣笠、そしてお怪我をされていないお嬢様を見つけた時、浅葱は一安心しましたが……それだけではありませんでした。

「あ、あなたは……!」

紫音さんでした。
紫音さんは正気の沙汰ではない様子で手にはナイフを握っています。
「もう嫌だ、誰も信じられない……!」
鈍く光る銀色の刃が宙を切ります。
お嬢様を庇いながら逃げている衣笠は避けることに手一杯のようです。
「なにしてるんですかっ!」
浅葱は咄嗟に紫音さんの握るナイフを押さえました。そして衣笠も同時に足払いをして、紫音さんを転ばせます。

「あさぎっ!」衣笠が叫びます。

浅葱は思いっきり床に転がったナイフを遠くに蹴り飛ばし、衣笠は無力になっても抵抗しようとする紫音さんの鳩尾を殴って無力化させました。
「護身術を習っておいて正解だったね」と浅葱は苦い笑みを浮かべます。
「人を殴ったのは初めてだよ」と衣笠。

はやくこの屋敷から脱出しなくてはなりません。

「衣笠、この状況はどうしたのですか?」
「浅葱、お前が事件を終わらせると出て行った後、私とお嬢様、そしてメイドの佐藤さんで紫音さんの様子を見に行ったんだ。部屋にいた紫音さんの様子が変で、いきなり佐藤さんのことを刺したんだ。咄嗟のことで庇えずに、今まで逃げることしかできなかった」
「佐藤さんは事切れていたよ」
「そうか……くそっ! 何がどうなってるんだ!」
「この火事は伊坂さんが火を放ったみたいだ」
「万城目さま達は?」
浅葱はゆっくり頭を振りました。
「犯行は止められたけど、結局私には止められなかったよ」
「そうか」
衣笠はそれ以上聞きませんでした。

「ううううっ!!」
獣のような呻き声が聞こえました。

「浅葱!」
衣笠は庇うように浅葱とお嬢様のことを押しました。その時、後ろから狼のように目を血走らせた紫音さんがナイフで襲ってきていたのでした。
ドンっと衣笠の身体が揺れます。
やめろ!と浅葱は次の瞬間に紫音さんのことを蹴り飛ばしていました。

「衣笠っ! 大丈夫か!」
「あ、ああ、まあな。それより早く脱出しよう」
「そうだな。……へへへ、そういえば人を蹴るのは初めだったよ。足がガクガク震えるよ」
「アホウ、そんなこと言わなければカッコよかったのに……」
お嬢様のことを庇いながら浅葱と衣笠は外に向かいます。


ようやく出口を見つけ、外に出た瞬間。

屋敷は炎に包まれていて、全てが燃えていました。崩壊が始まっていて、先程私達が出てきた出口も数秒後には崩れておりました。
悲劇はついに終わらなかったのです。
自分の無力を嘆くよりも、この状況に生き残れたこと、そしてお嬢様が無事であることが何よりも幸いでした。

「衣笠、お前……」
倒れ込むように衣笠は眠っていました。
脇腹から血が出ております。きっと私達を庇った時に紫音さんのナイフが刺さっていたのでしょう。こんな状態で……。
浅葱は懸命に止血をしました。

「おお神よ、迷える子羊を救いたまえ」

浅葱はそう唱えていた人を思い出していました。頼れるものがいるのであれば、神様だって、なんだって頼りたい気持ちでした。

けれども、衣笠の命を救えるのは私しかおりません。

浅葱がなんとかしなくては!

心配そうに不安げな表情を浮かべるお嬢様に、浅葱は必死に笑顔を浮かべました。

「きっと浅葱が救ってみせます!」


***


シトシトと雨が降り始めました。

燃え尽くした犬吠島の屋敷の前で目覚めます。
隣には衣笠が寝ていました。
私の止血によって大事には至らなかったようです。
雨に濡れない場所で安らかに眠っているお嬢様のお顔を見て、私は安心しました。

惨劇は終わったのです。

浅葱は疲労で重くなった頭で、もう一度この一連の事件について考えてみました。
すると、真相は驚くほど簡単にひらめいたのでした。

「ああ、狼なんて……」

私はそう呟き、瞼の重さに抗うのをやめました。


羊が一匹……羊が、二匹……ひつじが……さん……。


数えるまでもなく、浅葱は深い眠りへと埋没していきます。


***


「それで、狼は結局のところ誰だったんだよ?」

衣笠は私に問います。

「ん? 狼……ああ、西尾さん……かな」

強いて言うならば。

衣笠は病室のベッドの上で上半身を起こしています。私は横にある椅子に腰掛けて、お見舞いの林檎の皮を剥いていました。
「ウサギで頼むよ」衣笠は真顔でそうねだってきます。
「ワガママなやつめ」と言いながらも可愛いのを作ってやりました。

「しかし、西尾さんは一番最初の犠牲者だぞ? どうやって……」
「その後の事件については西尾さんは直接的なことは何もしていないよ。だって亡くなった人が夜な夜な生き返っているとしたら、それこそ怪異譚だ」

「じゃあ、あの暗号は?」
「WHO IS THE wolfってやつ?」
あれは自作自演なのでしょう。
自分自身の血と絵の具を混ぜたインクであの文字を書き切ると、最期にwolfのWの字の左下を指で指しながらこと切れました。
それは次の事件に繋げるためのトリックです。

「単純だったんだよ。wolfという字を書くことで屋敷にいた全員に不安感を募らせて、ある人物に自分を殺した狼が他にいると思わせたかった」
「ある人物?」


それは、ルルウ様です。


外界から隔絶された犬吠島で、ひとりのルルウ様にとって、外界からやってきた異性の西尾は憧れの存在でした。二人は恋仲になり、西尾は「この島に狼がいるんだ」と刷り込ませます。そして、自分の命が狙われていることも。
ルルウ様が本気にしていたかは判りませんが、現に西尾が殺害(と見せかけた自殺)をすることによって仇討ちさせることに仕向けました。

「けれども二日目の犠牲者はそのルルウ様だぞ」
「そう、事件がこれほどにも連続したのはその誤算があったからともいえる」
ルルウ様は返り討ちにされたのだ。
wolfの示す人物に。

wolfを筆記体で書き、反転させる。
そしてWの字の左下で西尾さんが書き切ったと仮定すると、そしてWとFの字が書き加えられたとすると、その人物の名前が解る。

wolf→SION

つまり紫音さんが犯人だというダイイングメッセージだと気づいたルルウ様が次の夜に敵討ちをしようとしたのだが、返り討ちにあい、逆に殺されてしまったということ。

紫音さんは襲われて必死に反撃した末、ルルウ様を殺害してしまい、気が動転した結果、狼の仕業にする偽装をしました。
それが首吊りのトリック。
青坂さんのロープ、そして赤森さんの絵の具を使い、あたかも二人のどちらかがルルウ様を殺害したように仕組んだのです。

しかしルルウ様が亡くなったことで、両親の万城目氏とエラリイ様が今度は敵討ちをしようとしました。
万城目氏は青坂さんを。
エラリイさんは赤森さんを。
それぞれ亡き者にすることで、復讐を遂げたかと思われましたがーー
翌日、互いに知らない犠牲者が。
つまり、まだ狼はこの中にいるということ。

次の夜に、万城目氏はエラリイ様を。
エラリイ様は万城目氏を殺そうとします。
そして、それに気づいた浅葱と森見さんが二人を止めようとしました。正気に戻った二人は自身の罪からルルウ様の亡骸と共に燃え上がる屋敷に留まりました。

また別として、紫音さん。
彼女はルルウ様に殺されかけ、そして身の回りの人間が次々と殺されて、被害者は後を絶たない。そんな状況でおかしくなってしまったのか、自分以外の人間を敵とみなしていました。
佐藤さんが心配になって声をかけたとき、紫音さんはついてに持っていた刃物で佐藤さんを殺害してしまったのでしょう。そしてご存知の通り、目撃したお嬢様と衣笠を亡き者にする為に追いかけてきたのです。
そして、屋敷に火を放ち、燃え上がる屋敷の中で浅葱と衣笠がなんとか撃退。彼女は火の中で彷徨いながら、屋敷と運命を共にしました。
衣笠が刺されていたのは、その時でした。

幸い軽傷で済み、今は入院しておりますがすぐに退院するとのことです。まったく人騒がせな奴でございます。

「……西尾さんはなんでそんな惨劇を演出したかったのだろう?」
「これは後になって調べた話なんだが、50年前に殺人事件が犬吠島であったことは知ってるかい?」
「西尾さんが言っていたね」
「その被害者に西尾さんの祖父がいたらしい」
「……敵討ち、ってことかい?」
「シェフの伊坂さんも親族がいたらしい」
「伊坂さんも?」
「西尾さんがよく島に忍び込んでいたって言ってたけれど、それには協力者がいたんだと思う。伊坂さんがその協力者で、島の連絡手段などを遮断してクローズドサークルにしたのもきっと彼の仕業だろう」
「浅葱は伊坂さんが屋敷に火を放つのを見かけたんだろう?」
「それが、西尾さんとの約束だったんだろうね。狼がいなくなるように、最後は何もかもを幕引きにする役目を担っていたんだ」
「それも、復讐……なのか」
「そうだね。更に昔の文献を調べていくと、その前にも凄惨な事件があの島では起きているんだって。これは……あくまでも推測でしかないけれど、復讐が復讐を呼び続けた結果なんじゃないかなって私は思うんだ」
燃え尽きたお屋敷には十人の遺体が見つかりました。伊坂さんも屋敷と運命を共にしたのでしょう。
浅葱はこの島に狼がいるとは思えませんでした。
今も、遥か昔からも。


「狼はいなかった」


狼はいなかったけれど、人は時に狼になってしまうんだ。
そう教えられたような気が致します。

「西尾さんは……なんで、救いを求めていたんだろうな?」
衣笠は病室の天井を眺めて、ポツリと言った。私達が犬吠島に着いた時、西尾さんは「おお……よ、迷えるこひ……を……いたまえ」と唱えていました。

「おお神よ、迷える子羊を救いたまえ」

と言っていたように聞こえました。
これから惨劇を起こすことを知っていて、西尾さんは救いを求めていたのかもしれません。
もしくは、こう言ったのかもしれません。


「狼よ、迷える子羊を食いたまえ」


彼がどちらの言葉を呟いていたのかは、もうわかりません。

「この事件、忘れちゃダメだな」
しみじみと衣笠は言いました。
「そうだね。でも、私は絶対に狼にはならないよ」
「それは……執事(羊)だからか?」
そうです。実にくだらないですが、その通り。
「神が救うのが羊なら、お嬢様を救うのが執事だから」
「違いない」

浅葱と衣笠は、ウサギの林檎を齧ります。
甘いけれど、少しだけ酸っぱい味でした。


終わり
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